第17話 分水嶺を越える
そこは、無機質な石造りの部屋だった。
中央に向かって次第に段が低くなるように作られ、一段ごとの四隅にキャンドルの炎が揺れていた。
そして、部屋の中央、最も低い段のところに寝台があり、生後まもないと思われる赤子が眠っていた。
見るからに罠であったが、赤子の姿を認めた瞬間、なにかの
彼女が守ると誓った赤子――彼女の
蓮の花びらのようなゆりかごの元にたどり着いた彼女は、この世のものとは思えない安らぎを感じながら、赤子の顔を見つめた。
「なんて、美くしい……」
彼女は
彼女はそのみずみずしい
「やはり、罠……」
彼女は一つ鋭いため息をつくと、気を引き締めて周囲を見回した。
彼女が入ってきた方向の壁の暗がりから、わざとらしく手を叩きながら歩み出てくる者がひとり。簡素な黒いローブを身にまとっている。
キャンドルの明かりにぼんやりと照らし出されたその顔を見て、彼女は息をのんだ。
まるで、若かりしころの自分の鏡を見ているような感覚……
その人物が口を開いた。
「はじめまして、お姉ちゃん」
「アドナ・ブランウェン……」
ポーリンはつぶやいた。本人に確認するまでもない。どう見ても、彼女の妹だ。
けれども、よくよく見てみると、自分の生き写しとは少し違う雰囲気に気づいた。唇は薄く、皮肉っぽい笑顔によりえくぼが目立つ。
「『困ったときは、サントエルマの森にいる姉を頼りなさい』」
アドナは、母の口ぶりを真似するかのように言った。
「無能な兄は、それを実行したわけね」
小馬鹿にしたように冷ややかに笑う。
ポーリンの胸には、静かな怒りがこみ上げてきた。
「……姉として言いたいことはあるけれど、ひとまずそれは置いておきます。それよりも、この子は?」
「ああ、
ポーリンは心を落ち着けた。アドナの言動に、振り回されてはいけない。
「父親は、誰なの?」
「初対面なのに、それ、聞いてしまいます?」
おどけるように言う。
ポーリンはあきれたようにため息をつき、反撃に出た。
「レジナルド・ハサンね」
「あらびっくり」
アドナは驚いたように手を口に当てた。
「そんな安っぽい挑発をするのね、お姉ちゃんは。私はブランウェン家、〈始祖の血脈〉を継ぐ者、特別なのよ。あんな野獣が父親だと、豚が生まれてくるわ」
高らかに笑う。
「……あなたの甲高い笑い声、いらつくわね」
「いらついてもらえて光栄よ、お姉ちゃん。私は、特別。この子も、特別。だとすれば、父親も特別じゃなきゃね」
「誰なの?」
「それを言っても、お姉ちゃんには無意味よ……」
そう言って、あくびをした。
「そろそろこの会話にも退屈してきたんだけど、お姉ちゃんには退場してもらおうかしら」
「退場、ですって?」
ポーリンは鼻で笑った。
「私をだれだと思っているの?」
「サントエルマの影の使い手、次期のサントエルマの森の
そう言って、アドナは指をならした。
階段状になっているそれぞれの段の四隅のキャンドルを結んで、
「……ああ、快感」
アドナはうっとりとした表情を作った。
「きっと、巣にかかった獲物を目にしたクモは、こんな気持ちなんでしょう。私は、敵を落とし込んで罠に嵌めるのが大好き。お姉ちゃんは、罠のための条件をいくつもしっかりと満たした」
「なるほど」
ポーリンは彼女を何重にも取り囲む稲妻の壁をぐるっと見回した。
「我が子を、クモの巣のエサに使うとは、立派な母親だこと。私にも罠を仕掛けるのが大好きな友人がいるが……あなたの方がずっと
「陰湿、素敵な言葉よ」
アドナは微笑んだ。
「ふふふ、
ポーリンは
そこには、黄金色の鳥かごのようなものが置かれていた。
「ファーマムーアの
「ファーマムーアですって?」
それは、太古の時代に実在したとされる、伝説上の大魔法使いの名だった。〈偉大なる探求心の主〉とも呼ばれる。そして、ポーリンが使役する影の魔法の創造主でもある。
「そう。竜でも悪魔でも捕らえるという、ファーマムーアの創造した
アドナは高らかに笑った。
ポーリンは鳥かごから押し寄せる魔法の力を感じた。炎の呪文や、影の魔法を使う余裕もなく、押し寄せる強力な魔法の力に飲み込まれた。
そうして、ポーリンは鳥かごの中に吸い込まれていった。
◆◆◆
アドナ・ブランウェンの挿絵:
https://kakuyomu.jp/users/AwajiKoju/news/16818093081469984338
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