気まぐれな冷蔵庫は捨てられない

榊琉那@The Last One

少々精神を病んだ男が思う事

「お客様、何かお探しですか?」

「ん、冷蔵庫が壊れてしまってね。新しいのを探している。出来れば壊れた冷蔵庫の引き取りもしてもらいたいのだが……」

「畏まりました。どの程度の大きさのものを所望されますでしょうか?」

「ちょっと前に妻に先立たれてな。今は一人暮らしだ。そこそこの大きさでいい」


 一昨日、突然使っていた冷蔵庫が壊れてしまい、中の照明まで消えてしまった。ウンともスンともいわない。ご臨終だ。

 冷蔵庫がないと流石に生活に不便なので、出かけるのが億劫だと思いながらも、男は家電量販店へと足を運んでいた。そういえば昔は亡くなった妻にせがまれて、買うつもりもないのに、電化製品を見て回ったものだ。今はまるで顔を出さなくなったが。


「お客様、こちらのタイプは如何でしょう?新しい品番のものが発売されたので型落ちにはなりますが、性能は大きく違う事はありませんのでお得ですよ。今週中ならセール対象になりますので、更に値引きさせていただきますよ」


(売れなくなった在庫の押し付けか。気に食わないけど、デメリットもなさそうか)


 男は一言多いと言われるタイプの男だった。見かけ上は人の良さそうなタイプだが、その難儀な性格のせいか疎んじられていたようだ。その為、人と深い付き合いはしていない。そんな彼に文句を言いながらも従ってくれたのは、亡き妻だけだった。妻が亡き今、男はひとりぼっちで生活している。

 男は一人でいるのは何ともないと思っているのだが、自分も気が付かないうちに精神は蝕まれていたのだった。気が付かないうちに独り言が増えていたりしている。


「ん、これにしよう。いつぐらいに配達は可能かね?」

「ありがとうございます。それではあちらのスペースに移動していただいてよろしいでしょうか?」

 店員に促されてもろもろの話し合いをする。配達は翌日に可能との事だった。その時に壊れた冷蔵庫も引き取ると。まぁ処分料が別途かかるのは仕方ないか。店員はテキパキと処理をしてくれたので、ストレスは感じなかった。たまに運が悪い時は、いちいちモタモタしていてストレスを溜めるような店員に当たる事はあるが、今回は一切、そういうのは無かった。気分良く、男は量販店を後にした。

 配送も翌日には可能なのだと。流石に何日も冷蔵庫のない生活は不便だから、その辺は非常に助かったと思う。


 翌日は指定された時間通り冷蔵庫は配送され、作業員によって、これまたテキパキと設置された。

 最近の荷物の配送は、指定された時間帯も守ってくれない事が多い。働き方改革だか何だか知らないが、残業は極力減らせとか言われている。それでいて辞める人がいても追加は補充されない。仕事の負担が増えることになっても給料が上がるどころか下がるばかりだ。これではモチベーションが上がるわけなど無いだろう。だからいつの間にか、従業員や仕事の質が下がっていくのだ。男はそんな感じで余分な事を考えている。だから当たり前の事なのに、与えられた仕事をきちんとこなしてもらう事は、非常にありがたく思えていたのだった。


 故障した冷蔵庫は引き取ってもらい、代わりに新しい冷蔵庫がデンと居座っている。 以前使用していたものよりもかなり大きくなるが、購入した値段は寧ろ安いくらいだ。

「なかなかいい面構えをしているのではないか。これからよろしく頼むよ」

 男はそう呟き、満足そうに冷蔵庫を見つめていた。



 …………………………………



「何だこれは、まるで冷えていないではないか」


 確かに業者の人がセッティングをした時には異常はなかった。しかしながら今の段階ではまるで冷蔵機能が働いていないようだった。冷蔵庫の中の温度は、常温とさほど大差のないものだった。

「中に物を入れ過ぎたのが悪かったのか?」


 折角、大きめの冷蔵庫を買ったのだからと、男は久方ぶりに大量に買い物をしてきたのだ。すぐに食べもしないのに、調子にのって半額に割引された生もの、酒のツマミに丁度良さそうな刺身の盛り合わせ、期間限定で出店していた遠くの業者が提供していたキムチ等、何も考えずにポンポンと買い物かごに入れていった。そんな時は、亡き妻が『必要なものだけにしなさい』と口うるさく言っていたなぁ。でもすぐにその事を頭から追い出して、大量の戦利品を家へと持ち帰り、冷蔵庫に放り込んだのだった。その結果、刺身やキムチ等は生ごみ入れの中に放りこまれる事になってしまった。大丈夫そうなものはすぐに食べたりした結果、冷蔵庫の中は常温でも大丈夫なものや酒類だけとなってしまった。気力を失った男は、何もやる気がしなくなったので、ふて寝をしたのだった。業者に文句を言うのは明日にしようと。


「あれ?普通に冷えている。故障じゃなかったのか?」

 翌日、男は冷蔵庫を開けて確かめてみたら、問題なく冷えていたのだった。ビールや酎ハイの缶は、キンキンに冷えている。寧ろ今まで使っていた冷蔵庫よりもしっかり冷えていたのだ。

「あれは何だったんだろう?兎に角、不良品じゃなくてよかった」

 男はいちいち業者に文句を言うのも嫌だったので、ほっとして胸を撫で下ろした。そして再び、男は冷蔵庫が一杯になるぐらいの買い物をしてきたのだった。


「やっぱりダメだ。全然冷えていない」

 気が付いたら冷蔵庫の中は、またしても常温と同程度の温度になっている。冷蔵庫の中の温度の設定は、標準よりもやや冷える程度に設定してある。一体何が悪いのか。男は少し考えてみた。

「やはり入れ過ぎるのが悪いのか?」

 今度は、男は程々に買い物をしてきた。毎日のように買い物に出かけるのはいつ以来だろうか?妻が生きていた時は、それこそ毎日のように買い物に付き合わされた。一人になってからは、殆ど外には出かけなくなったものだ。まぁたまにはいい事なのだろう。


「今度は大丈夫みたいだな。でももう少し冷えてもいいぐらいかな」

 冷蔵庫の中に入れるものを吟味し、必要最低限のものだけを入れる様にしたら、普通に冷えるようになっていた。こんな気まぐれな冷蔵庫は見た事がない。

(命令された事しか出来ないものより、何となく人間味がある気がする)

 言ってみれば不良品のような冷蔵庫だが、男にとっては、愛着さえ感じられるようになっていた。気が付かないうちに寂しいと思っていたから、そう言う事を感じるようになったのだろうか?



 ……………………………………………



 男が冷蔵庫を購入してから暫くの月日が流れた。冷蔵庫は相変わらず気まぐれだった。しっかり冷えている時もあれば、時々冷えなかったりする。特に中にキムチを入れた時など、かなりの確率で冷えなかったりしていた。そういえば、妻はキムチのキツい匂いが嫌だって言っていたなぁ。そう思うようになってから、キムチを買うのは遠慮するようになった。



 そんなある日の事、冷蔵庫を購入した家電量販店から電話があった。何でも購入した冷蔵庫が、温度調整の不具合の苦情がいくつか入り、場合によってはリコールも検討するという事で、調査の為に回収したいとの事だった。成程、自分が買ったものだけではないのだなと。

 しかしながら、男は家電量販店の要請を断った。例え不良品だったとしても、何となく愛着さえも感じるようになった冷蔵庫は手放したくないと思っていたからであった。 それ以降、何度となく家電量販店からの電話があったが、男はその度ごとに断ったのだった。 ここまでくると意地と意地とのぶつかり合いのようなものであった。



 暫く経ってから、男の家のドアホンが鳴らされた。どうせ怪しいセールスの類かと思っていたが、何度もドアホンが鳴らされるのでうるさいと思い玄関のドアを開けてみた。そこには、威厳のありそうな二人の男が立っていた。その二人の男は、冷蔵庫を製造しているメーカーの社員であった。


「何かあってからでは遅いのです。何かある前に回収させてください。お願いします。」

 メーカーの社員の男たちは回収について力説し、深々と頭を下げた。今の段階では、温度調整の不良の苦情が寄せられている程度だが、場合によっては、火災に繋がる可能性もあると説明していた。だから出来る限り調査用のサンプルが欲しいと力説する。新品以上の値段で引き取るとも口に出している。


「話は分かりました。しかしながら愛着を持つようになった冷蔵庫です。今更回収には応じられません。お引き取りください」

「いや、しかし……」

「実際に火災が起こったっていう事例はあったのですか?」

「いや、可能性というだけで……」

「なら問題ないでしょう。もし冷蔵庫が原因で何かあったとしても、貴方たちのメーカーを訴えたりしない事を約束します。何なら念書を書いても構いません。どうしようもない不具合が出たら、必ずメーカーに連絡をします。だから、お引き取りください」

 もうこれ以上話し合いにはならないと判断されたのであろう、メーカーの二人組は大人しく引き下がった。


「何でこんなにムキになるんだろうなぁ」

 自分の事ながら、男は何でこんな行動をしたのだろう。そこまでムキになる程の事だろうかと。



 ………………………………



 あれから回収の話は来なくなった。流石に呆れられたのだろう。不具合のあるような冷蔵庫にこれだけ拘るなんて、おかしな人だと思われても仕方がない。


 それ以後も男は、愛着のある冷蔵庫と生活している。前は少しは感じていた寂しさは、もう殆ど姿を見せなくなっていた。何となく冷蔵庫と亡き妻が重なって思えてくるのだ。他人から見たら変な話だろう。


「いくら体型が似ているからって、妻と冷蔵庫を一緒に考えるなんて、自分はどれだけ捻くれ者なんだろうなぁ」

 独り言が多くなったのは相変わらずだった。


 男の生活には若干の変化が見えてきた。今までは積極的に料理などはしてこなかったのだが、『私が先に死んだら誰も料理を作ってくれないんだから、貴方も少しは料理が出来るようになったらどう?』という妻の言葉が頭に浮かんできた。そういえば、野菜室はまともに使った事なかったなと思い、少しづつ野菜を買ってきて調理するようにもなっていた。包丁を使うのは苦手だが、慣れない手つきで野菜を扱っていく。今までは主にカット野菜を使ってきたが、やはり新鮮な野菜の方がいいだろうと。まだまだ凝った料理は出来そうもないが、YouTube等の料理チャンネルを参考にしながら、レパートリーを増やそうとしている。


「ちょっとした手間をかけるだけで、結構ちゃんとしたものが出来るんだもんな。やってみると面白いものだな」


 そう呟きながら料理をする男。側に置いてあるスマホからは、YouTubeからの音楽が流れている。たまたまお勧めの動画で紹介されて興味を持った音楽。友川かずき(現カズキ)さんの『サーカス』という曲。中原中也さんの有名な詩に友川さんが曲をつけたもの。子供の頃に読んで記憶のある詩が、友川さんの曲と歌によって新たな姿へと変貌している。初めて聴いて以来、何度となく再生している。

 何というインパクトのある歌い方なんだと。世の中には色々な音楽があるものだと。ここでも新たな発見があった。因みに友川さんもライブではほぼ毎回、演奏しているとの事だ。



「冷蔵庫を買っただけなのに、こんな風景が見られるなんて、人生もまだまだ捨てたもんじゃないな」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

気まぐれな冷蔵庫は捨てられない 榊琉那@The Last One @4574

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ