第19話 空に映る影絵

 ここから出ることは、できるのだろうか?


 彼女は、火の球の呪文を唱え、さくに向かって投げつけた。火球は柵にあたって爆発したが、柵は全くの無傷であった。


 それをみて感じたのは、失望よりも納得だった。簡単に破壊できるようなものを、偉大なるファーマムーアが創造するはずがない。


 ポーリンは、こみ上げる絶望感に打ちひしがれて、黒曜石こくようせきに似たつるつるの床のうえにへたり込んだ。


「してやられた……」


 そうつぶやき、決して太陽が登ることのないあけぼののようなぼんやりとしたオレンジ色の空を見上げる。


 空には、外の世界の事象じしょうが、影絵かげえのように映りだされていた。それは、近くに見えるのに、実際には永劫えいごう地平ちへい彼方かなたにあるもの……現実感のない世界。影で作られた紙芝居のように、色彩のない空に、ひとつの場面が映し出されては、消えていった。


 ナルネイの野に向かって進軍するカザロスたちの軍勢が見えた。


 それを迎え撃つように、南下するレジナルド・ハサンたちの軍勢も見えた。


 兵たちの数を見比べれば、カザロスたちは見るからに貧弱であった。いかに策をろうしたとしても、この数の差をひっくり返すのは難しいのではないだろうか?


 彼女は不意に、あらゆる見通しが甘かったかもしれないという不安に襲われていた。


 サントエルマの森に長く引きこもることで、自身の力を過信し、厳しい現実世界を見る目が曇ってしまったのかも知れない。


 彼女はここから出ることはできない。そして、カザロスたちは敗北し、カラレナを守ることもできない……


 全てが失敗する未来を想像して、彼女は膝を抱えて座り込んだ。


 こんな惨めな状況に彼女を追いこんだのは、初めて会う妹……


 彼女は薄くオレンジ色がかった空を見つめ、アドナ・ブランウェンの影を探し求めた。


 暖炉の炎が作り出すアドナ・ブランウェンの影は、ゆらゆらと揺らめいていた。それに話しかける影がもう一つ、アドナよりは少し年上の、中肉中背の女性だった。






 現実の世界では、影のまわりは色彩しきさいゆたかだ。焦げ茶色のまきが赤い炎を上げ、紺色こんいろのカーペットのうえに二人の影を映し出していた。


「どこかへお出かけになるのですか、アドナ様」


 女性は、黒い外套がいとうを差し出しながら言った。


 アドナは受け取った外套を身にまとった。


「私も、これから戦場に向かう」


 そう言って、薄い唇をゆがめた。


「心配材料がひとつ、片付いたものだからな」

「上機嫌そうですね」

「まあな」


 アドナは冷たく笑った。


「……私のような者が口を挟むのも僭越せんえつですが、カラレナ様のためにも、くれぐれも無理はなさらないように」

「カラレナのことは、乳母うばのお前に任せてある。リザよ」


 そう言って、リザと呼んだ乳母の耳元に、形の良い唇を近づけた。


「お前はいらぬ詮索せんさくはせず、ただカラレナの面倒を見てくれればいい」

「分かっております」


 リザはため息交じりに小さくうなずいた。そして言葉を継ぐ。


「我が家は、先祖代々ブランウェン家にお仕えしてきました。アドナ様とカザロス様の幼いころも承知しております。カラレナ様にお仕えするのも、私の役目です」


アドナの鳶色とびいろの瞳が、じっとリザを見つめている。


同性から見てもはっとするような美しさであるが、同時にぞっとするような冷たさも感じる。リザは肩をすくめた。


「それに正直なところ、あなたが何をなさっているのか、知りたくもありません」

「……お前のそういうところ、好きだわ」


 わざとらしく小さい声でささやくと、アドナはリザの肩をぽんと叩き、背を向けた。


「これは、ブランウェン家の偉大なる再興のための実験だ。それだけを理解していればいい」


 その言葉を残して、アドナは部屋を後にした。


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