第36話 胎動

 復興のすすむエリガリアの都を、街と荒野を隔てる城壁から見下ろす人物がいた。


 その人物は、すり切れた漆黒のローブを身にまとい、深くフードをかぶって顔が見えないようにしていた。昼であるにも関わらず、夜闇の最も暗いところから這い出てきたかのような、暗黒の存在だ。


 微動だにせず、ただじっと、街の人々が働くのを見つめていた。


 ほどなくして、その人物に近寄るものが一人。茶色いマントを着た旅人のような出で立ちだが、その顔立ちは超然としていた。灰色の長髪と、青い瞳が印象的な美青年――だが、見ようによってはずいぶんと年老いても見えた。


 黒いローブの人物が、地の底からき出てくるかのようなしわがれた声でつぶやいた。


「『うつわ』は去ったが、まだ失われてはいない。取り戻すか?」


 その言葉の意味を吟味するかのように、年齢不詳の美青年はしばらく黙り込んでいた。やがて肩をすくめると、けだるそうな声で答えた。


「いや、いい」


 黒いローブの人物はやや驚いたかのように、年齢不詳の灰色の髪の男の方を見た。


「始祖の血脈どうしの血を引く、希有けうな『器』だぞ?」

「確かにね」


 灰色の髪の男は、苦笑いを浮かべた。


「興味深い“実験”だったことは認めるよ」


 そう言いながら、あまり興味を引かれないかのように両手を頭の後ろで組み、空を見上げた。


「けれども、期待に反して、あの子は『器』たる力は持ち得ないと思う。意外なことに」

「……そうなのか?」


 黒いローブの人物は、いぶかしげだった。


「ああ……あの子に、大した魔力は宿らないだろう」

「ふむ」


 黒いローブの人物は、あごに骸骨のような指を当てた。


「……もっとも、あの子の”子どもたち”の代まで考えると、話は別かも知れないけど、僕には興味がないね」


 灰色の髪の男は、両手を頭の後ろに組んだまま、つれなくささやいた。黒いローブの人物が残念そうにため息をつく。


「……それが本当だとするならば、『北の素材』に期待するしかないな」

「そうだね。その方が、面白そうだと思う。もうあれは――」


 と、灰色の髪の男は王都の背後にそびえ立つアリグナン山脈の峰々をみながら、乾いた声で言った。


「いらない」


 黒いローブの人物も、その視線を追い遙か山々の稜線りょうせんを見つめた。


 そして視線を横に戻したとき、年齢不詳の灰色の髪の男はもうそこにはいなかった。


 黒いローブの人物は、小さくため息をついた。


 慎重に慎重を期しながら、長く暗い道を歩いてきた。他の者よりも多くの時間があるとはいえ、無尽蔵というわけではない。


 暗黒の力は胎動しつつある。


 次こそはとの暗い期待を秘めながら、彼も胸壁のうえから姿を消した。




(あとがき[3部構成]へと続きます)

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