第2話 カザロス・ブランウェン

 ギヨムの剣は急所を鋭く狙っていたが、狼男ウォーウルフは人間離れした素早さで後ろに跳躍ちょうやくし、すんでのところで致命傷を逃れた。


 頸部けいぶに軽い切り傷を負った狼男が、指でその血を拭き取り、口にめた。


「惜しかったですな、ギヨム卿」


 もう一体の狼男が、興味深そうにポーリンを観察する。


「貧乏そうな女の旅人がひとり……不自然だなぁ」


 舌なめずりしながらそう言う狼男に、ギヨムは剣先を向けた。


「関係なき者を巻き込むな、しかもか弱き女性だぞ」

「……本当に、関係ない者か? おまえたちが、ここで仲間を募っているということは知っている」


 ポーリンは冷静に状況を観察していた。騎士の剣の腕はかなりのものだが、狼男も低位の魔物ではない。二対一では、手に余るだろう。


 ここでポーリンは、“目立たないようにする”という選択を、諦めた。


 黙って立ち上がると、短く滑らかに呪文を唱え、狼男たちをなぞらえるように手を動かす。自然のものならざる睡魔に襲われた狼男たちは、その場に卒倒そっとうし、深い眠りに陥った。


 ギヨムは驚いて、目を丸くしていた。


「……ご婦人、魔法使いか?」

「そうです。そして、この魔物たちに眠りの呪文は長くは続かない。はやくお仲間を連れてきて、捕らえた方が良いですよ」


 ポーリンは淡々と言った。


 ギヨムは怪訝けげんそうに眉をひそめる。


「お仲間、とは?」

「この店の厨房ちゅうぼうの裏には、地下へ降りる秘密の階段がある。地下には、武装した男たちが十数名。ついでに言えば、二階の宿の部屋にも武装兵が数名。ぜんぶあなたの、お仲間でしょう?」


 ギヨムはあっけに取られて立ちすくむ。


 すると、厨房の方からゆっくりと手を叩く音がした。


「いやあ、お見事、お見事。魔法の力で、探ったのかい? さすが、サントエルマの森の魔法使いだ」


 若い男が数名の兵士を連れて、厨房から現れた。通りすがりに、宿の親父に金貨を渡す。


 ポーリンは男を観察した。


 茶色のくせのある髪を、耳が隠れるほどに伸ばした、見目の良い男だ。年齢は、20歳代前半だろうか。瞳の色は、ポーリンと同じ、鳶色……


 男は、ポーリンの眼前まで来ると、右腕を胸のまえにまげてうやうやしくお辞儀をした。


「僕は、カザロス・ブランウェン。はじめまして、姉さん。ガラフ・ポーリンの娘」


 姉さん――ポーリンは、こみ上げる複雑な思いに、息がとまりそうだった。


 どことなく、自分を見ているかのような感覚……まぎれもない。眼前にいるのは、本物の腹違はらちがいの弟。


「……はじめまして、カザロス・ブランウェン?」


 期せずして、語尾がふるえる。ブランウェン、母の姓だろう。


 父ガラフ・ポーリンは、彼女が幼き日に家を出て行った。そのことについて、母は何も語らなかったので、詳しい事情は分からない。ただ、サントエルマの森での研究と瞑想の生活を経て、晩年、〈影の魔法〉を探し求めこの地域で活動していたことは知っている。そのときにできた、腹違いの弟?


 考えを整理するために、少し時間が必要だった。


 カザロス・ブランウェンの背後にいた兵士が、感心したように眠りこけている狼男たちを見た。


「狼男たちがこのあたりを嗅ぎ回っていると、もっぱらの噂だったが、助かった。感謝いたします、カザロス公の姉上。しかし、狼男たちを一瞬でこのようにしてしまうとは……あなたが味方になってくれれば百人力ひゃくにんりきですな」

「味方? ……ええと」


 ポーリンは戸惑った。


 カザロスは少し屈折くっせつした笑みを浮かべた。


「よせ、姉上はお疲れだ」


 そして、ポーリンの方を向く。


「積もる話もあるけれど、長旅で疲れたでしょう。今日はゆっくり休んで、明日はなしをしよう」


 そして、宿の親父に命じる。


「姉上に、ふかふかのベッドと、就寝用のローブを準備してくれ」

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