第1話 動き出す宿命
小高い丘に、一本の樫の木が立っていた。夕焼け空に、その影が凛々しく浮かび上がる。
枝を揺らし、一羽の黒い鳥が、黄金の空へ飛び立った。それを頭上に見上げながら、ラザラ・ポーリンは丘を登った。
樫の木のとなりには、二階建ての木造の建物が一軒。
〈
「弟」と名乗る者から、待ち合わせに指定された場所だ。はるばるコヴィニオン王国の、東の辺境の地までやってきた。
中に入ってみると、何ら特別感のない場末の宿のようであった。
一階は食堂になっていて、何人かの客がエール酒を飲みながら談笑していた。ポーリンが宿に入るとおしゃべりを止め、ジロリと見たが、短い観察に飽きると再び談笑へと戻った。
サントエルマの森の魔法使いのローブは目立つため、ポーリンが身にまとうのは旅人風の焦げた茶色いマントである。あまり余人の注意は引かないはずだ。
ポーリンは、カウンターで揚げじゃがとゆで野菜と、ブドウ水を頼むと、ひとりカウンターに座って食事を始めた。食事しつつ、注意深く周囲を観察する。
宿の親父ははげ頭の腹の出た中年男、もの珍しそうにちらちらとポーリンの方へ視線を向けていたが、他意はないようだ。
他のテーブルで談笑する三人の男性は、身なりや会話内容から旅の行商人のよう。もうひとり、壁の方を向いてエール酒を飲みながらパイプを吹かしている男性がいたが、顔は良く見えない。
「……さて、私はここでどうすればいいのかしら?」
ブドウ水に向かって、ひとりつぶやく。ただひたすら待つ、というのは彼女の性分に合わない。
時々こちらに視線を向ける宿の親父に注意を払いながら、彼女は小さく古代の呪文を唱えた。
彼女の足下の影の一部がネズミの形となって分裂し、壁際に沿って静かに走り去っていった。
しばし食事に集中する。
香ばしい揚げじゃがと、甘みのあるゆで野菜を食べ終わる頃には、宿の外では、もう日が暮れていた。
とそのとき、宿の扉が勢いよく開け放たれ、革鎧で武装した二人の兵士が宿へと入ってきた。そして、声を荒げる。
「この宿を
「反乱分子?」
ポーリンは空になった皿に向かって、よそには聞こえない小さな声で問いかけた。
宿の親父がそそくさと厨房の方へ姿を隠そうとしたが、ひとりの兵士がナイフを投げ、親父の目の前の壁に突き刺さった。
「許可するまで、動くな」
親父は恐怖で固まってしまった。
二人の兵士は、三人組の行商人のテーブルへと向かう。
行商人たちは、怯えながらも商売道具や稼ぎの金を見せ、「行ってよい」との許可のもと、おずおずと宿から出て行った。
二人の兵士は、壁に向かってパイプを吹かしている人物に興味を示した。正確には、
「おやおや、立派な剣をお持ちで……」
「この国では、そんな立派な剣を持てる人物は限られるだろうなあ」
にやにやしながら男へと近づく。
男はパイプを吸うのをやめ、兵士たちの方を振り返った。
暗褐色の髪を長く伸ばした、鋭い目つきの男。年齢は、ポーリンと同じくらいだろうか。
「私は、コヴィニオンの大騎士ギヨムだが、なにか?」
堂々とした口ぶりに、二人の兵士は思わず固まってしまった。
「……ギヨム卿?やはり、当たりだったか」
一人の兵士が興奮したように浮ついた声で言った。
もう一人の兵士も、目に凶暴な光が宿り、口から涎がしたたる。
兵士たちの口の中には、牙が生えていた。それだけではない、興奮した兵士たちの身体にはむくむくと毛が生え、たちまち獣の姿となった。
「
こっそりと様子を観察していたポーリンが、驚いて思わず声を放った。
狼男たちが、カウンターに向かって静かに座っていたはずのポーリンの方を向いた。その瞬間、ギヨムの剣が一閃した。
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