第34話 復興へ向けて

 夜が明けて、エルガリアの街にもたらされた惨状が、次第に明らかになった。


 街の何カ所かが、神がその手で大地をすくい取ったかのようにえぐれ、建物だったものの灰燼かいじんが周囲に散乱していた。特に、役人や下級貴族の暮らす区画の損壊がひどく、復興には長い歳月が必要と思われた。


 狂気の暴竜レジナルド・ハサンによってひとたび踏み潰されたエリガリアの街は、アドナ・ブランウェンの手によってさらに深く傷つけられる形となった。


 そして、コヴィニオン内戦による人の損失は、建物の損失以上に深刻であった。


 コヴィニオン王国を支えた四大公家たいこうけはほぼ壊滅し、コヴィニオン王国の武力を担う騎士たちも、その多くが命を失っていた。


 幸か不幸か、カザロスが王となるのにあたり、障害となるものはほとんど見当たらなかった。競争者となりうる血筋の者も、カザロスが王になることを快く思わぬ有力者たちも、ほとんど死んでしまったからだ。


 王になったとしても、カザロスが受け継ぐのはほぼ空っぽの王国だ。街は破壊され、農地は荒れ、兵力も激減した。コヴィニオン王国の周囲に暮らす魔物たちが再び力を増し、王国の再興に暗い影を落とすこととなるだろう。


 ほとんど死んでしまった騎士たちのなかで、ギヨム卿が生き残ったのは、カザロスにとってせめともの幸運であった。


 苦難の未来は、ゴブリン王チーグにも降りかかろうとしていた。


 コヴィニオンへ連れてきた兵はかなり失われ、リフティに連れて帰ることができるものは半減した。王国の戦力は弱まり、国境の警備は長期にわたって脆弱ぜいじゃくなものとなるだろう。南東の荒れ地に暮らすホブゴブリンたちが、国境をさらに活発に侵すかも知れない。


 コヴィニオン王国との交易路の確立は、数少ない果実の一つとなるが、双方が弱体化した状態では、満足な交易が行える見込みもない。


 頭の痛い状態であった。


「コヴィニオンへ来たことを、後悔している?」


 ポーリンは、生き残ったゴブリン兵を広場に集めていたチーグに話しかけた。


「……さあな」


 チーグは緑色の目をポーリンに向けた。


「何が良くて、何が悪いかは、人生が終わるときにしか分からない。むかしおまえは、そう言わなかったか?」

「ああ……」


 ポーリンは昔を懐かしむようにわずかに微笑んだ。


「『良いと思っていたことが悪いことになるときもある。悪いと思っていたことが良いことになるときもある』」

「そうそう、そんな感じだ」

「……父の手紙に書いてあったことで、覚えている数少ないことだった」

 

ポーリンはしみじみと言った。


「そういえば、けっきょく、父上には会えたのか?」

「会えなかったけど、贈り物はもらったわ」

「そうか」


 チーグは微笑んだ。こういうとき、彼はまるで人間のように感じる。稀なゴブリンだ。その後、ポーリンは王城へと向かった。


 元老院の生き残りとの会談を終えたカザロスは、疲れた様子で大広間のソファに座っていた。昨晩の出来事以来、会うのは初めてだ。


「次の王の選出のために、『そなた以外にも大公家の生き残りが残っているか、くまなく調べろ』だって」


 カザロスはいつもの屈折した笑みを浮かべながらつぶやいた。


「生き残った元老院とはすなわち、レジナルド・ハサンに協力していた者たちだからね、まったく節操せっそうのないことさ」


 カザロスは右の手のひらを空へむかって広げた。


「……あなたは思った以上に、政治家が向いているみたい」


 ポーリンの声は、さみしげな響きを含んでいた。


「妹が死んだことを、そうも早く割り切れるなんて」

「姉さん……」


 カザロスはため息をつき、頭を左右に振った。何か言おうとするが、ポーリンが手で制する。


「ええ、分かっている。あなたの方が付き合いが長く、アドナがどんな子だったか、私の何倍も詳しいでしょう。そのうえでの判断だった」


 ポーリンは抑揚のない声で言った。自分がいまどんな感情なのかも、理解しかねていた。


「私が割り切れるようになるまでは、まだ時間がかかりそう」


 カザロスは複雑な表情を浮かべながらポーリンを見つめていたが、やがて別の話を切り出した。


「……そういうわけで、次のコヴィニオン王が決定するまで、一波乱あるかもしれない。めいっ子、カラレナは姉さんが預かっていてくれた方が、たぶん安全だ」

「そうね」


 ポーリンはため息まじりにつぶやいた。


 コヴィニオン王国に来るまでは全く予期していなかったことだが、いまや特別な血脈を継ぐというカラレナ・ブランウェンの成長を見守るのは、彼女の使命のように思いつつあった。


「サントエルマの森に連れて帰るのかい?」

「いいえ」


 ポーリンはきっぱりと答えた。


「私はもう、サントエルマの森には帰れない。人知れぬ場所で、ひっそりと、カラレナを育てることにする。リザもいてくれることだしね」


 カザロスは柔らかな笑みを浮かべた。


「リザはブランウェン家の者に本当によく仕えてくれるよ」


 そう言ってから、カザロスは再び自らが向き合わなければならない未来を、重い気分で見据えた。


 恐らく、彼が次代のコヴィニオン王に選出されることになるだろうが、元老院とのあいだで権力争いが生じるかもしれない。王都エルガリアの復興も指揮しないといけない。王国を支えた二十一人の領主はギヨム卿を除いてほぼ全滅し、地方政治も混乱が続くだろう。その隙をぬって周辺の魔物が蠢動し、治安も悪化し、人心も乱れるかもしれない。新たに確立したゴブリン王国との交易路も、いつまで維持できるか……大幅に国力の衰退したコヴィニオン王国は、以前とはまったく別物になるだろう。


 問題は山積していた。


 けれども、もう姉の力に頼ることはない。姉が自身の未来を投げうって、カザロスの勝利に貢献してくれたことはよく理解していた。


「姉さん……ラザラ・ポーリン、ガラフの娘。本当に、感謝している。もう手紙を書くこともないから安心して」

 

そう言って、冗談ぽく笑う。


 ポーリンはその言葉をかみしめながら静かに何度かうなずくと、カザロスを抱きしめた。


「あなたの手紙は、私の運命を変えた。けれども、これはカラレナにとって必要なことなのだったと思っている。そしてあなたも、これから苦難が待ち受けている。負けずに、頑張るのよ」


「……姉さんは予想以上に負けず嫌いだったな、そう、〈烈火の魔女〉」


 そうして、姉と弟は自らのなすべき未来を胸に秘めながら、しばし別れを惜しんだ。

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