日本国を最初に統一した饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
千田寛仁
第1話 饒速日命をご存じでしょうか。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、別名を大物主といい、読んで字のごとくに物主の長、天津神国津神双方の軍事の最高責任者であられました。幼名は布留(フル)です。
日本国を最初に統一した方であり、最後の天照大神(アマテラスオオミカミ)でもあります。
また、1400年の長きに渡って三輪山平等寺(ミワサンビョウドウジ)で本尊として祀られている仏でもあります。
天理の石上神宮では、第11代垂仁天皇の頃から饒速日命の8代孫の物部十千根大連(モノノベノトヲチネノオオムラジ)によって祀られています。
饒速日命がお生まれになったのは、桜井市の笠であり、成人後は九州を治めに行ったり、鳥海山のほうへおもむきになられたりとご苦労多い方であられました。東北に御判した部下に、阿遅鋤高彦根(アヂスキタカヒコネ)といい、大国主の息子で迦毛大神(カモノオオミカミ)と呼ばれる人がおられます。その人は京都府下鴨神社の祭神賀茂建角身神であられます。
饒速日命の素性は、思兼命と天照大神大日孁貴(オオヒルメムチ)の皇子、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と栲幡千千姫命(タクチハタチヂヒメノミコト)の長男で皇子であられます。弟は邇邇芸命(ニニギノミコト)といって、九州に天孫降臨した人物で、饒速日命が治めた九州に赴任して大山祇神の娘鹿葦津姫(カシツヒメ)と結婚して、九州を治めておられます。
邇邇芸命の孫の佐怒彦(サヌヒコ)は饒速日命の孫娘の伊須気余理姫(イスケヨリヒメ)と結婚し、後世に初代天皇「神武天皇」と呼ばれています。
饒速日命の皇后は、活玉依姫(イクタマヨリヒメ)といい三嶋湟咋(ミシマミゾクイ)の娘であります。三嶋湟咋は元々の奈良地方の支配者でありました。また、この頃の奈良の三輪山の主は三嶋湟咋の息子の登美明国(トビノアキクニ)といって俗には長髄彦と言われております。
石川県金沢にある三輪山の名称を奈良県の三輪山に移し、饒速日命は三輪山平等寺の旧本堂跡(現在春日社)のあたりに御住みになられました。
性格は温厚で、軍事の長でありながら、武力による支配を好みませんでした。皆平等に公正に納得のいくまで話し合い、平和裏にことを治めていくので、誰からも愛され、今もなお信望が篤いのです。581年、聖徳太子8歳の折り、百済から来た観音像を饒速日命と頂礼して三輪神社に納めていた像を祀る寺を三輪神社の上方に祀るようになったのが三輪山平等寺の始まり大三輪寺(オオミワデラ)の創始です。
饒速日命は皇室の日嗣の徴である十種神宝を継承しておいでになられ、ひふみの祝詞を後世に残しておられます。
元来この国では、三輪山を所有した者が国を統理する習わしでありますが、三輪山は垂仁天皇の御代、出雲教の侵攻に遭遇し、鏡を志摩郡磯部町千田(後に持統天皇の御代に伊勢神宮内宮建造)に、皇祖饒速日命の御霊を石上神宮に移しています。仏教者は、皇祖の御霊は三輪山で祀らなくてはならないとして、三輪山平等寺で皇祖饒速日命の霊を祀ってきました。
平安時代には、弘法大師空海が境内に遍照院を建て、伝教大師最澄が、当山参学の後に京都の大比叡に大物主(饒速日命)を分霊して延暦寺を起こしました。
鎌倉時代に、慶円(キョウエン)は、仏教と神道の大事を修する宗教施設として、三輪社を拡大し「三輪明神」(ミワミョウジン)を起こしました。そして、三輪山平等寺は、三輪神社、大御輪寺、浄願寺を一元管理する別当寺院として、明治4年の廃仏毀釈まで運営されてきました。
その三輪山平等寺や藤原家の菩提寺多武峰妙楽寺を復興したのが、私の父丸子孝法です。
日本全国饒速日命の子孫であることを前提として、丸子も、聖徳太子第三皇子麻呂古親王の末裔であり、麻呂古(まるこ)は、政難を逃れて山形県に行きました。そして拠点とした神山が立石寺すなわち山寺です。
清和天皇の勅命で慈覚大師円仁が立石寺を開山するより以前に、丸子の一族が、山寺を守ってきて、実に天台宗初代座主の義真や、四代座主の安慧は丸子家の方でした。
織田信長公に比叡山を焼き討ちされた後、立石寺の法灯を比叡山に納めたことや、東大寺大仏建立の金2700kgを採掘して納めたのも丸子のなせる技でした。
出羽国一ノ宮の大物忌神社があることをご存知の御方もございましょうが、丸子家が崇敬し、お仕えしてきたのが、三輪の神すなわち饒速日命なのです。
饒速日命は、日本全国の先祖であることから、寺社にても、どなたの家でも、各自いる場所で、想像して会うことができるのです。皆様どうぞ、何もなくとも、力添えを得たい時には、饒速日命を思い出すようにしてみてください。饒速日命を想像する時、饒速日命はあなたの胸の中に祀られているのです。
ひふみ祝詞を覚えたい人には、教えています。
時間の無い人は、「千田寛仁 ひふみ祝詞」で検索されてください。
人間誰しも最期は呼吸が困難になります。その時、ひふみ祝詞を意識で唱え
復調するのを待つことが大切となってきます。
神道の奥義中の奥義ですから、覚えるようになさって御活用になられますように。
日本国を最初に統一した饒速日命(ニギハヤヒノミコト) 千田寛仁 @hirohito33
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