【第3章】第1話「新しい生活の始まり」
今日も日差しが強い。外に出たとたん、サキトは目が眩んだ。ディックはカーティの小屋で寝ている。昨日の夜から昏々と意識を失ったように眠り続けている。
ドームで逃亡中に知り合ってから、日を重ねるごとに、ディックの顔色は悪くなっていた。サキトから体調について尋ねたことは一度もなかったが、それなりに彼も気にしていた。
「どっかの病院から抜け出したみたいなんですよ。今は無理をさせないほうがいいですね」
明け方ごろ、カーティが診療所を訪れたカヤに報告しているのをサキトは聞いた。そのときはカヤと顔を合わすのが嫌で、寝たふりをしていたのだが。
「いってらっしゃい」
小屋の中からカーティが声をかける。あんたは働かないのかと問えば、看病する方が優先だと言われた。
ここへ来てからカーティの働いている姿を一度も見たことはない。どうも釈然としないまま、サキトは畑へと向かった。
「お早うございます」
畑へ向かう途中、カーティの隣に住む少女が、声をかけてきた。
カーティが邑中を案内したときに、ちらっと遠目に見かけた顔だ。忙しそうに水を汲んでは往復していたから、何となく覚えていた。
今日はサキトと同じで畑仕事をする日なのだろうか。細い肩に、農機具や肥料などの入った重そうな荷物を背負っている。
それを見て、そういえば隣の家には老夫婦とこの子しかいなかったなと思い出す。
「手伝ってやるよ」
そう言うと、サキトは少女がかついでいた重そうな荷物を引き受けようとした。
「あ、それは・・・・・・」
少女が止めようとしたが、サキトはすばやく取り上げて自分の肩にかつぎ上げていた。
「く・・・・・・」
予想外の恐ろしいほどの重さに、サキトは思わずうめいた。足元がふらつきそうなのを必死に押さえる。
「大丈夫ですか? 慣れてないと重いでしょう? やっぱり私が持ちましょうか」
「いや、いい」
とてもこの少女がかついでいたとは信じられない。それでも、サキトには男としての意地がある。持ちやすいように荷物を持ち替えて、何とか歩きだした。
「サキトさんって力持ちなんですねー」
感心したように、少女は呟く。あんたの方がよっぽど力持ちだ、と内心思いつつサキトは少女と一緒に畑に向かう。
「あんた、いっつもこんなの運んでるのか?」
どちらかというと華奢な部類に入る少女に、サキトは話しかける。少女はにっこり笑ってうなずいた。
「はい。あ、私はレフィーって言いますー」
珍しい名前に、サキトは改めてレフィーを見た。あらゆる民族の血が混ざり合っているのか、パッと見ても見当がつかない。
褐色の肌に、濃い茶髪。そして紫の瞳をしていた。
そういえばカーティも変わった色の持ち主だったな、とサキトは思う。
「じゃあ、私は自分の畑に行ってきますね」
畑に着くと、レフィーはお礼を言って荷物を受け取った。
これから何をしようか、とサキトが考えていると、ふいに誰かに名前を呼ばれた。
振り向くと、会いたくないと願っていたプライムの統率者カヤがいた。もうすでに鍬で畑を耕している。
「暇なら手伝ってよ。それとも坊やには無理かしらねえ」
カヤが挑発とも取れる言葉をサキトにかけてきた。しかしサキトは、もう二度とケンカを売る気はなかった。あんな屈辱はもうたくさんだ。
「仕方ねえな、手伝ってやるよ」
せいぜい恩を着せがましく言うことで、気分を紛らすことにした。
ところが。この畑を耕すのが、また一苦労だった。
畑と言えば聞こえはいいが、まだまともに開拓してない荒れ地である。
岩がごろごろしている上に、土自体がとても固い。鍬を振り下ろせば、カチンという音が返ってきたりする。
「こんなとこ、本当に畑になるのかよ?」
「畑にするために頑張ってんじゃない。ここはあんたたちの分なんだからね」
カヤの言葉に、サキトは思わず手を止めた。
人口が増えた分、新しい土地が必要になるのは分かる。けれど、まさかその土地を統率者である彼女自ら耕してくれるとは思っていなかった。
これでは、『手伝ってやってる』のはサキトの方ではなく、カヤの方だ。
決まり悪げにサキトが黙り込んでいると、カヤは少し呆れたように言った。
「ーーあ、勘違いするんじゃないわよ。私がここを耕しているのは、病気で寝ている坊やのためよ。あんたの分までは働かないからね。さっさと手を動かしな」
「わかってる」
サキトはぐっと唇をかみしめると、また鋤を振るいだした。
慣れない作業に、血豆ができる。血豆がつぶれて手が赤く染まっても、サキトは休もうとしなかった。
「そろそろお昼どきだね。悪いけど、午後は用があるから私は抜けるよ。レフィーがあんたの分までお昼用意してたから、適当に休んで食べな」
カヤは自分の使っていた農具をしまいながら、サキトに声をかけた。
立ち去る前に、ふとサキトの顔をしみじみと見つめる。
「な、何だよ」
サキトは思わず後ずさった。
「あんたさ―サキトだっけ。けっこう根性あるじゃない。ちょっと見直したよ」
「はあ?」
何だよそれ、とサキトは悪態をついたが、案外照れていたのかもしれない。
そこへレフィーが雑穀のおにぎりと飲み物を持ってきたので、日陰に移動して昼食をとることにした。
「あ、サキトさん、怪我してるんですか? 先に手を洗った方がいいですよ」
レフィーがサキトの手を見て、湧き水のあるところへと連れていってくれた。
「ここの水って、大丈夫なのか?」
サキトは思わず尋ねたが、レフィーは聞かれた意味が分からないのか、首をかしげている。
「俺のいた旧東京都じゃ、生水は消毒しなきゃ使えないんだ」
「まあ、不便ですねえ。私はそういういうこと分かりませんが、たぶん大丈夫だと思いますー。みんな使ってるし」
どうも不安な返事だったが、サキトは思い切って水に手をつけた。
「痛っ」
想像以上にしみる。
レフィーが横からのぞき込んでいることもあって、それ以上声を上げるのは我慢した。
「本当に痛そうですね。ちゃんと消毒したほうがいいですよ。お昼食べる前にカーティさんに、診てもらいましょう」
「ええー、あいつに?」
サキトが嫌そうな顔をして言うと、レフィーは不思議そうな顔をした。
「カーティさん、治療はうまいんですよ。信じてください」
そう言ってレフィーは優しく笑った。
サキトはため息をつき「わかったよ」としぶしぶ応じた。
診療所に戻ると、カーティが出迎えた。
「どうしました? またケンカでもしたのですか?」
カーティは冗談めかして言ったが、その目は真剣だった。
「いや、畑でちょっと手をやっちまっただけだ。大したことないけど、一応」
そう言ってサキトは手を差し出した。
「あんたって見かけによらず医者としては信頼されてんだな」
「失礼な。血豆くらい治せますよ。まあでも……腕はよくても、薬も設備も揃ってない場所じゃ、救うものも救えませんけどね」
一瞬、カーティの顔が陰った気がした。カーティは「それよりも」と言って、サキトの手首をつかんで引き寄せる。
「とりあえず消毒しましょう。ここじゃドームと違って危険な菌もいますからね。……おっと、これは随分としみそうですねえ」
楽しげにそんなことを言うカーティに、サキトは思わず呆れた顔をする。
「あんた・・・・・・楽しそうだな」
「そりゃあ、人の痛そうな顔を見るのが好きで、医者になったんですから」
冗談とも本気ともつかない口調で、カーティは答えた。思わず身を引こうとするサキトに、うきうきした顔で尋ねる。
「ええっと、ものすごーくよくしみる方法としみない方法とどっちにします?」
「しみない方法に決まってるだろ」
当たり前のこと聞くな、と言いかけたサキトは、にやりと笑ったカーティを見て、身の危険を感じた。
「ちょっと待て。しみない方法ってのはまさか・・・・・・」
「古典的な方法ですよ。こうやって嘗めとけば治るってね」
カーティはちらりと舌を出して見せた。
「うわあああ! 待てってば。しみる方でいいよ。しみる方で」
サキトが悲鳴じみた声で言うと、カーティは白衣のポケットから消毒液を取り出した。
最初からそのつもりだったようだ。
からかわれたのだと気づき、サキトは腹を立てる。しかしその気持ちは長くはもたなかった。
「はーい、我慢してくださいね」
いきなりカーティがサキトの掌に消毒液を振りかけたのだ。
「ーー痛ええええっ!」
まるで火がついたようにしみた。思わずサキトが手を引っ込めようとするのを、カーティがすばやく押さえ付ける。
「まだでしょ。包帯巻かないと」
言うが早いか、あっと言う間にサキトの手をぐるぐる巻きにする。
「本当は少し乾燥させた方がいいけれど、また午後からも働くんでしょ? 帰ったら巻き直して上げますね。はがすときが、また痛いですよ」
心底楽しそうなカーティを見て、彼がさっき言った『医者になった動機』が冗談ではないと理解する。
サキトは手当てが済むとさっさと小屋を後にした。触らぬカーティに祟りなしである。
PRIME REGION 秋初夏生(あきは なつき) @natsuki3mr
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