第11話 旧交:烈火の魔女と本読むゴブリン

 ラザラ・ポーリンは、上質な黒いローブの袖口そでぐちに互いの腕を入れて組みながら、ヤースの断崖とも呼ばれる謁見の間の威容いようあおぎ見ていた。


「……まさか、またここに戻ってくることになるとは」


 感慨深くつぶやく。


 岩壁を卵状にくりぬいた巨大な空間の中ほどに、玉座の乗る崖が突き出している。卵状たまごじょうの空間の壁面には、各氏族長の部屋の窓があり、玉座からひとたび号令を発するや、その声は空間じゅうに響き、氏族長たちの部屋に達する。


 この場に立てば、巨大な蟻の巣の中枢にいるような、奇妙な気分になる。史上唯一のゴブリン族の大魔法使いヤザヴィによる、芸術的な建造物であった。


 ゆっくりできる旅ではないが、旅立ち前のわずかな休息の時間、彼女はこの思い出の場で、チーグと旧交きゅうこうを温めることを希望した。


「あなたがここで、王になった日のことを覚えている」


 ポーリンはしみじみと言った。


 過ぎ去りし、青春への憧憬どうけい……新緑の時代は過ぎ去り、いまや彼女たちは人生の夏まっさかりだった。


「あれからもう十年……時の流れは早いものね」

「そうだな、おまえも立派なローブを着るようになった」


 玉座にあぐらをかきながら座るチーグが、面白がるように言った。ポーリンも微笑する。


「あなたも、王冠が似合っている」


 そうつぶやいてから、その表情は曇り、数日前にカザロスが彼女に言ったことと同じことを口にした。


「旧知を当てにして、あなたに助けを求めたことを怒っている?」

「怒る?」


 チーグは鼻で笑った。


「そもそも、おまえがいなかったら、俺は王になっていなかっただろう。おまえには大きな“貸し”があるといえる。怒ることなどないさ……だが」


 と、小さくため息をつく。


「あのときとは違うこともある。俺には立場ってものがあるし、我が王国も、うまくいっているところと、そうでないところがあるのだ」


 チーグが目を細め、緑色の瞳が遠くを見つめるようになる。


「東の国境で、ホブゴブリンどもの活動がまた活発化している。ヨーが対応に当たっているが、西のコヴィニオン王国にも兵を出すとなると、国民へのそれなりの説明がいるだろう。それを考えるのが、俺の仕事だがね」

「ありがとう……」

「まあ、コヴィニオン王国に恩を売って、悪いことはないだろうさ」


 チーグはそう言って乾いた笑いをこぼした。


 ポーリンは小さくうなずいた。


「カザロスは、恩を忘れることはないでしょう」


 そう言うと、その鳶色とびいろの瞳に、わずかながらにいたずらっぽさが戻ってきた。


「あなたの弟のヨーの名前が出たけれど、彼は元気にしている?」

「ああ……」


 チーグは何かを思いだしたかのようににやりとした。


「おまえに火あぶりにされかけたヨーね。そんなこともあったなと笑い話にできるほど、いまは忠実に王国に貢献してくれているよ。おまえが来たと知れば、穴に隠れるかも知れんがな」

「そう」


 ポーリンは苦笑した。


 第三王子であったヨーは、かつて第一王子であったチーグと王位継承をめぐって争い、その命をも狙っていた。それがいまや模範的な王国民とは、分からないものだ。


 そう、人生は、思いの通りにならないことばかり。良いと思っていたことが悪い結果になることもあるし、悪いと思っていたことが良い結果になることもある。


 彼女がコヴィニオン王国へ来たこと、そしてゴブリン王国に援軍を求めに来たこと、いずれも彼女が良かれと思って行ったことである。しかし、この決断がどのような未来をもたらすかは、力のある魔法使いである彼女にも決して予期することはできないのだ。


◆◆◆

〈サントエルマの影の使い手〉ラザラ・ポーリンの挿絵:

https://kakuyomu.jp/users/AwajiKoju/news/16818093081206251003

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