第6話 夕暮れが示す分岐点

 夕刻、一本樫いっぽんかしの丘の上で、ポーリンは沈みゆく西日を眺めていた。


 こんもりとした丘がつづら折りに地平線まで続いており、オレンジ色に輝く丘陵の稜線りょうせんの手前は影につつまれていた。日が沈むにつれ、空の色と丘の影が時々刻々と変化し、その自然の造形美が心を打つ。


 夕陽を見つめていると、いつも心が落ち着く。


 サントエルマの森の生活は、単純だった。


 魔法の知識を勉強し、触媒しょくばいや魔法の道具を研究し、呪文の詠唱えいしょうを訓練する。朝から夜まで、向き合うのは魔法だけだった。


 けれども、外の世界は単純ではない。


 彼女がサントエルマの森で学究がっきゅうの生活を続けているあいだも、世界は複雑にうごめいてきた。


 そしてそれが、まさか彼女の人生に深く関わってくることになろうとは。


 父であるガラフ・ポーリンは、〈かねの鳴る街〉マーグリスを訪れるまえに、コヴィニオン王国に一年間滞在していた。おとろえつつあるブラウウェン家に変わり、われて王国の魔法使いたちに学問を教えていたらしい。


 父も大人だ――家を捨てて十年近くもたてば、誰かと恋をすることもあるのだろう。この年になって、腹違いとはいえ兄弟がいたという事実もうれしくないわけではない。そして魔法に携わる者としてのさがか、”特別な血脈”とされるブラウウェン家の秘密にも興味がある。


 ただ、それらの事実は、立て続けに津波のように彼女の心を襲い、右へ左へと翻弄ほんろうする。その波のなかで安定した心の場所を見つけるのには、まだまだ時間がかかりそうであった。


 人生は単純ではない。思い通りにいかないことがほとんどだ。


 それを学び、大人になるときなのかも知れないという思いもあった。


 太陽が、西方の丘の稜線に沈む。空に浮かぶ雲がしゅに輝く、彼女が最も好きな時間帯だった。刻々と変わる空と雲の色に見とれるポーリンに、カザロス・ブランウェンが歩み寄ってきて隣へと座った。


 奇妙な、けれども心地よさもある感覚だった。


「僕が手紙を送っていなければ、姉さんは今もサントエルマの森の中で研究と瞑想の日々を送っていただろう」


 カザロスがおもむろに口を開いた。


「僕が手紙を送ったことを、怒っているかい?」


 じっとポーリンを見つめる。


 ポーリンは小さく苦笑をうかべた。


「……そうかもね」


 そう言ってからかぶりを振る。


「けれども、そうでないかも。こんなに混乱したことは、人生ではじめてかも知れない、カザロス公」

「……カザロスと呼んでくれてかまなわい、例え部下のまえでも」


 二対の鳶色とびいろの瞳が相対あいたいする。


 うれいを含んだカザロスの瞳をみて、ポーリンはふと気づいた。


 弟は、姉を必要としているのだ。おそらく、妹が妹らしからぬがゆえに、よりいっそう。


『家族の問題』


 カザロスがそういった意味が、今にしてよく理解できた気がした。


 ポーリンは視線を外し、太陽が沈んだあとの西の空を見上げた。太陽は姿を消したはずなのに、空がもっとも強く輝く瞬間。黄金のとき。


 彼女の心の居心地悪さが、少しなくなったようだった。


「……けれども、私に『家族』がいたことはうれしいわね、カザロス。そして、アドナがどんな子なのかというのも気になる」


 カザロスは苦笑いを浮かべた。


「アドナは、姉さんとはだいぶ違うね……」


 その言葉は、不吉な響きを含んでいた。


「ときに聞くけど、カザロス。あなたの戦力は、どれくらいなのかしら?」

「……僕についてくれるのは、七人の荘園しょうえん持ちの大騎士たちと、都を追われた人々の有志たち。大騎士たちはそれぞれ数十名の配下の騎士や歩兵を持っているので、動員できるのは総勢五百人くらいかな……」


 そう言ってからくせのある皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「正直なところ、その半分は“いやいや”僕を支持しているというのが実情さ。僕は、大公家唯一の生き残りというだけで、大公家のなかでは下っ端だったからね」

「なるほど……」


 ポーリンはあごに手を当ててうなずいた。そういうやっかみめいたものは、サントエルマの森にもあったものだ……


 カザロスは続けた。


「対するハサンたちは、傭兵と山賊崩れのならず者たちを中心として、ゴブリン族、オーク族、ホブゴブリン族、ダーク・ドワーフ族、トロール族らの混成軍、少なく見積もって二千人はいる。少数だが、昨日みた、狼男ウォーウルフ族といった厄介な種族もいる。さらに、家族を人質に取られ、無理矢理協力させられている騎士たちや元老院の生き残りもいる」

「圧倒的に、不利というわけね」

「残念ながら……」


 カザロスは大きくため息をついた。


 ポーリンは弟に改めて向き直り、鳶色の瞳をのぞき込みながら力強くいった。


「わたしは心を決めました。あなたに、二つのことをしてあげましょう、弟よ」



◆◆◆

カザロス・ブランウェンの挿絵:

https://kakuyomu.jp/users/AwajiKoju/news/16818093081099747455



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