思い出は向日葵のにおい

 小学生の頃の私は実に平凡だった。勉強がすこぶるできるわけでも、運動神経が抜群にいいわけでもなく、誰かをいじめたり、いじめられたりすることもない。友達はそこそこいて、休み時間にはサッカーや鬼ごっこで遊び、たまに図書室で本を読むようなありふれた子供だった。

 でも、彼は違った。一九九九年の夏休み明けに転校してきた彼は、非凡というほかなかった。勉強も運動も抜群にできなかったのだ。でも、それは決して卑下しているわけではない。少なくとも私は、彼は本当は頭が良いのだと感じていた。いつも大人が読むような難しい本を読んでいたのだ。そして、それは毎日違っていた。何かの拍子に聞いてみたら、どんな本でも一日あれば読破できると言っていたのを覚えている。そんなこと、私は大人になった今だってできるかどうか自信はない。

 そして、彼はいじめられていた。ごく一部の人間からの軽度のいじめだった(そもそもいじめに度合いをつけることが間違っているが、便宜上の表現だ)。今では「いじる」と表現するのかもしれないが、当時もいまも私には「いじる」の度合いを大きく超えていたように思う。

 彼がいじめられていた理由は、においだ。汗臭い、屁が臭い、といったにおいではなく、何もせずとも発せられるにおい、体臭だった。私自身は、特に臭いと感じたことはないが、独特のにおいを発していたのは記憶にある。正確に言えば、「臭いにおい」ではなく「変なにおい」であるのだが、「変」というだけで迫害の対象になり得た。

 彼はスメル、などといった名で蔑まれ、いじめられた。香水をつける習慣のない子供にはなんとも酷な仕打ちだ。見た目は清潔だったし、きっと毎日風呂にも入っているようだったから、本人にできることなど何もなかったことだろう。もしも、私が彼なら、どうしていた? 

 彼は何をされても、何も仕返したりはしなかった。何事も苦とせず、平然としていた。当時の私はそう思った。いや、そう思いたかったのかもしれない。私も、何もしなかったのだから。彼自身が苦しんでいないのだから、他人の私がどうこうする必要はない。私はそう、自分に言い訳をしていたのかもしれない。

 私が彼と話をするようになったのは、十二月に入ってからだ。思えば、その頃には彼へのいじめがエスカレートしていたような気がする。私は放課後のキックベースで足首を捻挫していて、泣く泣く、その日の体育を見学することになった。

 彼は怪我をした様子はなかったが、十月からずっと体育を見学していた。運動ができないからだろうと私は勝手に勘ぐっていたが、本当のところはわからずじまいだ。

 クラスメイトが楽しそうに走り回る校庭を眺めながら、退屈が限界に達した私は、初めて彼に話しかけたのだった。内容は覚えていない。彼はどういう声をしていたのかも、思い出すことはできない。あれは本当に会話だったのだろうか? 

 私が覚えているのは一つだけ。彼はキャンディをくれた。見たこともないキャンディだった。

 小学校にお菓子を持ってくることは禁止されていたから、私は素早く口に入れ、静かにその背徳の美味を味わった。でも、それは到底旨いと呼べるようなキャンディではなかった。ゴムを溶かしてから固めたような舌触りの悪い食感で、変なにおいがした。

 私はすぐにそのキャンディを噛み砕き、たっぷりの唾液で飲み込んだ。

 旨かった。私は親指を立て、彼にそう言ったが、うっすら湧き上がる涙までは隠せていなかったような気がする。

 彼は笑った。私が彼の笑顔を見たのはそれが初めてだった。それはそれは、美しい笑顔だった。ルネサンス期の画家が描いたような芸術的な笑顔だった。

 彼はそれ以降、よくキャンディをくれようとしたが、私はなんとか食べずにすませた。彼は笑顔を見せることはなかったが、かといって悲みを浮かべることもなかった。

 キャンディを見ると、時々彼のことを思い出す。

 それから冬休みが来るまで、私と彼は時々図書館で本を読んだ。「時々」と言ってもその頻度はかなり少なく、他の友達と屋外で遊んでいたことの方が多かった。図書館にいても特別な会話を交わすことはなかった。ただ、空間を共有する時間だった。その奇妙な関係が、私は嫌いではなかった。

 やがて、冬休みに入り、新年を迎えた。世界は新世紀を盛大に祝っていた。

 休みボケしたままの身体で登校すると、彼の姿はもうなかった。また、転校したようだ。スマートフォンも携帯電話も存在していなかった当時の世界で、連絡を取る手段はない。私は人知れず落胆した。

 彼がいなくなって、いじめの対象がいなくなったいじめっ子たちが、どうしたのか。私は知らない。知りたくもない。そしてそのいじめっ子たちだけでなく、他の誰もがすぐに彼のことを忘れ、自分たちの世界を進めていった。それを眺めているうちに、私の心に空いた穴は大きく深くなっていった。

 だが、結局のところ私も他の誰とも変わらない。やがては、自分の世界を進んでいく。過去の多くを忘れ、未来に向かって進んでいく。私が立っているいまは、かつて私が目指した未来なのだろうか。そんなことを考えないようにしながら。

 彼の名前はユウ。「優」や「悠」ではなく「U」という発音だった。どういう漢字を書くのかは覚えていない。私の中には、彼は「ユウ」として存在している。

 どうして、ユウのことを思い出したのかというと、ジミーが花と言ったからだ。ユウは花の好きな少年だった。

 花の名前に詳しいといったふうではなかったが、花を愛でているときはとても幸福そうな顔をしていたのだ。

 二〇〇〇年の一月下旬、転校したはずのユウと一度だけ再会したことがある。

 私が放課後に通っていた図書館の敷地にある、花壇の前だった。彼は花のない花壇の前でじっと、微動だにせずに屈みこんでいた。

 私は声をかけて脅かしてやろうとこっそりと背後から忍び寄った。ワッと肩に触れる手前、私は固まったように動けなくなった。ユウの目の前に花が咲いていたのだ。

 それは綺麗な向日葵だった。

 まだ寒い冬の日だというのに、ユウの前の花壇には向日葵が咲いていた。当時の私も、向日葵が夏に咲くという知識はあったが、それとはすぐに直結しなかった。それでも、目の前の光景がどれだけ異様なことなのかはすぐにわかった。どんよりといまにも雪が降りそうな陰鬱な空と光り輝くたてがみを持つ向日葵は、存在だけでただならぬとわからせるには十分だった。

 黙りこくる私に、ユウが振り向き、小さく微笑む。美しくはあるが、どこか陰のある笑みだった。

 私はどうすることもできず、寒空にそびえる向日葵を眺めていた。

 気がつくとユウの姿はなかった。

 私は駆け回ってユウを捜したが、とうとう見つけることはできなかった。諦めて図書館に戻るとあの向日葵は跡形もなく消えていた。

 白昼夢。覚えたての言葉が私の脳裏を走った。

 いや、違う。土を触れば、確かに花が咲いていたことがわかった。それが向日葵なのかはわからなかったが。とにかく、これが私たちの最後になった。

 遠い未来、どうして「花」と聞いて「向日葵」を連想したのかはわからない。

 奇妙な出来事は連鎖するのかもしれない。

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