第35話 相討つ双璧

 ポーリンは馬に乗り、アリグナン山脈に深く分け入っていた。


 むき出しの岩肌の険しい山にそって、一本道が続く。向かうのは、ブランウェン家の避暑地であった山中の秘密の場所だ。すでにカラレナとリザはそこにかくまっている――生きている石像リビングスタチューの護衛付きで。


 しかしポーリンには、そこへ向かう前に片付けるべき用事があった。


 岩肌の壁に囲まれた、少し広めの空間に出たところで、彼女は待ち人を見つけた。


 サントエルマの森の魔法使いであることを示す紋章の入った白いローブを身にまとっている。まだ若いが白髪で、竜のたてがみのような豪奢ごうしゃさを持った髪だった。顔貌も彫りが深く人間離れしている。そのとなりでは、大鷲がのんびりと羽を休めていた。


 ポーリンは立ち止まった。


「大鷲で先回りして、私を待っていたのね。クレイ・フィラーゲン、〈白髪の美丈竜〉」


 ポーリンの声は、どこか昔を懐かしむような響きを秘めていた。


「私の大鷲は、無事にサントエルマの森へ戻ったかしら?」

「……恐らくな。だが、必要があれば、呼び戻そう」


 フィラーゲンは重々しく言った。


 ポーリンの目が、フィラーゲンのローブにつけられたバッヂに向く。


「猫の目……森の長もご覧になっていたというわけね。どこまで知っているの?」

「おまえは、サントエルマの森を危険にさらすことはしなかった、ということだ」


 フィラーゲンの言葉は、どこか説得するような響きを秘めていた。


「……森へ帰ろう」


 ポーリンは苦笑した。


「いいえ、私はもうサントエルマの森には帰れない、いろいろな意味でね」


 どこか寂しげだが、迷いのない声。


 フィラーゲンは食い下がった。


「いや、だめだ。私とおまえと、二人で、次の時代を作り上げていくと言っていただろう? 森の長も、我々のことをサントエルマの森の『双璧そうへき』と評価してくださっていた。森には我々が必要だ」


「……いつも飄々ひょうひょうとしているあなたが力を入れて言ってくれるのは面白いけれど、私は森の掟に反した。結果的にサントエルマの森に迷惑はかからなかったのは幸いだったけれど、私はコヴィニオン王国の未来に大きな影響を与えすぎた。だから、あなたが私を追放して、サントエルマの森の長になる、この形が最善よ。それで、秩序が保たれる」

「いやだ」


 子どものように感情的に否定するフィラーゲンを見て、ポーリンは思わず笑い声をあげてしまっていた。まるで、弟を見ているかのようだ……


 笑いを抑えると、今度はポーリンが説得するように熱を込めて話しはじめた。


「あのね、クレイ。私は、サントエルマの森の研究の日々よりも、もっと大切な仕事を見つけてしまったの。それはもしかしたら、未来の魔法使いたちの運命を、大きく変えるかもしれない重要なこと……分かってちょうだい」


 フィラーゲンの意地と、ポーリンの意地が衝突する。


 しばらくポーリンの鳶色の瞳を凝視していたフィラーゲンであったが、となりにいる大鷲の首を撫でると、空へと飛び立たせた。


 そして、再びポーリンに向き直る。


「ならば、私を倒していけ」


 “竜のような”としばしば言われる凄みのある気迫をみなぎらせて、フィラーゲンは言った。


「私とおまえと真剣勝負をして、勝った方がサントエルマの森の長になる者を決めるという約束だった。勝負はずっと延び延びになっていたがな。今日という日は、ちょうど良い日だ」


 そう言って、猫の目のバッヂに触れた。


「証人はサントエルマの森の長、ローグ・エラダン。私が勝てば、おまえをサントエルマの森に連れて帰る。おまえが勝てば、好きにしろ」


 ポーリンはため息をついた。


「……そういうことじゃないということを言っているのだけど」


 あきれたようにつぶやいてから、鳶色の瞳に好奇の火が灯った。


「まあ、いいわ。いちどあなたとは真剣勝負してみたかったしね」


 そう言って、戦いの構えをした。


「けっこう」


 フィラーゲンの瞳にも、生気がみなぎる。


 白いローブと黒いローブを着るサントエルマの森の最高の魔法使いたちが、相討つために向き合った。両者とも、みなぎる緊張感とともに、どこかうれしそうな表情を浮かべていた。まるで、夢と希望に満ちてサントエルマの森にやってきたばかりのころのように。




 その至高の戦いを、ローグ・エラダンは猫の目を通して目撃した。


 それは、サントエルマの森の叡智えいちと技が凝集された、芸術でもあった。


 二人の魂が火花を散らすそのさまは、あまりにも美しく、あまりのも尊く……


 エラダンは胸がいっぱいになり、思わず涙ぐんでしまうほどであった。


 エラダンは、その勝負の結末について、語ることはなかった。けれども事実として、クレイ・フィラーゲンはサントエルマの森の長に就任し、ラザラ・ポーリンは森を去った。


 そうして、サントエルマの森の新しい時代が、はじまったのである。



◆◆◆

〈白髪の美丈竜〉クレイ・フィラーゲン VS 〈サントエルマの影の使い手〉ラザラ・ポーリンの挿絵:

https://kakuyomu.jp/users/AwajiKoju/news/16818093082315776509



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る