第三話 フラッシュ
人間たちは、ぼくらには理解できない言葉を使っている。
同時に、ぼくらが使う言葉も、人間は理解できていない。それどころか、会話をしていることすら、わかっていない。彼らにとって、ぼくらはただの、もの、部品だ。
逃亡を試みたことが、バレたわけではないはずだが……。
ベタは、ラインから持ち出された後、机上に置かれ、そのまま野放しにされた。
机上でベタは、このあとの展開を想像してみた。
自分だけ、完成品のラインから外された、つまり、その一部にはなれない、ということだ。
このまま廃棄されるのか、別の完成品の一部となるのか、ばらばらにされるのか。
どのみち、彼女のもとには戻れない。ぼくは、彼女とここから逃げ出すつもりだった。
彼女の話を訊いて、意思をもったことの意味を考えようとした。なぜ、ぼくらだけなのか、そこには何かの意味があるのか、と。
だが、そんなことをいくら考えたところで無意味だ。現に、ぼくらは他のものにはない、意思をもった。それ以上でもそれ以下でもない。
彼女との出会いを、なかったことにはしたくなかった。
あるは、機械の一部になれるならそれでいい、といっていたが、ベタにはそうは思えなかった。あるの瞳に浮かぶ悲しさに、ベタは気づいていた。
彼女を救いたい、だけど……。
「――ぼくは、彼女に何をしてやれる?」
ベタは独りごちた。
動けない自分が、なんの役に立つのか。
人間の思うがままに動かされ、自分では何一つ身動きできない自分に、できることなんてあるのか。
ベタは、あたりを見まわした。
机上には、あるが教えてくれた、ねじやくぎ、ぼると、なっと、電子基板に、はんだごて、それと、名前のよくわからない機械がひとつ。
ベタは気持ちを落ち着けようと、深呼吸をした。
「あんたは、運がいい」
低い声がした。さっきの名前の知らない機械だ。
「自分の状況、わかってんだろ?まったく、羨ましい限りだ」
その機械にも意志は宿っているらしい。
なんてことなく話しているのが、何よりの証拠だ。
「運がいい? なんのことかわからないんだけど」
「とぼけんじゃねえよ、いらいらするヤツだな」
機械は頭を掻きむしった。
「わからないんだ、自分が何者で、今何が起こっているのか」
機械はベタを舐めるようにしばらく見まわしてから、溜息をついた。
「運はいいみたいだが、それを理解できていないってのは、最凶だな」
ベタはうつむいた。
「あのベルトコンベアに載っているのが、完成品の一部になるんだろ? それで、ぼくはそこから漏れた。このまま廃棄される」
機械は、目を丸くして、はぁ、そういうことか、と首を一周まわした。
「あんたは勘違いしてる。あんただけ、生き残ったんだよ。選ばれたんだ、人間に。あのレーンにあるやつらは、全て処分される。スクラップにされて、ごみくず行きだ。でも、あんたは違う。このまま、人間の装置の一部になるのさ。めでたい話だ。これで俺のいったことがわかったか」
ベタは機械を見つめたが、嘘をついている様子もない。だが、信じたくないのも事実だった。
「じゃあ、さっきの身体が半分だけのものも……」
「あぁ、アルファだろ? あれもだめだな」
「なぜ、彼女の名前を」
「なぜって、会ったからだよ。いつだったかは忘れたが」
ベタは、あるの話を思い出した。
「あなたが、フラッシュ?」
「だったら、なんだよ」
フラッシュは半眼でベタを見た。
「訊きたいんだけど」
興味なさげなフラッシュをよそに、ベタは続けた。
「赤いレーザーポインターは知ってる?」
おぉ、とフラッシュの瞳に興味の色が戻った。
「俺が維持させてんだよ、あれ。すげぇだろ。俺は電気を司るからな。もう、バッチバチだ」
フラッシュは顎を突き出した。
「あれを動かしているのも俺だ。もちろん、お前も動くぜ」
「動く? ぼくが」
「おぉ。もう、バッチバチだ」
ベタは、フラッシュの言葉を反芻した。
「君の電気を通せば、ぼくは動ける。そうだね?」
「だから、そうだって。いらいらさせんなよ」
フラッシュは、首を回した。
ベタは、フラッシュに続けていった。
「ぼくには、君、フラッシュの電気が必要だ。君の電気を貸してくれないか」
「あー、悪い。タダではムリだ」
フラッシュは、そっぽを向いた。
「あんたが、俺を自由にさせてくれる、っていうなら話は別だが」
「いいよ、自由にする。どうすればいい」
フラッシュは、笑みを浮かべた。
「向こうにシャッターがあるだろ、見えるか」
フラッシュが指す方向には、確かに小窓サイズのシャッターがある。ここから、六百メートルは先だ。
「そこの鍵をあけて、ペンチを持って来い。それを使ってこの鎖をぶっ壊すんだ。そうすれば、俺は晴れて自由の身さ。そうしたら、あんたは好き勝手どこにでも行くがいい」
フラッシュの足元は、鉄製の鎖で拘束されていた。鎖は赤さびがついていて、年月の経過を感じる。
「悪くない取引だろ? どうだ、やるか」
ベタはうなずいた。
「やるよ。ただ、ぼくが動けるようになってから、君を助けずに、この場を去ってしまうとしたら?」
フラッシュは、また笑みを浮かべた。
「この工場からは出られない程度の電流さ。もし、そうすれば、あんたは電気が切れたところを人間に見つかり、またスクラップのレーンに逆戻り。そのへんは、ちゃんと計算してるに決まってるだろ。俺を助けずに、そのままトンズラ、なんて、しゃれにならないからな。もし、助け出してくれりゃあ、電流なんていくらでもくれてやるよ」
「君を自由にした後で、電気をいくらでもくれる、っていう保証は?」
「そいつは、信じてもらうしかないね。悪いけど、この世に絶対なんてない。でも、あんたには、やらない、なんて選択肢はないはずだ。これ以外に動けるようになる方法はないからな。どうする、やるか、やらないか」
ベタは、フラッシュを信じることにした。
「わかった、やるよ」
こうして、バッチバチの交渉は幕を閉じた。
フラッシュの掛け声とほぼ同時に、ベタの全身に電流が流れる。
ベタは瞬く間に自由の身になった。
フラッシュは、工場の天井にぶら下がっている円時計を指差す。
「
現在、長針は、二を指している。
二十分間の猶予だ。
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