苦い病

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苦い病

 この世界は平和だ。戦争というものははるか昔あったようだ。じいちゃんのじいちゃんが経験しているということは家族から聞いている。人々は、生きてて気にすることはほぼなくなった。科学の進歩は偉大なのだ。ということを学校で習った。病気なんてほとんどは治る。スイッチを押せばご飯が用意され、家事はすべてロボットが行う。平均寿命は100をとうに超えた。科学はほとんど完成されたのかもしれない。


 マークは中学2年生だ。夢はパイロットである。地球と他の火星や木星とかを行ったりきたりする宇宙船のパイロットだ。成績はそこそこだが、運動はできる。そして彼は優しく、多くの友達を持つ。クラスには30人ほど生徒がいるが、皆が彼を人間的に好いている。まだガールフレンドなんてものはできたことはないが、そのうちできるだろう、と周りの人たちは彼を励ます。


 ある夏の日。蝉の鳴き声に包まれて、時間の間隔が分からなくなる頃。マークは、気になる女の子の素肌を横目に見ていた。


 「おはよ。」


 元気に挨拶してくれたのは、隣席のデヴィッドである。身長は高く、頭もいいやつだ。そんでもって、サラッとした性格だ。


 「新たな病気が50年ぶりに発見されたって。世界中で罹患者が急増中なんだって。知ってる?このニュース。」


 「ああ。なんか親が言ってたな。そんな深刻なのか?」


 「らしいよ。そのニュースばかり放送してる。」  

                                                                                   

 「大げさだな。」


 電子音のメロディーが鳴る。授業が始まり、会話は中断された。


 昼間の熱気が収まらないなか、下校時刻を迎える。学園前から電車に乗り、慣性力を感じる。独特の揺れのせいなのか、それとも暑さのせいなのか、彼は少し気分が悪かった。車内の電光掲示板には、デヴィッドが話していた流行病のニュースが流れていた。どうやら口にするもの全てが苦くなるという症状が特徴なようだ。それも耐えられないほどの苦みらしく、その部分が強調されていた。


 「変なの。」


 久しぶりに見つかった病気にしてはふざけた症状だと感じた。


 家の近くの駅で電車を降りて、そこから徒歩で帰宅する。やはり暑さは残っており、汗で服が肌に引っ付く。肌着をびちゃびちゃに濡らしながら家に向かって歩く。家の玄関に入ると涼しい風が迎えてくれた。年中一定の温度に保たれているこの空間は最も信頼できるものである。気分不良が少し中和された。


 リビングでは例の病気に関しての放送が流れていた。事は重大なようで、世界中がその病気のことでパニックになっていた。原因が分からず研究が全く進まないのだ。効果的な治療法もなく、世界中の医者が困っているようだ。


 ただ一つ分かっていることがある。それは、「悪事をした人が罹りやすい」ということだ。統計的に判明したようだ。刑務所は、苦みを訴える人でまみれ、餓死や自死する受刑者がほとんどなのだ。だたし、「悪事」の基準はいまいち分からず、健康な受刑者だっているというのだ。


 多少ふざけているようなその話は、発展しつくした科学が示した事実である。放送を目の前にしたマークも、世界中の人も、この病気の存在を疑っても仕方がない。むしろその病気の可笑しさは注目を集め、警戒を与える。


 そして何より、「悪事をした人が罹りやすい」という事実が、世界を真っ二つに分けている。「病気の研究を進めるべきだ」という人と「悪人が減り治安が良くなるから研究などするな」という人に。マークはどちらかといえば後者だった。悪い人はどのみち罰を受けなければいけないからだ。


 夕食時は、家族ともその病気について話した。家族の間でも意見は分かれた。食事後も気分が悪かったので早めに寝ることにした。



 一週間が経過した。罹患者も死亡者も増えている。マーク自身の気分不良は治らなかった。でも、マークはいつものように学校に行く。学校では何人か例の病気になった人がいるという噂がたっている。


 「おはよ。」


 デヴィッドがいつものようにさらっと挨拶する。マークも、少し遅れて挨拶を返す。電子音が授業開始を告げる。


待ちに待った昼食の時間になって、食事をとる。そして、マークは衝撃を受けた。苦いのだ。苦い。いつものパンが苦いのだ。とても食べられるものではない。あまりの苦さに大声が出た。


 「にがっっ」


 「え?苦いの?」


 隣にいたデヴィッドが聞き返す。


 「うん、苦いんだ」


 マークは、冷静に答えてしまった。「やってしまった」と思った時には、既に遅かった。周囲が騒ぎ始める。取り巻くざわめきが熱気となり、自分だけが冷たくなっていることが分かる。だんだん訳が分からなってきた。気づけば、騒ぎから逃げるように家に帰っていた。


 マークは両親に泣きながら話した。でもありえないのだ。マークは悪事を働いた記憶は全くない。例の病気だとは思いたくない。


 「絶対違う。僕は悪いことなんかしていない。」


 その言葉を繰り返しながら、病院に向かう車に乗っていた。


 病院につくと医者は悲しい顔で、こう言った。


 「流行りの病かもしれない…」


 マークは、そのまま入院することになった。


 5年後、マークはベッドから朝日を見ていた。何も口にできないので、常に点滴し、胃に直接食べ物を入れている。未だに根本的な治療法は見つかっていない。


 「僕が何をしたって言うんだよ。」


 無気力な声とともに、マークは火星行の宇宙船を窓越しに見ていた。船のフロントガラス越しにパイロットと目があった。さらっと、「おはよ。」と言われた気がした。

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