赤くない部屋

牧瀬実那

該当の事件は記録に存在しません。

板天井に文字が刻まれている。


クローゼットの上をふと見上げたときに気が付いた。背が高いクローゼットの直上にびっちりと刻まれているのに、部屋を借りてから数ヶ月間全く気が付かなかった。


一度認識すると、文字は天井いっぱいに刻まれていることがわかった。

怪談によくある「たすけて」「いたいよ」「おかあさん」「ごめんなさい」の他に「〇〇はそんなことを言わない」「だから✕✕を連れ帰った」「見た瞬間彼女は△△だと思った」など、複数人の言葉がある。繋げればひとつの話になりそうだ。

思わず文字を辿ると、新しい文字が刻まれていくのが見えた。

削られたばかりの木の白さで出来た文字は、誰も居ないのに今なお音もなく刻まれている。

ようやくこれはヤバいと思ったが、既に遅かった。

文字が告げる。

「△△はどこかに居る」「お前が△△かもしれない」「だから、試す」


何をと思う間もなく、急にテレビが点く。

知らないニュース番組の特集でアナウンサーとコメンテーターが言う。

「父親である○○は――が生まれる前に亡くなったんですね。夫をひどく愛していた母親の□□は彼の死に錯乱しました。結果、お腹に居る――を○○だと思い込んだんですね」

「だから――に厳しく当たったと」

「はい。――が少しでも○○と違うことをすれば厳しい折檻をしていました」

「この経験が――が一連の誘拐事件を起こす一因になった、と」

「或いは」


画面が唐突に切り替わる。


大量の血が飛び散った部屋。中央にふたつの人影。ひとりはずんぐりした男で、こちらに背を向けて足下を見ている。もうひとりは男の足下で仰向けに転がっていた。顔はこちらを向いている。女の子だった。

気付けば文字は壁にまで刻まれていた。

「どうして」「あなたも」


全て読む前に部屋を飛び出していた。

宛もなく走り、コンビニに駆け込む。

やる気のない店員の挨拶に、そこそこの人。陽の光。

現実があった。

上がっていた息と共に落ち着きが戻ってくる。家に戻りたくなかったのでコンビニ内をぶらついた。

雑誌を手にし、その表紙には先程テレビに映った光景と文字が書かれていた。

「いかないで」「やだ」「いっしょにいて」「△△かどうかはすぐにわかる」


あとはどこに行っても同じだった。

文字はどこに行っても書いてあった。


部屋に戻ったのは、どこに居ても変わらない、と考えたからではなく、文字が自分の家族への言及を始めたからだった。

自分以外へも波及するのは流石に申し訳なかった。もしかしたらもう手遅れかもしれないが。

部屋には女の子が立っていた。俯いている。壁には血が飛んでいた。

女の子が怨嗟とも泣き声ともつかない声を上げながら近付いて来る。言っていることは全くわからなかったけど、無意識にこう言っていた。

「わかるよ。寂しくて怖いよな。そういうときは仏様を心に思い浮かべると守ってくれるって昔テレビで言ってた。効くかわからないけど一緒に唱えてみる? 聞いたことがあるかもしれない。ほら、ナムアミダブツって」


そこで記憶が途切れている。


気が付くと部屋の真ん中に座り込んでいた。

天井は白い壁紙で覆われていて、文字は無い。そうだ、うちの天井は打ちっぱなしの板じゃない。そもそもうちではなかった気さえする


全部夢だったんだろうか。


ただなんとなく、それからは部屋に一輪挿しの花を置いている。

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赤くない部屋 牧瀬実那 @sorazono

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