第27話 触媒となる贄

 夕刻、アドナ・ブランウェンは馬を駆って、ナルネイの野に到着した。


 剣や鎧のみを草原に残して、忽然こつぜんと人々が姿を消してしまったかのような自然のものならざる光景に、アドナは冷ややかな表情のまま首を捻った。


「おや、予想していたのとは、少し違うが……」


 彼女は馬の歩速を落とし、戦場だった場所の中を練り歩いた。


「これはもしや、ラザラ・ポーリンの仕業かしら?」


 ぞくぞくするような感覚を覚えながら、屈折した笑いを浮かべた。


「“永劫の監獄”からどうやって脱出したのか分からないけど、もしそうなのだとしたら、さすがお姉ちゃん……」


 次の言葉は期せずして、声を低くしていた。


「殺し甲斐がある」


 それから彼女は、ゆっくりと周囲を見回した。


 兵士たちの死体はあまり残されていなかったが、それでもいくらかは残っていた。


 想定していたものよりはかなり小規模なものになってしまいそうだが、それでも彼女の目的は達せられそうだ。


 アドナは両手を空にむけて掲げ、目を閉じて呪文を唱える。


「来たれ、我がしもべたちよ……触媒となるにえを、用意した」


 そうして、しばし時を待つ。


 夕陽の方から、何千何万もの黒い鳥たちがやってくるのを感じると、彼女は目を開けて満足そうにうなずいた。


 ここにたおれし者どもは、あの黒鳥たちの力を強化するための贄。彼女にとっては、それ以上でもそれ以下でもなかった。ここの死体で十分でなければ、村のひとつやふたつ、滅ぼしてもいいかも知れない。


 彼女はそう考えながら、夕陽と飛来する黒鳥たちを背に、もう一つの目的を達するために戦場の跡を歩いた。そして、目的の者を見つける。


 レジナルド・ハサン。


 影に飲み込まれそうになった彼は、化け物じみた力で押し寄せる魔法の力を戦い、いくらかはそれを押し返していた――その結果、上半身のみの死体が、風そよぐ草原のうえに倒れていた。


 アドナは面白そうに嬌声きょうせいを上げた。


「はっ、いいざまね」


 彼女の脳裏に次々と、邪悪な創作意欲がわき、想像力をかきたてながらぐるりと死んだ暴竜の周囲を回った。


「きっとこいつも私を殺す算段をしていただろうけれど、残念だったね。こいつの上半身の死体を、馬とつないでやるのも一興だわ」


 楽しげにうふふと笑う。


 耳をでる風に乗って、馬たちのいななきが聞こえたような気がして、彼女は周囲を見回した。


 戦場に近づいてくるゴブリンたちの一団がいた。そして明らかに、この様子を見て戸惑っているようだった。


 アドナは馬を駆ってゴブリンの一団へと近寄った。


 先頭に立つゴブリンが、ためらうように口を開く。


「これは……アドナ様。この戦場のありさまは一体……」


 そうつぶやいたのは、ダンだった。


 ダネガリスの音楽隊にこっぴどくやられ、彼の兵は半減していた。半減で済んだ、というのが正直なところだった。あわば全滅、というところで、魔法の力が失われたのか、ダネガリスの音楽隊はふっと姿を消した。戦いの喧噪けんそうは消滅し、緩やかな風の中に、恥辱にまみれるダンと半減した部下たちが取り残されたのである。


 その敗北を、狂気の暴竜レジナルド・ハサンに、どのように言い訳をしようかと思い悩みながらナルネイの野に帰ってきたダンは、戦場にほとんど誰もいないことに戸惑うとともに、胸をなで下ろしていた。


 しかし、そんな安堵も、恐るべき魔女を目にして吹き飛んだ。沈黙が気まずく、ダンはおずおずと問いかけた。


「……ハサン殿はいったいどこに?」

「その男なら、死んだ」

「死んだ?」


 ダンは驚愕したあと、冗談だと思ったのか笑いはじめた。


「またまた、ご冗談を。ハサン殿が地上の戦いで敗北するなど……」


 そこまで言って、ダンははっとした。


「も、もしや……アドナ様が、殺したので?」


 アドナはさもつまらなさそうにため息をついた。うすのろのゴブリンにしては頭が回るようだが、説明するのも面倒くさく思えた。


「正直なところ、その答えなどどうでもいい。それよりお前たち、生きて私に仕えるか、死んで役立つか選びなさい」


 アドナの言葉は、まるで氷の冷たさを持つ刃のようだった。


 真意を測りかねたダンは、あごを引き上目遣いにアドナを凝視してから、仲間たちの意見を求めるように振り返った。


 しかし、仲間たちの目に浮かんでいるのは、恐怖だった。


 ダンは改めて恐る恐る、視線をアドナに戻した。


 家畜を見るよりも冷たい目で見返すアドナの上空に、渦を巻くように無数の黒鳥たちが羽ばたいていた。


「もう面倒くさいから、死んでおきなさい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る