第21話 影の世界の支配者

 ポーリンと”影の魔王”は、何の変哲へんてつもない、ただ無機質な広漠こうばくたる影の荒野が広がる場所へとやってきた。


 ”影の魔王”は、影で作られた椅子を具現化させ、そこにポーリンを座らせようとしたが、ポーリンは首を横に振った。


「小さな”影の魔王”さん、いまはゆっくりおしゃべりしている時間はないの。現実世界へ戻らなければ」

「ふむ」


 ”影の魔王”はあごに手を当てて考え込んだ。


「それを成すのは、おまえ自身の意思と力によってだ。俺がおまえを送り届けるわけではない。〈光と影の地平線〉へやってくる起点となった場所への帰還が最も容易だが、理論上はお前が具体的に思い浮かべることができる場所のどこへでも行くことができる。」

「どこへでも?」


 全くピンと来ていない風に、ポーリンは答えた。


「少なくとも、偉大なるファーマムーアは自由に光の世界とここを行き来していた」

「ああ、ファーマムーア……」


 彼女はうなった。


 研究の余地のある題材ではあるが、いまは熟慮する気持ちの余裕はなかった。伝説上の大魔法使いであるファーマムーアと同じことを、即座にできるはずもないだろう。


 彼女は、うつろな空を見上げた。


 ナルネイの野では、戦いが始まっていた。


 しかし、多くの兵たちが入り乱れた混戦の影絵は、まったく何がなんだか分からないものだった。


 彼女はいてもたってもいられない気持ちになった。せめて、戦いの様子がもう少し分かればと願う。


「……ラザラ・ポーリン、何かを感じないか?」


 影の魔王は、おもむろに言った。


「何を?」

「〈光と影の地平線〉は、偉大なる魔法の抜け殻だった。けれども、少しずつその力が戻りつつあるように思う。おまえが、“ゲート”を開け放ったせいかもしれない」


 彼女は、はっとした。


 あのとき唱えた合言葉……


『我は支配する、光と、影と、世界のすべてを』


 あれは〈光と影の地平線〉に再び魂を吹き込む呪文だったのだろうか。だとすれば、空に映る影絵を眺める以上のことも、できるかも知れない。


 彼女は目を閉じ、この世界を存在たらしめている古代の魔力を全身で感じようとした。あらゆる深い感覚と思念を探り、〈光と影の地平線〉との一体感を得ようとする。


 乾いた砂漠に天から一条の水が降り注ぐように、そのつながりはまだ弱く、大地を十分にうるおすものではない。けれども確かに、光の世界と影の世界のつながりが、わずかながらにそこにあることを感じた。


 彼女はそのわずかなつながりを辿り、この世界と一体化することを強く念じた。今や私こそが、〈光と影の地平線〉の支配者なのだと信じて。


 そして目を開ける。


 少しながら、こつをつかめた気がした。


 空に映る影絵に没入する自分を強く思念する。


 薄いオレンジ色の空にうつる影は次第に大きくなり……大きくなり……その中に没入して……


 彼女の意識は影を突き抜け、世界の天地が逆転した。空には、まぶしい太陽が輝いていた。緑の野の上でもみ合う多数の人々の姿、剣戟けんげき、そして血しぶきが鮮やかに見えた。それを見下ろすかのような感覚を味わったかと思った矢先、再び彼女は地面に落下し、また天地が逆転した。現実世界の影を突き抜けて、彼女は無機質な薄いオレンジ色の世界へと戻った。


「おい、ラザラ・ポーリン?」


 ”影の魔王”が心配そうに問う。


 ポーリンは、彼女には似つかわぬ凄みのある笑みを浮かべた。


「……なにかを、つかんだかも知れない」


 彼女は手を握りしめ、”影の魔王”を見下ろした。


「この世界の支配者は、私?」

「おい、大丈夫か?」

「……ちょっと黙って。いま、やり方をつかめそうなのだから」


 ポーリンは目を閉じ、再び深い集中状態へと入った。そして、今まで知るはずもなかった強力な古代の呪文を唱えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る