【第2章】第3話「招かれざる移住者」
二人は、カーティに連れられて診療所へと向かった。
村の外れにある診療所は、こぢんまりとした木造の建物だった。
外壁は古びた白い漆喰で覆われ、屋根は古びた瓦が重なっていた。小さな窓からは明かりが漏れ、外からは治療所の暖かな灯りが見える。
診療所という看板が掲げられた小屋の入口には、白いカーテンのような布切れが風に揺れていた。
入ってみると、広めの待合室には古びた椅子と小さなテーブルが置かれ、やわらかな照明が部屋を包み込んでいた。
「診療所という看板はありますが、今は私と通いの助手が一人しかいないんですよ」
「おや、先生。お帰りなさい」
診療所の奥の部屋で、一人の女性が掃除していた。年の頃は四十歳くらいだろうか。サキトたちを見てもさほど驚いた様子はなく、静かに頭を下げた。
「ただいま。彼は新しく来た子でね」
カーティは、サキトとディックの方を軽く示す。女性はにこやかに微笑むと、診察室へと向かった。
「今のが助手のナディアさんです。さ、君たちもこっちへおいで」
カーティが促すまま、サキトとディックの二人は診療室へと入る。
消毒液の匂いがつんと鼻を突いた。ディックが不安そうにサキトにくっついてくる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ」
カーティは笑いながら、診察室のドアを閉めた。それから、サキトとディックに椅子を勧めると、自分は診療用の回転椅子に腰掛けた。
「さて。君たちの事情はだいたいわかっています。ですが、一応確認させてくださいね」
カーティは穏やかな口調で話し始めた。
「適合ワクチンは打ってきましたね?」
「ああ、ドームを出る前に」
サキトはぶっきらぼうに答えた。ディックも、はいと一言だけ答える。
「では、ワクチンの副作用は?」
「大丈夫だよ」
とサキトは答えた。その言葉に偽りはなかったし、実際その兆候も見られなかったのだが、カーティの顔は険しいままだった。
「サキト君は確かに大丈夫そうですね。しかし、ディック。君は適合ワクチンを打ったにしてはかなり免疫力の低下が見られますね」
ディックは申し訳なさそうにうつむいた。
「あの、ボク、ずっと病院にいたから。院外に出るのも久々で……」
「まあ、その辺はおいおい慣れてもらうしかないでしょうね。サキト君のほうは大丈夫そうなので」
カーティは診療用のメモ帳に何やら書き込むと、ぽんと閉じた。
「さあ、ではワクチンについて教えましょうかね」
「その前にさ」
サキトは身を乗り出した。
「適合するとかしないとかよくわかんねーんだけどさ、そもそも何でそんなもん打つわけ?」
「ドーム内は空気清浄システムで大気中の有害物質を取り除いていますからね。その環境に慣れた人間にしてみたら、外の世界は毒が多すぎるんですよ。そこでワクチンを注射することによって、外気への適応を促しているわけです」
「ふうん……でも、適合しなかったらどうなるの?」
「それを防ぐために、私がしばらく君たちの面倒を見ることになってるわけですよ」
なるほどと頷きかけてから、ふと診療所に来る前にカーティが言ってたことを思い出す。
「じゃあ、さっきのは嘘だったのか?」
サキトが思わず食ってかかると、カーティは悪びれた様子もなく笑う。
「おやおや、嘘つき扱いだなんて酷すぎます。理由はひとつとは限らないでしょう」
「あのなあ……」
サキトが言いかけた時、ナディアが戻ってきた。
二人の寝床や当面の生活スペースの用意ができたらしい。
彼女は今から夕食を作るらしく、アレルギーなどで食べられないものがないかを確認してから出て行った。
さてと、とカーティは立ち上がって資料を片付けた。
「だいぶ外も涼しくなりましたし、邑を案内しましょうか」
サキトとディックは簡単な手書きの地図を受け取り、カーティに連れられて診療所を後にした。
邑の中には大きく分けて住居のエリアと農業のエリアがあるようだった。カーティはまず畑へと向かった。
痩せ細った畑は、作物が思うように育たず、村人たちは日々の糧を得るのに苦労しているのが一目でわかる。荒れ果てた大地には雑草が広がり、鬱蒼とした林がその背後に広がっていた。
「あの辺りが邑の中心部です」
そう言ってカーティが指差す先には、小さな川が流れており、その傍らには住民たちが集まる広場があった。
広場の真ん中には古びた井戸があり、子ども達がせっせと水を汲んでいた。
「生活水は、井戸から汲んできてるんだね」
ディックがぼそりと言った。
サキトは無言でうなずく。ふと空を見上げると、青かった空は茜色に染まりつつあった。カーティが歩き出すので二人も後に続く。
広場から少し離れたところに、衛生アンテナのついたコンテナハウスがぽつんと建っていた。
「あそこは?」
「政府が建てた、ドームとの通信施設です。普段は集会所や資材置き場、資料室としても使われています」
カヤさんは普段あそこで仕事をしていることが多いんですよ、とカーティは付け足した。
広場から少し歩くと、診療所もある小さな家が密集したエリアに戻ってきた。どの家も窓は小さく、日当たりはあまりよくなさそうだ。
「診療所の近所くらいは顔合わせをしておきますか?」
「ああ」
カーティはサキトとディックの二人に、近所を簡単に案内した。
どの家も似たような藁の屋根の造りだ。粗末な木の扉を叩くと、年老いた小柄な女性が顔を出した。
「あらまあ、先生! お久しぶりねえ」
彼女はカーティを見るなり、ぱっと明るい表情になった。
「こんにちは、シホさん」
カーティも笑顔で挨拶をする。後ろにいる二人の少年に気づき、シホの表情がやや曇った。
「あら? 見ない顔のお客様ですね」
「ええ、今日からこの邑に住むことになったサキト君とディック君です。よろしくお願いします」
「まあまあ、そうでしたか。こちらこそよろしくお願いします」
シホは物珍しそうに二人の少年を見る。サキトは「どうも」と軽く頭を下げ、ディックは「こんにちは」と返した。
「二人とも、この人はシホさんです。困ったことがあったら何でも相談するといいでしょう」
「私にできることがあるかしらねえ」
シホはそう言いながら、サキトとディックを交互に見る。
「それにしても……こんな小さな子達がねえ……」
しみじみとした口調でシホは言ったが、その口調にはどこか皮肉めいた響きがあった。
三人はそれから、数軒の家に立ち寄って住人に挨拶をした。診療所の隣の家に住む同年代の少女は親しげに挨拶してくれたが、他はどの住人たちもシホとあまりシホと変わらない反応だった。
ひととおり挨拶回りをして診療所へ引き返そうとしたとき、一人の中年の男性がカーティたちの方に近づいてきた。
「やあ、レオンさん。お久しぶりです」
カーティは朗らかに挨拶をしたが、彼は険しい表情をしていた。
「カーティ、また新しい連中を連れてきたのか?」
サキトとディックに冷ややかな視線を向けながら、レオンは不機嫌そうに言った。彼の目は、これまで出会った他の住民とは比べ物にならないほど、敵意と警戒心に満ちていた。
「この村にはもう十分な口がある。余計な問題を持ち込むな」
「問題ってそんな」
カーティは弁解しようとしたが、レオンはその言葉を遮った。
「俺は前からお前やカヤに言ってるはずだ。これ以上ロクでもなさそうな余所者を邑に入れるなってな」
サキトは思わずムッとしたが、ディックが無言で袖を引いたので口をつぐんだ。
「レオンさん、彼らは……」
「何か面倒事が起きたら、お前もカヤも関係ないでは済まされないぜ。俺はもう関わるのはごめんだからな」
そう言って踵を返すと、レオンはそのまま立ち去ってしまった。
サキトとディックが恐る恐るカーティを見ると、彼は困ったように笑っていた。
「すみませんね。ちょっと気難しい人なんですよ。でも悪い人ではないので……まあ、そのうち何度か会えば慣れますよ」
また顔を合わせることがあるのか、と早くも憂鬱になりながらも、サキトとディックは頷くしかなかった。
さすがに二人とも、自分達の置かれた状況を理解し始めていた。
診療所に戻ると、すでにナディアは自宅へと帰った後だったが、夕食はきちんと3人分用意されていた。
テーブルの上には、干し肉と野菜のスープ、豆の炒め物、そして雑穀の粥が並べられていた。
「今日はこれでも品数が多い方なんです。まあその……豪勢な食事とは呼べませんが、どうぞ遠慮せずに食べてくださいね」
カーティは申し訳なさそうに言った。
サキトは、見慣れない料理に困惑の表情を浮かべた。干し肉と野菜のスープを一口すすると、強い風味と独特の味に眉をひそめた。
けれど、ここではこれ以上に贅沢な食事など望めない。自分たちの境遇を受け入れるしかないのだ。
「お口に合いませんか?」
「いや、大丈夫だ。俺たちも慣れないといけないんだろう」
サキトはそう小声で答えて、スープを少しずつ飲み続けた。
ディックも同じように「ありがとう、カーティ。気を使わないで」と微笑んで答える。
しかし、彼は食が細いのか、干し肉のスープを少しだけ口に運んだ後、静かにスプーンを置いた。
炒め物には手をつけず、後は雑穀の粥を少しずつ食べるだけだった。
夕食後、二人は診療所の奥の用意してもらった小さな部屋へと通された。
二つの簡素な木製のベッドが並んでおり、それぞれに清潔なシーツと毛布が整えられていた。
ベッドの脇には、小さなテーブルとランプが置かれており、夜間でも手元を照らせるようになっていた。
窓からは、村の静かな風景と遠くに広がる砂漠の夕暮れが見えた。
「しばらくはここで寝起きしてください。簡素なもので申し訳ないですが、少なくともゆっくり休むことはできると思いますよ」とカーティは言った。
ディックは疲れたように早速ベッドに腰掛けてから、ホッとしたような表情を浮かべる。
サキトは部屋を見回し、少し戸惑いながらもベッドに近づいた。
「こんなところに泊めてもらうなんて、思ってもみなかった」
そう小さな声で呟く。質素ではあるけれど、彼にとっては今までで一番良い寝所だった。
カーティは二人に微笑むと、部屋を後にした。
静かな夜が訪れる中、サキトとディックは今日のできごとを思い返しながら、次第に深い眠りへと落ちていった。
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