第3話 お願いだから触らないで

「ああ天にまします我らの主よ。はぁ、光の御心のマルセールよ、すうう……我らの、すうう……道を照らした、すうう……まえ」



 うん、祈言は純粋なマルアク教徒のもの、発音も綺麗だ。



「すうううううううううう」



 てかさっきからめっちゃ吸ってない? 普通に怖い。


 それに、なんだ? こいつ跪いてるのにちょっとずつ俺の方に近寄ってきてないか?



 俺はアリサの方をよく見る。その姿は熱心に祈っている信徒そのものであり、動いている様子はない。



 ……気のせいか。いつもとは違うタイプのやつだから変に疑り深くなっているだけだ。



「影の御心のアクラムよ、我らの罪を濯ぎたまえ。そして、その美しい……美しい」



 流れるように出ていた言葉がはたと途切れた時、俺は気づく。アリサがうっとりとした視線を俺に向けていることを。

 それは、誓って神に向けるようなものではなかった。




「なんて美しい剣なんでしょう……!」




 そして、俺は気づく。アリサが寸前まで迫っていることを。



 は、なんでこいつこんな近くに……



 俺の思考が答えを出す前、アリサは祈りの手を解きするりとその人差し指を剣身の表面に走らせる。手のひら全体で楽しむように俺を撫で、満足そうに恍惚とした笑みを浮かべる。



「この透き通るような刃、手触りもすごくいい……! これはアダマンタイト?オリハルコン?いや、それ以上の純度と密度……! この世の物とは思えません……!」



 何度も何度も何度も、繰り返し繰り返し俺を撫でる。


 ひいいいいいいいいいいいいいいいいい!!! 手つきが、手つきが気持ち悪い!

 何なんだこいつは!!!


 そのアリサの異常行動を、そばにいたルベロイは愕然としながら見ていた。



「それに、この清涼感溢れる香り……! すうううう……はあ! 幾千もの戦場を超えた剣だというのに、血や魔力の雑味がない、それでいて存在感がある! いつまでも嗅いでいられます!」



 匂いを嗅ぐな!


 クソ、見誤っていた……! こいつは信心深い修道士なんかじゃない! 剣に欲情するいかれた女だった……!

 いや分かるわけないだろ! 態度が急変しすぎなんだよ!



「さて、味の方は……」



 は、味?



 アリサはすっと手を引っ込め、代わりに口からちろりと舌を出す。そして、ゆっくりと顔を近づける。



 え、やめて。やめて! 舌近づけないで! 聖剣舐めるとか馬鹿じゃないの!?


 た、助けてルベロイ~~!!



「皆さん! アリサ様を抑えてください!」

「「「はい!!」」」



 聖剣に舌を近づける異常者を前に、ようやく正気に戻ったルベロイはシスターたちにアリサを取り押さえるよう命じる。シスターたちは手際よくアリサを拘束し、俺から遠ざけてくれる。


 危なかった……ありがとうルベロイ、ありがとうシスター! あと一秒遅かったらと思うと……!



「な、なにをするんですか!」

「なにをするんですかってこっちのセリフです!」



 シスターに手足を抑えられたアリサは意味が分からないといった顔で抵抗している。どうして被害者ぶれるんだ。見ろ、ルベロイも困惑してるぞ。



「その、アリサ様、なぜこのようなことを」

「なぜって、祈っていただけですが?」


「……祈りにはその、剣を舐める、といったような行為は不要と思いますが」



「ははっ、わかっていませんねルベロイ殿。剣の良さというのは見た目や使い心地だけでなく、その構成物質も関わってくるのです。どの鉱石をどの程度、そしていかにして組み合わせ混ぜ合わせるかによって剣は一振りごとに表情を変えるのです」


「はぁ……」



 こいつ、手足抑えられているのにペラペラとよく喋る。



「私はただ知りたいのです。聖剣がどのようにして作られているか、どんな素材でどんな技術を用いて創造されたかを、この舌で」


「……舌で舐めたところでわからないと思うのですが」

「私にはわかるんです!」



 怖い。怖いよ、さっきから何を言っているか全く分からない。ただ恐怖だけが伝わってくる。剣を舐めても使われている素材なんて分かるわけがない。だというのに、こいつの目がマジだから心の底からの言葉だってことがわかるのがもっと嫌だ。



「ルベロイ殿、よく考えてください。神話の時代から存在する聖剣にどのような歴史があるのか、聖剣を振るう勇者ならば知っておくべきではありませんか! そこのシスターもそう思いませんか!?」

「わ、私!? あの、勇者様はまだ聖剣をお抜きになっておられませんよ? 選ばれた勇者かどうかはわかりませんので……」



 アリサは自分を拘束しているシスターに急に話を振る。シスターは困惑しながら律儀にアリサの話に答える。



「ダメですエレン、離してはいけません!」

「ひゃ!」



 けれど、それはアリサの罠だった。アリサはシスターの力が緩んだ一瞬のスキを見逃さずに拘束を解き、すぐさま走り出す。


 慌てて阻止しようとするルベロイたちの手をかいくぐりながらアリサは俺の元にたどり着く。迫る様は昔見たゾンビそのものだ。


 そして、俺の前に立つと鼻息を荒くし、口元によだれをだらだら垂らしながら手を伸ばす。



「はっは……せいけん~~!!」



 ひいいいいいいいい!



「だ、だいじょうぶだから。一舐めすれば満足するから……!」



 やめろおおおおおお! 俺に触れるなあああああああああ!



 だが、台座に突き刺さっている俺に抵抗するすべなどない。アリサは舌を近づけながら俺の柄を握る。



 カシュン



「え」

 ……え?



「だ、大司教様! 大変です!」

「なんです!? 今こっちも大変な状況なんですが!!」

「聖域の結界が消失しました! たった今!」

「はあ……はあ?」



 聖域には聖剣を守るための結界が張ってある。


 その結界の消失、つまるところ意味は一つしかない。



 ……そんな、ありえない。それだけは、それだけは絶対にないと思っていたのに。



「あの、ルベロイ殿」

「なんですか!」



 怒気を混じらせながらアリサの方を向くルベロイ。しかし、ルベロイの顔から一瞬にして怒気が消え、代わりに世界の終わりのような表情が浮かび上がる。


 なぜか。アリサが手に持つ”それ”を目にしたから。



「……聖剣、抜けちゃったんですけど」



 アリサの手には、台座から抜かれた聖剣があった。



 ああ、神よ。俺はあなたを心底敬愛していて、今まで尽くしてきたじゃないか。


 なのに、どうしてこの特殊性癖変態女を選んだんだ……!



 俺を手にして佇むアリサに、言葉を失うルベロイとシスターたち。


 静寂に包まれる聖域。それを打ち破るように外から一人のシスターが慌てたようにやってくる。



「失礼いたします大司教様! 魔人が街に、エルスレアに降り立ったとの報告が!」




――――――――――――



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