雨、降りそうで

麗 音

雨、降りそうで

 「ありがとうございました~」


 店員さんの言葉を背に、店を出る。

 購入したホットスナックを器用に指の間で持って、財布のチャックを閉め、後ろポケットに仕舞う。

 何か頑張ったと感じた時、学校帰りにホットスナックを食べて良いことにしている。

 早速、切り取り線で分け、食べ始めようとしたところで傘を忘れたことに気付く。

 こういう瞬間をやけに恥ずかしく感じてしまう。

 誰も気に掛けてないかもしれないのに、辺りの注目が自分にだけ集まっている感覚になる。

 そんなどうでもいい恥に、少し耳が熱くなっている気がするが、何事もなかったような顔をして傘を回収する。

 さてようやくだ。

 買ったチキンを開け、食べ始める。

 確か前回買ったのは、中間テスト終わりだったと思う。



 『乾杯しようぜ!』


 『は?買ったのチキンだけど?』


 『チキンでも乾杯は乾杯なんだよ!ほら!乾杯!』



 うん。こんな感じだった。

 あの日食べたチキンが、なぜか泣きそうなぐらい美味しかったのを覚えてる。

 コンビニのあった通りから、細い道に入り帰路を進む。

 視界に映る空は眩しいくらい白く、ところどころの灰色が汚くさえ見える。

 朝からこんな天気で、予報も雨だったから傘を持ってきたが、結局降らなかった。

 乾いたアスファルトの灰色に、亀裂の黒さが目立つ。

 おなかが空いていたのか、あっという間に食べきってしまった。

 二つに分けた袋の片方に、もう片方を入れてなんとなく畳んで、ランチバッグに入れる。

 静かな道を一人で歩いていると、感傷的な音楽が聴きたくなる。

 最近、周りでは『泣ける』が流行っているらしい。

 ドラマで泣いた、映画で泣いた、小説で泣いた、漫画で泣いた、音楽で泣いた。

 とにかく皆よく泣いてる。

 泣く事は恥ずかしい事だと、ずっと思っていた。

 卒業式とかも、泣かないように努力していた記憶がある。

 頭上からカラスの鳴き声が聞こえ、見上げる。

 電線に留まっている二羽のカラスの黒が、空のせいで鮮明に映った。




 「今日自転車で来なかったの?」


 登校してくるなり、机まで来て声を掛けてくれる彼女。

 パーソナルスペースの狭さが、未だに慣れない。


 「雨の予報だったから歩いてきたんだ」


 「えっ。今日雨降るの?」


 「予報はね」


 「傘持ってこなかったよぉ……」


 そう言って彼女は、崩れるようにしゃがむ。

 行動だったり、表情だったり、感情を表に出してくれるおかげで見てて飽きない。

 もう一年程の付き合いだが、彼女のおかげで学校生活も退屈しなくて済んでいる。


 「なに盛り上がってんだー?」


 声とともに、ずいっと横から人が出て来る。


 「今日雨降るんだって、傘持ってきた?」


 「もちろん!折り畳み傘を常に持ってますんで」


 傘一つにここまでのドヤ顔が出来るのは、彼くらいだろう。


 「折り畳み傘なんて差しても結局濡れるじゃん!」


 「なんてってなんだよ!?お前が傘差すの下手なだけじゃねぇの?」


 「傘に上手いも下手もないでしょ!」


 「これがあるんだよな~。ってか俺のは折り畳みでも大きめだから大丈夫なんだよ」


 「えー。まぁ、大きいなら良いか」


 傘一つでここまで盛り上がれる彼らに、朝から大笑いさせてもらい、「良いかってなんだよ」と笑い交じりにこぼしてしまう。

 クラスが一緒だったから。席が近かったから。

 そんなどこにでもあるような縁に、本当に恵まれた。

 予鈴がなり、二人も自分の席に戻る。

 先生が教室に入ってきて、号令がかかる。

 見上げた空を埋める厚い雲は、雨が降るのか疑わしほど綺麗な白だった。


 今日の時間割は、午前中に主要教科が固まっていて、お昼までずっと教室でノートを取り続けることになる。

 先生の話を聞き、板書を写す。

 この繰り返しの中で、ふと視界に映る彼が、四限目にも関わらず起きていることに気付く。

 いつもなら三限目頃から、コクコクしているのに今日は真面目に授業を受けている。

 今朝彼を見た時、少し目が赤かったような気がしたから、寝不足なのだとばかり思っていたがそうではないらしい。

 思い返せば、彼は今日やけに元気が良い。

 テンションが高いのはいつも通りかもしれないが、心なしか嬉しそうな、幸せそうな感じ。

 それもいつもなのか?と妙な思考の迷宮に入ってしまう。

 同じく映る彼女の後ろ姿を見る。

 彼とは対照的に、彼女は少し大人しいような気がする。

 今朝の様子を見て、大人しいと感じるのも変だが、なんとなくそう思う。

 二人して迷宮に行ってしまいそうになった時に、チャイムが鳴った。

 視線を外に向けると、空の白は朝より暗い所が増えていた。




 「やっとお昼だー」


 彼は四限目が終わるとすぐに、弁当と一緒にやって来る。


 「ちょっと待って、すぐ片付けるから」


 「あいつ今日学食行くってさ。……ごめん、ありがと」


 今のありがとうは、机を空けた私にではなく、椅子を貸してくれた前の席の人に対してだ。

 当然のように椅子を空けた彼も、いつも通り財布を握りしめ購買へ走って行った。


 「珍しいね」


 「部活の人と食べるらしいわ」


 「そうなんだ」と相槌を打って、弁当を広げていく。

 いつもは机を三人で囲んでいるせいで、一人いない分の広さが寂しい。

 そう感じているのに、目の前で楽しそうに話をしている彼を見ていると、自然に笑えてしまう。


 「昨日のドラマもう見た?」


 「まだ見てない」


 「今日絶対見て。マジで泣けるから、涙出ないけどマジで泣ける」


 「嘘つき。本当は泣いたでしょ。朝、目赤かったよ」


 「あれは泣いたんじゃなくて、ちょっと痒かっただけだから!」


 必死に言い訳する事で、余計に本当っぽくなっている事に気付いてなさそうな所が彼の良い所だったりする。

 その後、当然のようにドラマのネタバレをしようとした彼を止め、話題はドラマから音楽、音楽から部活と止まることなく回っていく。

 だから、「ちょっとトイレ行ってくる」と言って、彼がいなくなると急に手持ち無沙汰になってしまう。

 何となくスマホに触るのは気が引けたから、英単語帳を読むことにする。

 時間を埋める為だけなせいで、単語も、意味も頭には入らず、聞いても意味の分からない周りの会話ばかりが入ってくる。

 そんな余計な情報に交じって、廊下から聞き慣れた二つの声が聞こえてくる。

 随分と盛り上がっているようで、友達であろう女生徒の歓声まで届いてくる。

 話している内容が分からない事にもどかしさを感じ、声の元に向かいたくなるが、最初の一歩が踏み出せない。

 躊躇していたのは一瞬だったのか、数分だったのか、彼が一人で教室に戻ってきてしまった。

 耳まで赤くした彼の顔には、笑いの余韻がまだ残っていた。


 「何盛り上がってたの?」


 食い気味な質問には、抱えていた不安が少し滲んでたかもしれない。


 「いや、ただ馬鹿なこと言ってるなってだけ」


 そう言って、また思い出し笑いをする。


 「今日なんか元気だよね、テンション高いって言うかさ」


 「マジ?結構違う?」


 「結構?ちょっとは違うかも。良い事でもあった?」


 「あぁ……あったと言えばあった。うーん。あった」


 彼にしては珍しくはっきりものを言わず、こちらを窺いながら話す様子に、早く言えと表情で伝える。


 「分かるっしょ~?ってか分かって欲しいよ」


 またもはぐらかす彼の視線が、ふと廊下へ向く。

 教室のドアのガラスの向こうには、友達と話す彼女が名残惜しむようにゆっくり歩いてる。

 それに気付きすぐに彼に視線を戻しても、彼とは目が合わなかった。


 「……分かった」


 「お!分かった!?そうなんだよね~」


 一層相好が崩れようとした瞬間に、予鈴が鳴り響く。

 弁当を持って早足で席に戻っていく背中を見送り、そのまま窓の外に視線を向ける。

 地面も濡れていなければ、雨の降る線も見えないのに、雲の厚さばかりが増していた。




 午後の授業は何があっただろうか、暇さえあれば外を眺めて、雨降りそうだなぁ。まだ降ってないなぁ。なんて考えていた。

 号令で立ち上がる度に地面を見て。

 座っている間は、雨の線を探して、たまに空に増える灰色を見つめていた。

 結局、終礼になっても雨は一滴も降らなかった。


 「またな!」

 「またね!」


 放課後になるなり帰ろうとすると、二人から声を掛けてくれる。


 「また明日!」


 そう笑顔で応えた。

 応えるのが精一杯だった。




 個人的に、雨はあんまり好きじゃない。

 勝手に、雨は落ち込むものだと思っているせいだと思う。

 傘だったり、水たまりだったり、視線が下を向くせいもあるのかもしれない。

 でも、曇りは案外好きだったりする。

 今日みたいな曇りは特に。

 決して良くない天気のせいで、気分も上がりきらず、思考も淀む気がする。

 でも、つい雨が降ってないか気になって、空を見上げてしまう。

 少し下向きな気持ちでも、視線が上を向く。

 ただの考え方だし、気の持ち方次第だろうけど、この考え方が好きだ。

 家に着き、外に出る用事もなくなってしまうと、途端に外に興味が無くなる。

 手洗いうがいを済ませ、リビングへ行き、テレビを点け、録画していたドラマを見る準備を整える。

 この日は、再生ボタンを押してから、一度も天気の事は考えなかった。




 「行ってきます!」


 次の日、快晴の空には雲一つなく、上がった湿度が肌に張り付き、少し不快だ。

 家を出て、それを振り払うように自転車を漕ぎ出す。

 灰色のアスファルトには、亀裂と水たまりの黒が交っている。

 突っ切って水が跳ねるのも嫌なので、黒は避けて進む。

 降った後の空気は、降りそうもない晴れやかな空気に置き換わる。

 痒くもない目が、再び痒くなることがないように願った。

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雨、降りそうで 麗 音 @leon0129

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