肆 鈴の刻印 その三
「コヤマさん。ちょっといいですか?」
後ろから突然声を掛けられた僕は、驚いて振り向きました。
そこにはシマダさんが、俯き加減で立っていました。
彼女は背が高かったので、当時背の低かった僕は、見上げるようにして彼女の顔を見ました。
多分シマダさんの顔を間近で見たのは、その時が初めてだったと思います。
近距離から見ると、彼女はとても可愛らしい顔をしていました。
色白で睫毛が長くて、鼻筋も通っていて。
「急に話し掛けてごめんなさい」
僕がシマダさんの顔に見とれていると、彼女は本当に申し訳なさそうに言いました。
「急にこんなこと言って、変だと思うかも知れないけど。今日この後、私の家に来てくれませんか?」
僕は、その突然の申し出に驚いて、文字通り絶句してしまいました。
「私とこんな風に話すと、コヤマさんに迷惑かけるのは分かっているんだけど…」
確かに周囲のあちこちで、僕たちを見て、クラスメートたちが何か言い合っていました。
それも気になりましたが、シマダさんの方がもっと気になっていました。
「でも、どうしても、うちに来て欲しいんです」
「そ、それはどんな用事なの?」
辛うじて僕は訊き返しました。
「それは今ここでは言えないんだけど、うちに着いたらちゃんと説明するから。お願いですから来てもらえませんか?」
そう言ってシマダさんは、切実な表情を顔に浮かべました。
その顔を見た僕は、結局断り切れずに、彼女について行くことにしたのです。
学校を出て彼女の家に向かう間、僕たちは下校する生徒たちの注目の的でした。
今でも思い出すと、顔が赤くなってしまいます。
シマダさんの自宅は、学校から歩いて十分程の所にある、小さなマンションでした。
彼女について中に入ると、電灯は消えていて、誰もいないようでした。
――女の子一人の家に、上がり込んでいいんだろうか?
その時僕は、妙にドキドキしていたのを覚えています。
中に入るとシマダさんは、キッチンにある椅子を僕に勧めてくれました。
「何か飲みますか?」
丁度喉が渇いていた僕は、彼女の言葉に肯きました。
シマダさんは冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出すと、透明のグラスに入れて僕に出してくれました。
そして僕の正面の椅子に腰かけ、話し始めました。
「今日は本当にごめんなさい。でも、どうしてもコヤマさんに聞いて欲しいことがあったんです」
そう言いながらシマダさんは、制服の左袖を捲り上げて、細い二の腕を見せました。
そこには小さな痣のようなものがありました。
「これ何に見えますか?」
僕はその痣をまじまじと見た後、「鈴?」と答えました。
「そう、鈴なんです。この痣は小さい頃に、いつの間にか出来ていて。これのせいで、私は今まで酷い目にあったの」
そう言ってシマダさんは、とても悲しそうな顔をしました。
「コヤマさんは、学校で私の噂を聞いているでしょう?私の呪いのせいで、あの人たちが亡くなってしまったっていう」
「知ってるけど。あんなのデマだよ。気にすることないって」
僕はそう言って励ましましたが、彼女は悲し気に首を振りました。
「半分事実なんです。もちろん私に、人を呪い殺すことなんかできないけど。この鈴はできるんです」
「鈴が?」
彼女が何を言っているのか、僕は意味が分かりませんでした。
「そうなんです。誰かが私に何かして、腕の鈴を鳴らすと、鳴らした人は、直後に必ず亡くなってしまうんです」
その話を聞いて僕は愕然としましたが、一方で妙に納得してしまったんです。
――あの時聞いた鈴の音は、彼女の痣が鳴った音だったのか。
「今までもそうでした」
シマダさんは、辛そうな顔で話を続けました。
「小学生の頃に、私を突き飛ばしたクラスの男の子は、その日の下校時に車に轢かれてしまいました」
僕は言葉を失くして、彼女の話を聞いていました。
「親に叱られて、八つ当たりで私のことを叩いた兄は、急病で亡くなりました」
「それはシマダさんのせいじゃないと思う」
僕は彼女を励まそうとしましたが、彼女は悲し気に首を振るだけでした。
「それ以外にも、何度も同じようなことがあったんです。両親もいつかそのことに気づいて、腫物を触るように、私に接するようになりました。学校もいくつか変わったけど、どこに行っても同じでした。今の学校のように」
僕はもう彼女に、何を言っていいか分かりませんでした。
「私もう限界なんです。これ以上この鈴のせいで、辛い思いをしたくない」
そう言ってシマダさんは、さめざめと泣き始めました。
彼女の気持ちは、痛いほど分かりました。
自分のせいじゃないことで、そんな目に会ったら、とても耐えられないだろうと思ったからです。
「昨日の夜、夢を見たんです」
突然シマダさんの話題が変わったので、僕はきょとんとしてしまいました。
「痣が言うんです。私から出て行ってやってもいいと」
そう話すシマダさんの雰囲気が変わりました。
「コヤマさん。あなたになら、移ってやってもいいと、痣が言ったの。だから」
そう言いながらシマダさんは右手を持ち上げました。
その手には、いつの間にかカッターナイフが握られていました。
そして驚いて言葉を失くしている僕の前で、カッターナイフの先を痣に当てて、皮膚ごと削り取ってしまったのです。
皮膚が剥がれた後の傷口に血が滲んで、とても痛々しく映りました。
それよりも、彼女が手に持った皮膚がうねうねと動いているのが、とても不気味でした。
「本当にごめんなさい。でも、受け取って」
そう叫んだシマダさんは、唖然としている僕に向かって、痣のついた皮膚を投げつけたのです。
それは僕の首筋に当たって、あっという間に僕の皮膚の一部になってしまいました。
くっ付いた部分が、ひどく熱を持っていたのを覚えています。
「何てことするんだよ!」
あまりのことに、僕はシマダさんを怒鳴りつけました。
しかし彼女は、「ごめんなさい」と言って泣き続けるだけでした。
そんな彼女を見ていると、僕の怒りは、急に萎んでしまいました。
彼女の行為は許せなかったのですが、一方でとても気の毒に感じたからです。
僕は泣きながら謝り続ける彼女を残して、黙って家に帰りました。
その日からシマダさんは学校に来なくなり、夏休み明けに担任の先生から、彼女が転校してしまったことを聞かされました。
僕の首に着いた痣ですか?
今でも残ってますよ。
でも場所が場所だけに、他人に動かされて鈴が鳴ることは滅多にありません。
そう一度だけありましたね。
高校1年の時、僕の顔つきが気に入らないと言ってビンタしたクラブの先輩が、一度鳴らしてくれました。
その先輩ですか?
その日のうちに、車に撥ねられて亡くなりましたよ。
改めて、鈴の呪いの恐ろしさを実感しましたね。
さて、僕の話は以上になります。
楽しんでもらえましたか?
了
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