二話、貧民街とおやつ。
リリジン王国の王都は、王国建国の祖であるリジンの名を冠した川を背にする形で築かれている。
西から東へ半円扇状に街が広がり、真東、南東、北東、真南、真北と直線上に広い道が整備されている。丁寧に整え作られた道を大通りと称し、五本の大通りそれぞれに対して多くの商家が販路を広げ街を発展させてきた。
大通りごとに特色はあれど、王都内であることには変わりないため、そこまで露骨な差は存在しない。
王都全体で治安は悪くなく、警備兵や騎士の巡回によって事件事故も速やかに鎮圧される。元より王城周辺や貴族街では事件など起きようもなく、平民区であっても上記の理由により大規模な問題が生じることは少ない。
ただ、その平和はあくまで平民区までを指している。
「――つい三日前のことだ。南南東に位置する貧民街で大規模な抗争があった。王都に潜む悪漢同士の抗争だな。外部からの無法者と争いになったそうだ。私も詳しくは知らん」
ソウジン含む警備兵全員の目が届く場所、屯所内の一段高い壇上にて一人の男が話をしていた。
金の髪をモヒカンにした精悍な顔つきのマッチョ。東大通り警備隊の兵士長をしているタイメイ・オトガネである。
「兵士長、その程度のことならばよくあることではありませんか?」
「あぁ。その程度ならな」
タイメイの言葉を聞き、ソウジンは微かに眉を寄せる。
同僚が言ったように、悪漢――王都マフィアの抗争などよくあることだ。ボロを出したマフィアは即騎士団に潰されるので、リリジン王国の王都では小規模な組織が乱立していた。無論のこと、真に巧妙な組織は闇より深く王都に根を張っているが。
「問題は抗争に巻き込まれて南東の警備隊支部が壊滅したことだ」
ざわざわと軽い動揺の声が広がる。
ソウジンに動揺はないが、少々の疑問はあった。この場、東大通り屯所に詰めている警備兵は兵士長を除いて十人だ。貧民街が近い南東大通り屯所にはこちらの二倍、二十人以上の兵士がいると聞く。それが壊滅とは、抗争の規模はずいぶん大きいものだったのだろうか。
「兵士長ー。壊滅って、南東の人みんな死んじゃったってことですかぁ?」
「いや、生き残りはいる。今は治療院で安静にしている。だがどうにも錯乱した様子でな。私も話を聞きに行ったが意思疎通は困難だった」
「なるほどぉ……。結構おっきい抗争だったんですね」
「そのようだ。現状、南東支部に兵はいない。悪漢共も多く死んだようで表面上は落ち着いているが、南東の、特に貧民街は治安の悪化が見られる。王国からは私達に任せるとのことだ」
ソウジンは短く"丸投げか"と呟く。
誰にも聞こえていないと思ったが、タイメイはちらりと男を見て黙認し、隣のラブリィは唇だけでくすりと笑った。
ラブリィはともかく、タイメイの方は相変わらず耳が良いなと感心する。反省はしていない。丸投げは事実なのだ。だからこそタイメイも黙認したのだし、王国がどうしてこんな小さな警備隊に物事を放り投げたのかもわかっている。
どうしても何も、問題の場所が場所だからだろう。
内心で呟き、話の流れをなんとなくで察する。
「――誰か、王都南東の見回りに行く者はいないか」
シーンと屯所内が静まり返る。
物音一つ聞こえない中、何故か隣から熱い視線を感じた。横を見て、何やら目で訴えかけてきている女を見つける。目が合うと微笑んでウインクをしてきた。軽く手で払う。追加でウインクをされるが、それはもう無視させてもらった。
「そうか。ならばソウジン、お前が行ってくれるか」
「――言われると思っていましたよ」
はぁ、と短く溜め息を吐く。
周囲に目を向ければ全員――訂正、一人以外全力で目を逸らしてくる。意図的に一人は無視し、兵士長の信頼に満ちた眼差しを見返す。
「おお、やはりか。お前ならと思っていたぞ」
「俺が貧民街の近くに住んでいるからでしょう。慣れないやつが行っても役に立ませんし、何より……いえ、他の奴らより俺が適任というだけです」
露骨に溜め息を吐き、冷めた目でしょうがなく肯定を示す男にタイメイは苦笑した。
弱兵とはいえ、警備隊は警備隊だ。訓練を積んでいない平民やそこらのチンピラよりは断然強い。数人の生き残りも意思疎通できず、残りは皆殺しなど尋常な事態じゃない。
南東支部より人数は少ないが、兵士個人の質は東大通り支部のほうが上だ。そんな精兵とも寡兵とも言える集まりの中で、ソウジンという男は別格だった。やる気のない態度、冷たい目、俗的な金銭欲、異様な食への執着。あまり良い点は挙げられないが、それでもタイメイにとって、ソウジンのある一点だけは確実な信頼が置けた。
「貧民街は見慣れていますから、俺が行きますよ」
怠さを隠さず頷くソウジンの、武力という一点にだけは。
街を歩く。
並び建てられた住居により陽の光が遮られ、どことなく景色全体が淀んで見える街。壁の石は傷が目立ち、ところどころ風化し砂利がこぼれ削れている。地面も整備が行き届かず、めくれ上がった石に土が混じり、逞しく生え踏みしめられた雑草が顔を覗かせている。
昔は大通りと同じく整地され石畳が敷かれていただろう名残が見て取れ、少々の歩きにくさに気持ち歩幅を狭めた。
「せんぱーい。私怖いんですけどぉ」
特に異臭はしないが、淀み詰まった空気が鼻に不快感を与えてくる。薄暗く、人が三人も並べばぶつかってしまうような道を男は歩いていた。
足音は極力立てず、静かに道を行く。
王都内警備兵に鉄靴などという立派なものは与えられないので、各々自前のものを履いている。ソウジンはその辺の店で買った革靴だ。魔物の革は履き心地こそ悪いものの、伸縮性に富み動きやすくできている。それなりに丈夫でもあるので重宝している。履き心地が悪いと格安で売られていたこともソウジンが愛用する理由の一つだ。
「……せんぱい。聞いてます? 無視はちょっと私も辛いかなって思ったりしますよ?」
「聞いているぞ。声がでかい。もっと小声で話せ」
ちらと後方を確認し、わざわざ貧民街の見回りに付いてきた女――ラブリィを一瞥する。
相変わらず奇特な女だと思いつつも、歩き方や周囲への警戒を片手間でやってのける部分には感心する。腐っても警備兵だ。隙だらけに見えるが案外そうでもないらしい。
「確かにもうちょっと小声にした方がいいかも?……きゃふふ、ソウ先輩ソウせんぱ――ちょ、え、ち、近くないですか? え、ええっ、も、もしかしてこんなところで私の魅力に気づいちゃったとか? わ、わぁぁ。さ、さすがの私でも心の準備くらいさせてほしいかなぁ、なんて」
「……」
「む、無言で何をす、るん…………? ソウ先輩?」
一歩近づき、女の肩に手を置いて細い首に指を宛てがった。ラブリィは変な反応を一切見せず、いつも通りによく喋ったままだった。違うのは普段より幾分控えめで顔が赤いことくらいか。こちらから距離を詰めることなどほとんどなかったから照れているのだろう。
しかし、ラブリィが隙だらけと言うのは見せかけでもなんでもなかったようだ。落胆と同時に、少々目の前の女が心配にもなる。
「はぁ……」
「むむ……ソウ先輩? 人のことドキドキさせて勝手に溜め息つくのは男の人としてどうかと思いまーす」
「悪かったな。だがラブリー」
「え、はい?」
「もうちょっと強くなれよ」
「きゃぅ……え、え? どういうことですかそれ? って先行かないでくださいよっ」
軽く肩を叩き、短いエールを送りながら先を行く。
既に貧民街に入っているのだ。元々何が起こるかわからないような土地なのだから、警戒に警戒を重ねて悪いことはないだろう。
「小声で歩けよ」
「わかってますよぉ。……きゃふふ、でもでも先輩、ふたりっきりです、ね♡」
「そうか? 俺のポケットを漁ってみろ」
「へ? はぁ、いいですけど……」
もぞもぞと手を動かす女。ソウジンは何を考えているのか、誇らしげに胸を張っていた。
「あの、これソウ先輩がいつも食べてる安いおやつですよね?」
「あぁ。俺たちは二人きりじゃない。こいつらがいる」
「はぁ……。もしかしてですけど、このおやつが人と言い張ってます?」
「人、というより仲間だな。わかるだろ?」
「わかりませんよ!」
「そうか。哀れな女だ。食うか?」
「食べませんー!!」
「なら俺は食うぞ。一人で食ってていいんだな?」
「別に――ってもう食べてる!?」
果物チップスを食べる。どんな場所で食べてもうまいものはうまい。乾燥し揚げられたそれは口内の水分を奪うが、果物の甘みと爽やかな風味で脳を満たす。素晴らしいうまさだった。
頬に視線を感じ、横を見る。ラブリーが物欲しそうに見てきていた。ソウジンと目が合うと慌てて目を逸らす。
「ふっ、ラブリー。口では何を言おうと、お前の身体は正直なようだな」
「そ、その台詞は私が言いたいやつ!!」
「ほら食え」
「むぐっ……」
後輩の口にチップスを詰め込み、自身も一枚口に入れ歩き出す。
「……おいひいですね」
「だろ。安くてうまい。保存も利く。人類至上最高の発明と言える」
「それは言い過ぎです。けど……せんぱい、もう一枚ください」
「あいよ」
「はむ……」
二人でもぐもぐと食べ歩きながら貧民街を進む。
これまでラブリーと共に見回りをする機会はそう多くなかったので、ソウジンの間食セットを食べさせる機会もほとんどなかった。
周囲の空気感とは裏腹に、やたら和やかな雰囲気で散策は続く。
貧民街に入り未だ十分少々だが、変わったところは見られない。
あるのは時折感じる警戒の視線と、貧民街らしい小さな物音だけ。会話はもちろん生活音すら格段に小さいのは、できるだけ物音を立てずに生きようとする弱い人々の習性だ。
音を立てれば強者に見つかる可能性がある。見つかれば弱者は搾取されるだけ。それを避けるための、貧民街で生き抜く処世術とも言える。まあ音を立てなくても見つかる時は見つかるが。
どうでもいいが、さっきから耳元でこそこそ喋りかけて息を吹きかけてくるのはやめてほしいと思う。
「にゃふふ、ソウ先輩が悪いんですよ? 小声で話せ、なんて言うから。私、先輩に近づくとドキドキしちゃうからあんまり近づかなかったんです。け、どぉ。先輩から"あーん"なんてされちゃったら断れないですよね……おやつおいしいし。んふふ……ほぉら、ふぅぅー……きゃふふ、せんぱーい、年下にこーんなことされて、どんな気分ですかぁ? もしかして気持ちよくなっちゃってます? もうー、いっつもそっけないのにほんとは私に好き勝手されたくてたまらなかったなんて……へ、ん、た、い、さん♪」
言いたい放題言われているし疑問点もあるが、とりあえず無視して海藻を食べさせておこう。
「むぐ!?……ん、これはこれでおいしい……」
ラブリィが調子に乗るのはいつものことだし、適度に無視しておけば勝手に拗ねていじけてくれる。今回はおやつで誤魔化した。こんなんで誤魔化されるとは扱いやすい女である。それにしてもラブリィ、貧民街の中でよくもまあ元気に食べて喋ってとしていられるものだ。
何が起こるかわからないのだし、今だって。
「っと」
「ん、ナイフですね」
「あぁ。錆びたナイフだ。……お前、急に冷静になるのな」
「え? あっ、わ、わぁ。ソウ先輩、私怖いですよぉ」
「……まあお前がそれでいいならいい。好きにしろ」
「にひひ、さすがソウ先輩わかってる。そんな先輩だから私好きなんですよねー」
「そうか。それはそうとラブリー、海藻はどうだった?」
「あ、おいしくて食べちゃいましたっ。もうひとっつくーださい。食べさせてくれます……?」
「しょうがねえ後輩だ」
「あーん……んふー、せんぱいご飯のことになると急に優しいですよねー」
飛んできたナイフを手渡し、追加で来たものをキャッチしてお手玉するラブリィに軽く肩をすくめる。機嫌よさげに海藻を咀嚼しながら鼻歌を歌っている。
隙だらけではあるが、どうもそれは俺相手だからなのかもしれない。ソウジンは急落したラブリィへの戦闘評価を修正し、要検討へと切り替えた。
少しは守ってやった方がいいかと思ったが、今ではその感情も薄れている。
錆びたナイフなぞ、手指を切れば面倒なことになる代物を軽々とお手玉をしている。洗練され、躊躇う様子一つ見せず軽々と熟している。手慣れた動きは意図的に行っているというよりも、手慰み、日常的にやっていた行動の一部のようにも見える。
ただの警備兵にできていいことじゃないとは思うが、どうでもいいかと切り捨てる。
自分含め、ラブリィもまた警備兵なのだ。
強いに越したことはない。守る手間が省けて楽ができる。それだけで充分だ。
当然のことだが、ラブリィはソウジンに一瞬でも守る対象だと思われたことに気づいておらず、それが覆されたことにも気づいていない。いつでも守って欲しいと思っている女ではあるが、自らの願いが成就しさらに潰えたことなど知る由もない。
「ソウ先輩ソウ先輩」
「あぁ」
「私、貧民街ってほとんど来たことないんですけど、結構ナイフとか飛んでくるものなんですか?」
「どうだろうな。俺の家には飛んでこないぞ」
「ええ……さすがに先輩のお家に飛んでくるとか言われたら、いくら私でも引きますよ。ついでに私と住みます? とか聞いちゃったり。あ、答えはいいです。もちろん一緒に暮らしたいですよね。きゃはは、私と一緒に住んで暮らして、同じ屋根の下二人っきりで……いったい何を想像したんですかぁ?」
「別にお前と暮らすのは構わんが、金は出さねえぞ」
「……先輩、素になると口調荒くなりますよね?」
「まあ、そうだな」
「ご飯とお金のことだけそうなるの納得いかないんですけど!」
「……」
「あ! 無言で逃げた! ソウ先輩の逃げ腰! 弱腰逃げ腰へっぴり腰っ。そんな逃げてばっかりでいいんですかぁ? 先輩の負ーけ、まーけ。ざーこざぁこ、ざこ先輩。金無し腰無し甲斐性なしのご飯なーし♪」
とんでもない罵倒を受けている気もするが気のせいだろう。
律儀に全部小声なのは本当にラブリィらしいと思う。しかもずっとナイフジャグリングを続けたままだ。二本から三本に増え、一切そちらを見ずソウジンの方を見ているのだから感心すら覚える。
それはそれとして。
「ラブリー」
「はーい? 何ですか? ざこざこ負け組ソウせんぱーい」
「お前、途中から何言えばいいかわからなくて適当言っただろう」
「そ、そんなことないですけど?」
「腰無しは意味わからないからな。あと、ご飯無しは許さねえ。もうお前と飯は食わん」
「え、や、やだ。ごめんなさい。謝るから許してくれます……?」
涙目上目遣い。ナイフは全部遠くの壁に刺さっているのが見えた。弱い悲鳴に軽い足音が遠のいていく。
ラブリィのことだから目の前の涙目も演技なのだろう。本物だろうが嘘だろうがどっちでもいい。ただ謝られれば別にいいことなのでさっさと頷く。一人の飯もうまいが、飯は二人で食べた方がうまいことも多いのだ。
辛気臭い場所を過ごした後なら尚更だろう。
「許す。許すから今お前が投げたナイフの先、追うぞ」
「きゃふふ……わかってますよぅ。行きましょっ、ソウ先輩!」
小声のさらに小声なお礼は聞かなかったことにして、ラブリィを追おうと……。
「ふむ……」
ソウジンは思っていた。気配は追えるし余裕はある。のんびり行ってもよさそうだなと。そしてもう一つ。
「……小腹が空いたな」
この男、大体いつも空腹である。
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