第8話 ゴブリン王チーグ――<本読むゴブリン>

 二人は見張りのゴブリンたちに槍で突っつかれながら、複雑に入り組んだ素掘すぼりの地下洞窟を歩いていた。


「危ない……つつくな」


 カザロスは何度も不満を表明したが、ゴブリンたちはおそれるように二人に槍を向けていた。


 ゴブリンたちは、魔法の炎を巻き起こしたポーリンを、恐れているのだ。


 洞窟は、迷宮となっていた。


 槍につつかれながらでも、ゴブリンたちが案内しなければ、たちまち迷ってしまうだろう。


 カザロスは次第に、別のことが気になるようになってきた。


「ああ、空気が悪い……それにこの汗くさい匂い。最悪だ」

「全く同感だけれども、情けない顔はしないでよね。気迫と気品で負けたら、終わり。これから会うのはゴブリン王チーグ。かつてはこの王国を追われた者、いまのあなたの境遇きょうぐうに似ているでしょう?」

「ゴブリン王チーグ……」


「そう、私がリノンで冒険者をやっていたときに、彼の依頼を受けた。私が、王国へ戻る手助けをしたのよ」

「……姉さん、ごめん」


 意外な言葉を受けてポーリンは立ち止まった。


 そのおかげでつっかえて、後ろを歩くカザロスはゴブリンの槍に危うく刺されそうになった。


「どうどう」


 カザロスは槍のつかを手で押さえる。


 再びポーリンは歩き始めた。


「どうしたの、急に?」

「いや、姉さんはずっと森にこもっているから、もっと世間知らずなのかと思っていた」

「ああ……」

「僕よりずっといろいろな経験をしているんだね」

「いや、あなたこそ大変でしょう」


 特に社交儀礼でもなく、ポーリンは言った。


 23歳で政治の場に身を置くなど、彼女には想像もできない。それに比べたら、ゴブリン王の依頼を受けたり、〈滅びの都〉ザルサ・ドゥムで命を落としかけたことさえ、大したことがないように思えた。


 素掘りの洞窟はいつからか切り出した石で敷き詰められた立派な回廊へと変化した。


 そしてひときわ広い空間に出たとき、そこがゴブリン王チーグの謁見えっけんの間なのだとすぐに気づいた。


 そこは、地下の巨大な空洞の中に突き出た崖の上に築かれた宮殿だった。


 空洞の上部にはいくらか裂け目があり、地上の明かりがわずかながらに差し込んでいる。けれども、宮殿の左右には明々とたいまつの炎が燃え盛り、空間をオレンジ色に染め上げていた。


 崖のきわに近いところは数段高くなっており、そこに玉座がおかれていた。


 左右には、たいまつの炎を動物の頭蓋骨でおおった置物が四つ並んでおり、まるで死んだ動物の目と口が輝いているように見える仕掛けとなっていた。


 ゴブリンらしい装飾品だ、とカザロスは思ったが、何も口にすることはなかった。


 玉座に座るのは色黒のゴブリン……ぼろ布や皮鎧を身に着けている他のゴブリンたちとは明らかに異なり、ゆったりとした人間のような服を着ていた。首には何重にもネックレスがかけられ、灰色の髪のうえにはくすんだ銀色の王冠をつけている。


 その緑色の目に宿るのは、知性と好奇……


「おやおや、これは珍客じゃないか」


 身を乗り出す。


 ポーリンとカザロスは、高くなっている段の数歩手前で立ち止まると、うやうやしく頭を下げた。


「お久しゅうございます、ゴブリン王チーグ陛下。偉大なる〈本読むゴブリン〉」


 チーグはすっと立ちあがった。


 周囲の兵たちが慌てて武器を構える。チーグはそれを手で制すると、階段をおり、ポーリンの両腕をがっとつかんだ。


「久しぶりじゃないか、元気にしていたか? ラザラ・ポーリン」


 そうして、大声で笑う。


 ゴブリン兵たちは互いの顔を見合わせ、武器をおろして警戒を解いた。


「十年前は世話になったな、うしろの者はだれだ?」


 チーグはポーリンの背後をのぞき込む。


 戸惑うカザロスは、硬い表情でひきつった会釈をした。


「カザロス・ブランウェン、私の弟にして、次期コヴィニオンの王」


 ポーリンの声が洞窟の中に響く。


 周囲のゴブリンたちは、ざわつき始めた。


 チーグはしばらく同じ態勢でカザロスを見つめていたが、やがて少し口をすぼめるようにすると、ポーリンのところから離れて歩き始めた。そして、後ろを振りむくことなく手招きをする。


「静かに話せる場所へ行こう、ついてまいれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る