第32話 姉と、妹と

 人間技とは思えぬ力で街を破壊したアドナは、深い満足感を覚えていたが、次第に疲労感が増していることも認識せざるを得なかった。


「……さすがに、ちょっと調子に乗りすぎたかしらね」


 尖塔せんとうのテラスに進み出てきたポーリンをじっと見つめる。


 空を覆っていたカラスたちは、一体の大蛇の形となり、再び姿を見せた月光に、ポーリンの上質な黒いローブがあでやかに輝いていた。セピア色の髪は綺麗に髪止めでまとめ、気品ある風格をたたえてりんとしてみえた。


 かたやアドナは、暗褐色の髪が無頓着に所々乱れている。黒いローブは死に神のマントのようであるが、姉のものと比べるとみすぼらしく思えた。


「ふん」


 あまり外観を気にしたことなどなかったが、今まで考えたこともなかった思いに気をとられたことに、彼女はいらだった。


 まさか、自分が気圧けおされているというのだろうか。


 アドナは滑らかに右腕を高くかかげた。


 無数のカラスがつくる大蛇は、彼女の周囲でとぐろを巻きながら、上空へと舞い上がった。再びその先端が、稲妻をまとう。


「さあ、お姉ちゃん……勝負のときよ」





 ポーリンは、ナルネイの野で多くの人を殺してしまったことを悔いていた。


 そして危うく、〈滅びの都〉ザルサ=ドゥムの悲劇を再び引き起こしかけたことに背筋がぞっとする思いであった。


 今にして、ファーマムーアが影の魔法を封印しようとした意図が分かる気がした。


 この魔法は、突き詰めるほどに、世界を滅ぼす可能性がある。


 従って、今宵こよいを最後に、ごく初歩的なものを除いて、影の魔法の大部分を封印するということを心に決めていた。それは、彼女が殺してしまった人々の魂にけての、誓い。


「けれども、最後にもう一度だけ。“影の魔王”、力を貸して」


 空中で、死をまとった恐るべき大蛇が鎌首かまくびをもたげる姿を見ながら、ポーリンはそう語りかけた。


 最後に使うのは、この魔法――夕焼けの野に、自らの影を追いかけて遊んだ幼き日々、子どものころから彼女が空想の中に描いた真の〈影の魔王〉の姿を、現実世界に具現化すること。


 黒い沼の戦いでは失敗したが、その後、試行と研究を繰り返し、実戦に耐える水準まで昇華させた。


 妹の全力を迎え撃つにあたって、この魔法以外には考えられなかった。


「さあ、行きましょう、“影の魔王”。そして、父さん」





 街の城壁のうえで、カザロスとチーグは、恐るべき戦いを目にしていた。


 ほとんどの人々は室内に避難していたため、その偉大な魔法の戦いを目にした者はごくわずかだった。


 あまりに現実離れしたその光景は、後日、伝説となってエリガリアの吟遊詩人にうたわれることとなった。


『空を舞う巨大な蛇。

青い稲妻をまとって飛来し、その顎は街を砕く。

かたや、雲を突く暗黒の巨人。

頭には王冠をかぶり、尖塔をなぎ払う三つ叉の槍を持つ。

麗しのエリガリアの命運は、これら神に遣われしものたちに委ねられた。

大蛇と巨人は三度ぶつかり、三度互いをはねのけた。

けれど、始祖よ、ご照覧あれ。

結末は、速やかに訪れた……』


 カザロスとチーグは、空を舞う大蛇が突如、姿を消したのを見ていた。


「何だ?」


 チーグは訳がわからず、そう口走った。


「妹が力を使い果たしたのです」


 多少、魔法に造詣ぞうけいのあるカザロスは、状況を正確に理解できていた。


 空中に浮いていたアドナが、地面へと落下する。そして、具現化された影の魔王も、役割を果たしてその姿を消した。


 空が急に静かになり、月が明るく感じた。


 けれども、カザロスはその余韻に浸っていなかった。


「チーグ王、この場を頼みます」


 そう言って、城壁の階段を降りようと駆け出す。


「おい、どこへ行く?」


 カザロスは、歩を止め、一瞬だけ振り返った。


「妹のところへ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る