第30話 影の使い手と、黒鳥の女王

 黒鳥たちの翼に乗って、アドナ・ブランウェンはブランウェン家の尖塔せんとうのてっぺんにある、彼女の部屋に帰還した。


 予期した先客が、燃える暖炉の前でくつろいでいた。


「久しぶりね、お姉ちゃん」


 アドナ・ブランウェンは狂気を宿した明るい声で言った。


「“永劫の監獄”から抜け出るとは、お姉ちゃんがすごいのか、ファーマムーアの魔具まぐがたいしたことなかったのか……」

「言ったでしょう、私を誰だと思っているの、と」

「……なるほど、影の魔法の使い手に、ファーマムーアの魔具は無意味というわけね」


 アドナは手をぽんと叩いた。


 ポーリンは、暖炉のまえの石机に置いてある蛇がからみ合った模様の書物を指し示した。


「思い出したわ……これは、古の邪神の模様に似ているわね。その名は、失われて久しい……ジンザムル。あなたとどういう関係が?」

「それをお姉ちゃんが知る必要はない」


 アドナは冷ややかに答えた。


 ポーリンは怒りをたたえて鳶色とびいろの瞳を妹へ向けた。


「あなたの母上と面識はないけれど、母君に成り代わって私があなたを指導します」

「くっくっ」


 アドナはこみ上げる笑いをこらえるようにした。


「それ、真剣に言っているの? 私がお姉ちゃんと呼んでいるのは、皮肉。しょせん、あんたは部外者」

「もう、部外者ではない」


 ポーリンはぴしゃりと言った。


「あなたに言っても無駄ならば、カラレナ・ブランウェンは私が引き取ります」

「ほう」


 その言葉は、アドナの怒りに触れたようであった。皮肉っぽい笑みのなかに、アドナは怒気をひそませた。


「カラレナをどこへ?」

「あなたの手の届かないところへやりました。乳母のリザも、協力的よ」

「ふふん」


 アドナはつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「私の『実験』の邪魔をするなら、殺すしかないわね、お姉ちゃん。カラレナとリザの居場所は、あんたの死体から聞くとするわ」

「『実験』……あなたは、カラレナをどうしようとしているの?あなたの娘でしょう?」

「あんたも、私の死体に聞いたら?」


 アドナは素早く魔法の呪文を唱えた。


 無数の黒鳥が現れ、弾丸のようにポーリンへと襲い掛かった。鋭いくちばしを持った黒鳥の群れが直撃する直前、ふっとポーリンの姿が消え、アドナの背後の影の中から姿を現した。


 ポーリンは実体化すると同時に、その手の中にある赤い炎の球を投げつけたが、アドナの姿は手品のように無数のカラスになって分裂し、火の玉は数匹の黒鳥を黒焦げにしただけだった。


 黒鳥の群れが暖炉の前に集まり、再びアドナの姿となる。


 ポーリンは油断なく妹を睨みながらも、感嘆の思いを禁じえなかった。


「……猫を使った似たような魔法を使う人を知っているけれど、アドナ・ブランウェン、その若さで素晴らしい魔法の才能ね。悔しいけれど」


 今でこそ、まだまだ自分の力が上だと信じているが、アドナと同じ年ぐらいのころにこれほどの難易度の魔法を使いこなせたとは到底思わない。ブランウェン家の女子に特別な力が宿るということは、単なる伝説ではないのだと思い知った。


「いずれ、〈サントエルマの影の使い手〉を上回る名を、世界にとどろかせるでしょう。どんな異名がいいと思う、お姉ちゃん?」


 両手に青白い稲妻を宿らせ、挑発的に言う。


「“黒鳥の女王”なんてどうかしら? 稲妻を操るのも得意だけど」


 素早い呪文の言葉とともに、アドナの手から発せられた稲妻がポーリンを打つ。


 しかし、魔法の力で作った盾が稲妻を四方にはじいた。部屋の壁を打ち、轟音とともにいくつかの穴を作った。


「……いくつかの理由によって、〈サントエルマの影の使い手〉という異名は、今宵こよい限り」


 ポーリンはつぶやくように言うと、地を這う蛇のように自身の影を伸ばした。


 伸びた影がアドナの影に触れる直前、ふたたび無数の黒鳥の姿となり、室内いっぱいに舞う。暴力的なその数は、ポーリンにとっても猛威となった。炎の壁を作り出す呪文を唱えて、身を守る。


 窓のちかくで、ふたたびアドナが自らの姿となった。そして、凝りをほぐすかのように何度か首を左右に傾けた。


「……なんだか、すごく調子がいい。今なら、何でもできそう」


 アドナは、前に持ち上げた自らの手をみながらつぶやいた。


「黒鳥たちに、十分なにえを与えせいか、力が有り余っている」


 ポーリンは慎重に炎の壁を解き、油断なくアドナを見据えた。


「どうあっても、あなたを捕らえます。アドナ・ブランウェン」


 その言葉を聞き、アドナは苛立ちの表情を浮かべた。


「捕らえる? なにぬるいことを言っているの、お姉ちゃん?」


 そう言ってから、ポーリンの着る黒いローブを観察した。袖口にルーン文字の示された、上質な布で作られた魔法のローブ。


「そういえば、お姉ちゃんの着ている黒いローブ、素敵ね。サントエルマの森の魔法使いの証。けれども知ってる? かつては、黒いローブは邪悪な魔法使いが身につけるものだったことを」


 アドナは自らの黒いローブをひけらかすように広げた。ポーリンの着るものより高級感はなかったが、開いた袖口は死神のマントのように見えた。


「サントエルマの森では、ローブの色は自由に選べる。もちろん、黒いローブを着る者には、暗黒の技を極めんとする者も多いけれど、私は影の魔法を極める意思を示すために黒いローブを着ている」

「ふうん」


 アドナはあまり興味なさそうにつぶやくと、凄絶せいぜつな笑みを浮かべた。


「じゃあ、今からお姉ちゃんに、黒いローブの魔法使いのあるべき姿を、教えてあげる」


 そうして、ポーリンに背を向けようとしたが、急に何かを思い出したかのように立ち止まった。


「そうそう、お姉ちゃんの相手は、こいつにさせる」


 そうして、一体の化け物をとなりに召喚した。


「これぞ、魔法の芸術。死せる”ケンタウロス”」


 そう言うと、アドナは無数の黒鳥の姿となり、部屋の窓から飛び出していった。


「待ちなさい」


 ポーリンは追おうとしたが、アドナが「死せるケンタウロス」と呼んだ存在が立ちはだかった。ポーリンは知らなかったが、それはレジナルド・ハサンの死体と、馬の死体をつなぎ合わせて作られた邪悪な創造物だった。


◆◆◆

アドナ・ブランウェンの挿絵その2

https://kakuyomu.jp/users/AwajiKoju/news/16818093082028338849

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