第9話 ゴブリン王国の事情

 ゴブリン王国は、コヴィニオン王国の東の辺境の地にある。


 両者は「友好的ならざる隣人」であるものの、人の住まぬ辺境地帯をあいだに挟んでいるため、おおむね大きな衝突を起こすことなく共存してきた。


 とはいえ、一部の粗暴そぼうなゴブリンたちは辺境地帯沿いの小村や商隊を襲うこともあるし、国境警備の兵士たちと小競こぜいを演じることもある。コヴィニオン王国の人々は、ゴブリンたちをみ嫌ってきた。


 チーグが国王となってからも、その実情は変わらない。


 チーグ自身は内政に力を入れ、彼の指揮下にある者たちが人間を襲うことはなくなったものの、一方でチーグを好ましく思わないゴブリンたちは、相変わらず好き勝手にふるまっていたからである。


 現在のゴブリン王チーグは、幼少のころから「人間の文化」に憧れる、変わったゴブリンであった。


 彼は、ゴブリン族の者としては極めてまれなことに、文字を読む能力を持っていた。略奪品に混ざっていた書物を好んで手にし、人間の文化を学んだ。難しい個所かしょは、捕虜となった人間に習ったりしていた。


 やがてチーグは、人間たちの知識をもっと得て、ゴブリンの王国を豊かにすることを夢見るようになった。


 そして、人間の世界に学びの旅に出たのである。


 その行動は、ほとんどのゴブリンたちにとっては理解できないことであった。


 父王は、チーグの熱意に折れたものの、反感を持つゴブリンたちを納得させるために、チーグの人間界の旅に条件をつけた。


 曰く、1年以内に、ゴブリン王国にとって有益となる果実かじつを得て、帰ってくること。それが叶わない場合は、ゴブリン王国から追放する、と。


 チーグは、各地を転々とし、書物を読み、農業や交易の実際を学んだ。書物とともに、多くの知識と経験を得た。


 しかし、旅の後半になると暗雲が立ちこめ始めた。彼の帰還を快く思わない反対勢力が、様々な妨害工作をはじめたのである。はじめは間接的な嫌がらせだったが、次第に直接命を狙うようになった。


 チーグとポーリンが出会ったのは、そんな折であった。


 当時、ポーリンは、〈冒険者の街〉リノンで金を稼ぐために冒険者をしていた。ポーリンはチーグの護衛として雇われ、王国へ戻るまでの数週間の苦難の旅路をともにしたのである。


 〈烈火の魔女〉と〈本読むゴブリン〉――彼らは敬愛けいあいの念を込めて、互いをそう呼び合った。


 その旅の結末に、チーグはゴブリン王国の王となった。

 

 チーグは、彼の失墜しっつい画策かくさくした者たちを追放し、人間に学んだやり方を交えながら国の運営を始めた。


 山間に畑をたがやし、平地に果樹園を作った。彼らが好んで食べる虫やナメクジの飼育もはじめた。地下王国のさらに地下を掘り進め、鉄鉱石の発掘もはじめた。さらに、山のノーム族や、東の沼地のリザードマン族とも交易を始めた。危険をかえりみぬ人間の行商人と取引をすることもあった。ポーリンとともに旅したときに聞いたいろいろな話もとても役にたった。


 それまで、狩猟と、採集と、時に行う略奪が生活の中心だったゴブリン王国は一変した。


 王国はこの十年で安定し、繁栄した。


 しかしながら……ゴブリンの本質は、人間のように畑を耕し、エルフ族のように果樹園を作り、ドワーフ族のように穴を掘って暮らすよりも、粗野で乱暴なことを好む。


 新しい生活に満足をするゴブリンも多かったが、一方で若く血気盛んな者たちは王国を出て傭兵のなり口を求めたり、徒党を組んで野盗やとうになったりした。


 そんな中現れたのが、 〈傭兵王〉を名乗るレジナルド・ハサンであった。


 ハサンがならず者たちを集めて軍隊を作っているという噂を聞いて、そこに参加を希望する者が続出した。ハサンは、部下に略奪や殺戮も許していることから、畑を耕すより荒らすことを好むものたちの目には魅力的に映るようだった。


 コヴィニオン王国との共存の道を目指していたチーグにとって、それは頭の痛い問題であった。


 さらに、かつて彼の失墜を画策し、王国から追放した氏族の者たちがハサンに組し、チーグへの復讐を企てているという噂を伝え聞いた。


 それが真実だとするならば、ハサン軍の牙はいずれゴブリン王国にも向くだろう。コヴィニオン王国の動乱に、期せずして、ゴブリン王国も巻き込まれつつあったのである。


 ポーリンが弟を連れてやって来たのは、ちょうどそんな折りだった。

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