第四話 二十分の刻 with お豆さん
ベタは、机上から景色を見下ろし、シャッターまでの道のりを思い描いた。
今いる机上を降りて、オイルでぎとぎとの床を駆けていく。人間たちに見つからないように、平積み段ボールの後ろを通ってレーンを横切る。レーンの反対側には別の机がある。その机上に工具箱があるから、人間たちの隙をうかがってその上に登り段差を二回超えればシャッターにたどり着く。問題は……。
ベタはシャッターからレーンへ目を向けた。
その各所には人間がいる。やつらの目を盗みながらたどり着けるか、もし見つかれば、すぐに机上へ逆戻り、いずれ電流が尽きてゲームオーバーだ。
「いい忘れていたが、他に帯電しているやつとは接触するなよ、ショートするからな。即死だ」
ベタはうなずき、机を飛び降りた。
オイルは粘着性があり、思いのほか滑りは悪かった。
重い身体を右へ、左へ、と動かしながら段ボール裏まで駆ける。オイルがぬかるんでいてかなり体力を奪われた。
動くのは大変だが、身体の
人間たちは作業に集中していてこちらに気づく気配は全くなさそうだ。
ようやく段ボール裏にたどり着くころには、身体に軋み音が出るほど疲れ切っていた。
L字型の角当て段ボールの影に身を潜めて息を整える。
まだまだ、先は長い。ベタは目をつむり意識を集中させた。
影の奥で話声がしていることに気づいたのは、調子が落ち着いて間もなくのことだ。
ベタは、何事か、と奥を覗くが何か見えるわけもなく、腰を上げて声のするほうへ歩いて行った。
しばらく歩いた先に光の差す一帯が存在していて、話し手はそこにいた。
随分とほこりが溜まっていて、そこが長らく人間も足を踏み入れていない地であることは容易に想像できた。
ベタは物陰から、会話の内容に耳をすました。だが、話しているのは天気がどうだの、気分はどうだの、あたり触りのない会話ばかりで、わざわざ来たことを後悔するぐらいだった。
隙間からどんなものか、と垣間見ると、そこでは導線の先が千切れた豆電球がひとつ、誰もいない空に向かってぶつぶつと独りごちている。
この豆電球がひたすらにひとりで、ぶつぶついっていたのだ。
ベタは、拍子抜けしたが、ずっと隠れているのも忍びないと思い、出て行って、やあ、とあいさつしてみた。
向こうは話を止め、こちらを凝視した。
「……まさか、話相手がいた!」
子犬が投げたフリスビーをくわえたまま尻尾をふって駆け戻って来るように、豆電球はベタに駆け寄った。
「信じられない、まだ話のできる友達がいたなんて」
豆電球は千切れた導線でぼくの両手をつかみ、何度も上下させた。
「ぼくは豆電球だ、まぁ見たとおりだよね、仲間からは豆って呼ばれてる、いや、呼ばれていたという方が正しいか、君はだれ、どこから来たの、名前は? もしかしてまだない? じゃあ一緒に考えよう、いいのがあるんだ、ずっと考えてたんだけどね、三つのうちから好きなのを選んでよ、きっと気に入るはずさ、一つは……」
「ま、待ってよ、名前ならあるって」
早口でまくし立てる豆におされながらも、ベタはここまでの事情を話した。
「電気はある?」
「電気って、フラッシュのことかい?」
「そう、ぼくは電気があれば光るんだ。……ここでの話もなんだし、そこに座って話そう」
「あの、豆電球さん」
豆でいいよ、と豆はいう。
「豆、だめなんだ、ぼくには時間がないんだよ。早くシャッターの所まで行って鍵を取ってこないと。彼女だって本当のことを知らないし、助けに行かなきゃ」
「彼女って、その、あるさんのこと?」
「そうさ。ぼくはあるに約束したし、彼女だってそこから逃げ出したい、っていって……」
ふと思った。あるは逃げ出したいなんて一言もいっていない。ぼくが勝手に彼女の様子からそう思っていただけだ。返事を訊く前にレーンからつまみ出されてしまった。もしかしたら、あるは逃げ出したいなんて思っていなかったかもしれない。それに、レーザーポインターを越えれば意思はなくなる。それまでのことも全て忘れる。ただの部品に戻る。それで全て丸くおさまるなら、このまま何もしなくてもいいのかもしれない。でも、それでは嫌だと思った。初めて、ことの
「仲間がいる、っていったよね」
ベタは、一旦話を変えることにした。
ふたりは、使い古されて、ただの紙きれと成り果てた紙やすりの上に腰かけた。
「仲間って、どういう?」
「もう、何年も昔のことだよ。ぼくにはカンっていう親友がいて、カンとぼくはふたつでひとつだった……」
豆は昔を語り始めた。それは豆にとって、大事な昔だった。
有機の檻 神崎諒 @write_on_right
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