人生を捧ぐ
湊「こっち!」
茉莉「おけ。」
走ってバスに乗り込む。
日中だからかほどほどに人が詰め込まれていた。
東京や横浜ほど密集しているわけではないのに
汗が滴るほどに出ている。
3日前の昼頃、
旧神居古潭駅舎のトンネルに入って
戻ってきたらなっちが、
彼方ちゃんがいなかった。
暗闇の奥底にいるのかと思い
何度も声をかけたが、
こち丸とみくぴは
「渡邊さん、修学旅行には来てないじゃん」と
言っていたのだ。
他の先生も友達もみんなそう言った。
何事か、と理解ができなかった。
ちょうどおまつりんはその場におらず
後で聞いてみたところ、
「体調不良で先生の元に行っていると思った」、
「修学旅行には来ていた」と言ってくれた。
荷物は途中からなくなっていたようで
移動バスの中にも入っていなかった。
何故うちらは覚えていて
他のみんなは忘れているのかわからなかった。
が、前々から不可思議なことに
巻き込まれている。
その一種なのか、と考えている。
場所の目処として
その手がかりが彼方ちゃんの家にある
筆箱に隠されているんじゃないか
という情報もあり、
急遽ろぴにお願いして見に行ってもらった。
が、どうやら何もなかったらしく、
彼方ちゃんがいる場所の
正確な位置はまるでわからないまま。
学校行事ではあるので、
勝手に行動してしまっては
修学旅行に来ている全員に迷惑がかかる。
最小限の迷惑に留めようと
まつりんと話した結果、
最終日の自由時間だけに
チャンスがあるという着地点になった。
それまでの間、
彼方ちゃんのことが気がかりで仕方なかった。
うちがあんなこと言わなければ。
°°°°°
茉莉「くらー。」
未玖「怖そう。でも気になるやつじゃん。」
湊「行こう!」
千穂「判断早すぎ。」
湊「ビビり散らかして走ったりしなきゃでーじょーぶでしょ!」
千穂「怪我しても知らないからね。」
°°°°°
うちがトンネルに入ろうなんて
言い出さなければ、
彼方ちゃんは無事だったかもしれない。
入るにしても手を繋いでいたり
肩を持ったり後ろに気を配ったりと
何かしらしていれば変わったかもしれない。
どうしても自分を責めてしまう。
彼女を1人にするのは
よくないような気がしていた。
それは不可解なことに
巻き込まれるどうこうではなく、
1人の人間として、だった。
1人で過ごすのを望んでいるように
見える割には、
人には噛み付いていく。
1人で過ごしたいのなら無視すればいい話だ。
まるで噛み付いても
大丈夫な相手を探す犬のようだった。
試し行動と言えばいいのだろう、
その傾向が強い子だと
2、3回会った時から思っていた。
1人を望むように見えて、
実際人と過ごしたかったのだ。
親密な関係を築きたかったのだと思う。
なのに、人にあたっては
人が離れての繰り返し。
不安定な子だと感じた。
だから、うちが親密な仲になれるかは別として
1人にしてはいけない、と
何度も話しかけに行っていた。
幸いうちは人と話すことが苦じゃない。
彼女を知れることは楽しかった。
プラネタリウムを見た時、
少しばかり目を輝かせて
天井を見上げていたのは知ってる。
本当はみんなとわいわいしたかったんでしょ?
自分は騒がずとも、
それを見守っているだけでもいい、
組織や集団への帰属感が欲しかったんだよね。
あの瞬間、確かに、僅かに楽しいと
思ってくれたと信じたい。
この修学旅行で
彼女の何かが変わればいいと思った。
思う存分楽しんで、
数年後、思い出話の話題の時に
挙げられるくらい
いい過去の形になればいいなって。
けれど、彼方ちゃんはいなくなってしまった。
自由時間になる手前、
班員の2人、こち丸とみくぴに
別行動をしたい旨を伝えた。
まつりんはありがたいことに
うちについて行きたい、と言ってくれた。
うちは断ったけれど、
まつりんがそうしたいというなら
止めることもできないだろう。
2人は困惑していた。
それも当然だ。
自由時間、完全に分裂して動くということ。
写真撮影も自由時間分は
2人のものしか残らない。
2人の仲についての不安要素はない。
ただ、問題は2人に
楽しんでもらえない思い出として
残ってしまいそうなことだった。
けれど、正直に話した。
彼方ちゃんが来ていたこと。
神居古潭のあたりで逸れていること。
それが何故か学校側も
元から来ていない生徒として認識していること。
納得はしてもらえなかったが
理解はしてもらえたようで、
最終的には「行っておいで」と
こち丸が背中を押してくれた。
方々に迷惑をかけている。
謝っても謝りきれないように思えた。
でも表面上だけは明るくしていたい。
けろっとしている風に見せたい。
重大なことが起きていないかのように。
明るく、楽しい雰囲気を保っていれば
きっと自分にも周りにもいい風が吹く。
そう信じている。
茉莉「着くよ。」
湊「…!うん。」
けれど、能天気風を装い続けて
いられないのが現状だった。
もしも、この自由時間で見つけられなかったら。
ネットの人も手伝ってくれているようで、
学校や班、様々な方面に
時間を使わせてまで
見つからなかったどうしよう。
そんな不安がよぎった。
バスを降りて少し歩き、
数日前に渡った橋を渡る。
人がたまたまおらず
がらんとした森のような土地、
SL車の飾られた道。
そしてトンネル。
意味はないかもしれない。
でも、やらない意味がない。
湊「なっちーっ!彼方ちゃーんっ!」
茉莉「渡邊さーん!」
湊「彼方ちゃん、お願い、出てきて!」
精一杯声を出した。
橋の向こう側まで、
バス停のあるところまで届くのではと
思うほどに腹の底から、
喉がちぎれそうなほど叫んだ。
トンネルの中で声が反響する。
湊「トンネルの中探してくる。」
茉莉「待って、危ないんじゃ」
湊「彼方ちゃんを連れ帰ることが最優先だよ!」
茉莉「それはわかるけど、今度は自分勝手なったら意味がない。」
湊「やってみなきゃわからない。」
そう言い捨て思わずその中に突っ込む。
やってみなきゃわからないじゃんか。
全部全部、何事にだって言える。
勉強でも運動でも人間関係でも。
失敗したらもう1回やってみればいい。
チャンスがある限りやるしかない。
もしかしたらこれが彼方ちゃんを取り戻す
最後のチャンスかもしれないなんて
理由のない仮定が浮かぶ。
頭を振る。
嫌な思考を振り払う。
まだわからない。
見つけられるかもしれない。
湊「彼方ちゃーんっ!いたら返事してっ!」
精一杯叫ぶ。
さっきよりも何倍、何十倍にも
大きい音のように思えた。
しかし、進んでも真っ暗なだけで
変わりがなかった。
しばらくして振り返ると、
遠くにぽつんとした光があり、
そこにまつりんらしい人影がこちらを
見ているようだった。
結構深くまで進んだつもりだったが、
ここにはいないみたいだった。
帰りは冷静になり、
スマホを取り出して懐中電灯代わりにする。
四方八方に植物が絡み付いており、
廃した壁材が見えている。
明るくしたとて
恐怖を覚えるようだった。
戻ると、まつりんが
不安そうな顔をしていた。
懐中電灯代わりのスマホを消し、
できる限りの作り笑いをする。
湊「ここじゃないみたい。ちょいとどろんこになっちゃった。」
茉莉「無事でよかった。」
湊「んだね。次行こう、ここじゃないみたい。」
茉莉「おけ。次はー」
どうしても行かなきゃいけないところや
修学旅行で行ったところなど、
マップを見て目星をつけたところに
足を運んでいく。
その土地土地で彼方ちゃんの名前を呼び
探していくも、
全く彼女の姿を見つけることはできなかった。
まるでスクランブル交差点で
人を見失った時のようだった。
前を歩いていた友人が
不意に人影に隠れ、
次の瞬間消えている。
もうどこにもいない。
あの置いて行かれたような感触が
心の中に巣を作っている。
旭川市のほぼ中心にたどり着く。
時計を確認する。
そろそろ旭川市から出ないと
2人との集合に間に合わない時間だった。
茉莉「…もうこんな時間。」
湊「もうちょっとだけ探そう。後少し探せば」
茉莉「間に合わなくなるよ。帰りの飛行機に遅れるのはまずいでしょ。」
湊「でもっ!うちが、うちが彼方ちゃんを行方不明にさせたようなもんでしょ。だから責任持って探さなきゃ。」
茉莉「…。」
湊「…ごめん、強く言い過ぎちゃった。うちだけあとちょっと探すよ。まつりんはもう戻ってて。」
茉莉「ううん。一緒に今、戻るよ。」
湊「…っ!彼方ちゃんのことはどうでもいいの?」
茉莉「違う。確かに仲は良くはないし、いろいろ嫌なことも言われた。けどいなくなってほしいわけじゃない。」
湊「じゃあ何で戻ろうなんていうの。」
茉莉「茉莉ね、一昨年にこの変な出来事に巻き込まれた人から話を聞いたことがあるの。」
まつりんは真剣な顔つきで
鞄を背負い直し言った。
茉莉「当時4月に行方不明になった人が2ヶ月後に帰ってきたってことがあったらしい。」
湊「…!」
茉莉「だから…今回もそれに当てはまるかは正直わからない。だけど、戻ってくる可能性もある。」
湊「…前例はあっても、全く同じ事例じゃないよ。」
茉莉「やってみなきゃわかんないんでしょ?待ってみたらわかるかもしれない。」
湊「…。」
茉莉「もし本当にこれっきり渡邊さんが帰ってこないなんてことになったら…その時は茉莉も背負う。一緒に背負うよ。」
湊「うちのせいじゃんよ。何でまつりんまで…。」
茉莉「班員だし友達だから。」
行こう、と
まつりんはうちの袖を引いた。
自分のことばかりで
周りが見えなくなっていたらしい。
まつりんの方がよっぽど大人だった。
足がふらふらと引っ張られると同時に動く。
抵抗する意思はもうなかった。
前例はある。
戻ってきた前例が。
行方不明から戻ってきた例が。
それだけを、そうなることを盲信するしかない。
信じるしかない。
湊「……ごめん。」
茉莉「…。」
まつりんは何も言わなかった。
その言葉は渡邊さんに言いなよ、と
言いたげな背中をしていた。
こうしてうちらの修学旅行は
幕を閉じることとなった。
苦かった。
手を握りしめる。
爪が手のひらに食い込んだ。
○○○
彼方「………ぅ…。」
ソファに座っている間に
空が割れるのではないかと思うほど
強い雨風が吹き荒れ、
時折光を見せた。
いつの間にか外では酷い空模様になっていた。
びか、と光っては
次の瞬間大きな音が鳴り響く。
家をも壊す勢いだった。
夜になってから長いこと空が明るくならない。
雨のせいだろう、
光は人工的なものと雷だけ。
いつまで待てば夜が明けるのだろうと
思ってしまうほどに暗いままだった。
さっさと寝室まで行っていればよかったものの、
頭が重いことを理由に動かなかったらこれだ。
今度は雷を理由に怖くて腰が抜けてしまって
動くことができなくなっていた。
薄いタオルケットを頭まで被ったまま
耳を塞ぎ体操座りのように
小さく丸まって座る。
ごろごろ、と空が唸るのがわかる。
またぴか、と布越しに
光ったのがわかる。
彼方「……ほんとに無理なんだけど…っ…。」
意識せずとも独り言が漏れる。
目を瞑っておけばよかった。
知らなければよかった。
けれど、予兆を知っておかなければ
毎度心臓にヒビが入るほど
びっくりしなければならなくなる。
光が先に知らせてくれる仕組みになっていて
よかったと思う反面、
そもそも雷なんてものを
発生させてくれるなと心底恨んだ。
この家に助けてくれる人は誰もいない。
コウも出て行った。
アサヒも出て行かせた。
大地の偽物も
助けに来てくれるような雰囲気はない。
誰か助けてくれ。
もうこんな思いはしたくないんだよ。
いつから雷が怖くなったのかわからない。
けれど、母親が長期間
出て行くようになった頃、
梅雨だったのか覚えていないが
天気の悪い日が続いていた。
その時に真っ暗で耳を劈く音ばかり広がって、
同じように蹲っていた。
かたかた、と皿と皿がぶつかり
微細な音を立てるのも、
風が空気を切り裂きつつ
闊歩していくような、
長く近くの木々や草花を揺らす音も。
何より空を千切るほどに
大きな音を鳴らして泣き喚く雷の音も。
全部全部怖い。
大地も自分の部屋で眠り、
1人で布団をかぶって凌いだ夜を
ありありと彷彿させてくる。
雷が怖いのか、
それとも捨てられた日々が怖いのか。
今のうちにはもうわからなかった。
また視界の隅で光が見えた。
次の瞬間、一段と大きい雷が
近くに落ちたようだった。
耳を塞いでいても
腹の底からぐらつくような、
地響きのような音に肩が震える。
彼方「ぃやっ……ぅーー…。」
こんな夜はいつだって
自分が捨てられた理由を考えていた。
考えたくなくても
自然とそのことしか頭に浮かばなかった。
涙が出そうになる。
それをぐっと堪える。
不幸だ。
あぁ不幸さ。
でも助けなんてないんだから、
こうするしかないのだ。
どうしてこうなったんだ。
愛がなかったから?
金がなかったから?
うちに足りないものがたくさんあったからか?
彼方「……怖い…っ。」
父親は気づいた時にはもうおらず、
小学生になってから母親は
長いこと家を空けるようになった。
初めはお金を少しだけ置いて出ていった。
次に、また同じくらい。
お金を置いていく量はさほど変わりはなかった。
しかし、段々とその期間が空いていった。
2人で生きるには
足りないくらいのお金しか渡されず、
なんとか凌いで生きた気がする。
ある日、中学生でも稼ぐ方法があると知った。
どうやら自分を売るらしい。
よくないとされる一方で、
お金が沢山手に入ることを知った。
やらないはずがなかった。
今1番に金が欲しいのだから。
弟のためにもいつかは
自分のためにも金が必要だった。
年齢を偽って、その世界に飛び込んだ。
それから金はなんでも解決することを知った。
欲しいものを手に入れることができる最適解。
衣食住はもちろん、見合う友人も愛も全て金。
よく愛があれば何もいらないと聞くが
何を言ってるのだと疑問だった。
金があることが大前提での愛じゃないか。
金がなかったら心が貧しくなって
すれ違いでも起こし別れる。
愛には結びつける力があれど
繋ぎ止める力はない。
金があれば繋ぎ止められる。
母親は金のある男の元に行った。
だからうちに金があれば
母親をここに繋ぎ止められる。
それに過保護な親だってそうだ。
あれは環境がいいだの愛情を注がれただの言う。
しかしうちからしてみれば
子供にかけた金の量だ。
習い事、服、学業なんだっていい。
全てに金がかかる。
それを子供のため、
子供の経験だと言い投資する。
それを愛と言うのであれば、
愛=金じゃないか。
金をかけてもらえなくなったうちは
愛されなくなったと悟った。
だからどんな手段でもいい、
自分で稼いで金を作るしかなかった。
自分を売ろうと
実験台にしようとなんだっていい、
金が必要だった。
初めは母親を繋ぎ止めるためだったが、
それが叶いそうにないと知った以上、
金を作って、それで自分を愛したと
言い聞かせるしかなかった。
だが実際どうだ。
自分なんてこれっぽっちも愛せやしない。
愛するどころかいつも
自分なんていなくなればいいのにと
一層苦しくなるばかり。
愛ってなんだ。
愛するってなんだ。
愛されるってなんだ。
もし愛=金じゃないのだとしたらなんだ?
愛の形はハートだと言うが
うちには昔から金の形をしていた。
ならば、うちが弟に向けるのは愛か?
そんなわけがない。
愛を知らない人間が
他人に愛を与えられるわけがない。
じゃあうちが弟に与えているのは何なんだ。
自分の願いを着せた怨念か?
それともうちの人生の支えとしての使命か?
どちらにせよ綺麗なものじゃない。
愛は綺麗なものだと思っていた。
が、そんなことはなかった。
汚くて醜くて目を背けたいものでしかない。
こういう混沌とした脳内も金で解決できるのだ。
リスカでもODでもなんでも。
やっぱり結局は金じゃんか。
愛なんてものわからない。
今は金に困っていないにもかかわらず
未だに金に執着しているのを見る限り
母親からの愛を、
他人からの愛を諦めきれていないのだろう。
多分だけど、愛されてみたかった。
友愛でも親愛でも何でもいい。
愛されてみたかっただけなんだ。
ああ、うちはことごとく無様で愚かだな。
助けて。
愛して。
そう口から溢れそうになった時だった。
「彼方。」
彼方「…っ!」
はっとして思わず
タオルケットを取る。
うちを呼ぶ声がした。
助けに来てくれたんだ。
そう思ってしまった。
女の声だった。
期待してしまった。
愚かだった。
目の前には、いつからいたのだろう。
一叶がうちのことを見下すように立っていた。
雨の音のせいで、
タオルケットをかぶっていたせいで
全くと言っていいほど気づかなかった。
今日は制服じゃないらしい。
学校はないのか。
もう今日がいつなのかもわからない。
白いワンピースを身につけていたが、
家が暗いせいで灰色のそれにしか見えなかった。
雨の下では全てが濁って見える。
彼方「お前…っ!」
一叶「お疲れ様。」
彼方「消えろよ、今すぐここからっ!」
一叶「今だけは喧嘩をしにきたわけじゃないんだよ。それだけはわかってほしい。」
一叶は真剣な目つきでそう言った。
助けに来るならもっと早くこいよ。
見捨てるならさっさと捨てろよ。
その狭間でなあなあにされるのが
1番辛いことも知らずに。
咄嗟に胸ぐらを掴む。
つい先日、コウに対して
同じことをしたと思い出してしまう。
彼方「何がお疲れ様だよ、お前のせいで全部…っ!」
一叶「…。」
彼方「責任取れよ、なぁ。」
一叶「実験分は取る話だね。けど、元からの彼方の生活やその先の未来の話までは無理だよ。」
彼方「…っ…なんで契約とかそういう冷たい話でしか捉えられないかなぁっ…。」
一叶「…。」
彼方「うち、頑張ったよ。こんなに頑張った…なのに辛いだけ…。ずっと死ぬことが頭にこびりついてる。」
一叶「…。」
彼方「離脱症状だってっ…うち、あれだけ苦しんで結局何にも…っ。」
一叶「お金が必要だって言って契約を取り付けたのは彼方だよ。」
彼方「…っ!正論で殴れって言ってんじゃねぇんだよ、どうでもいい、もうどうでもいいよそんなこと!」
いつまでも淡々とした
彼女の態度に腹が立った。
体を売って生活を成り立たせていたが、
それもややうまく行かなくなった時。
うちは一叶と出会った。
怪しいやつだと思った。
外部には一切口外してはならない
実験に参加してくれないか、と言う。
その話だけ聞けばもちろん断るつもりだったが、
提示された疑いたくなるような金額が
目に飛び込んできた。
嘘か問うた。
本当だと言った。
大地の進学先まで、
大学まで通えるような、
いや、それ以上の金額だった。
これなら大地が今後生きる上で
奨学金の返済諸々で困らずに済む。
それを見た上で、承諾した。
元より自分を売ってきたのだ。
体をぼろぼろにすることなら躊躇なかった。
それから歯に薬品を塗り、
とある人物の元に向かって
接触しろとの指示が出た。
そこまではよかった。
その後が酷く辛かった。
その薬品というのも、
他人の血液を受容させ
依存状態になる程欲する、
簡単に言えば吸血発作を
引き起こすようなものだった。
日々喉が渇いた。
飢えた。
ご飯を食べても味がしないような気がした。
喉が渇いて渇いて
喉を掻きむしった日もあった。
掻いても掻いても
赤い斑点と血が肌から顔を出すだけだった。
苦しくて死を悟った時にだけ、
一叶は決まって面倒を見にきた。
その場ですぐに楽になるような
薬を持ってくるわけでもなく、
命にとどめをさしてくれるわけでもなく。
ただ隣にいた。
無意味に。
きっと無意味に。
大地にも迷惑をかけた。
怯えさせた時もあったと思う。
適当に誤魔化して
大地からは距離をとった時もあった。
それで彼が傷ついていなければ
いいなと願うばかり。
もう1度ぎゅ、と
強く胸ぐらを掴む。
ぐらりと彼女の頭が揺れるだけだった。
彼方「お前にうちの心はわからねえんだよっ!」
一叶「…。」
彼方「中途半端が1番相手を苦しめることを忘れんな。生半可な気持ちで、興味で、ずかずかと踏み込まれてうちは昔のことをどうしても思い出して。なのに相手はふらふらとどっかに消える。そんなのもう嫌なんだよっ!」
一叶「…。」
彼方「ずっと…ずっと、誰にもわかってもらえないまま、うちはっ!」
その時、また大きな雷が落ちたようで、
耳がおかしくなるかと思うほど
音が体に響いた。
咄嗟に一叶から手を離し
その場でしゃがんで耳を塞ぐ。
もう遅いことはわかっている。
それでも自分を守らなきゃ。
それしかできない。
そうすることしか知らない。
うちが蹲っていると
彼女は目線を合わせるようにしゃがみ、
そして肩に手を置いた。
一叶「わかるよ。痛いほどわかる。何度も見てきたからね。」
彼方「来んなよ。」
一叶「なんだかんだ言って彼方が1番怖がりで、でも純粋な気持ちで人と接していたかったんだろうなって心底思う。」
彼方「今更わかったようなこと言って慰めたってどうにもならない。」
一叶「それもわかってる。」
彼方「じゃあ無駄なことばっか口走ってんじゃねぇよ。」
一叶「無駄だろうけど慰めてあげよう。彼方はずっとそこにあり続けた。生きて、ないものを生み、そこに1を作り続けた。それって凄いことだよ。」
彼方「意味がわからない。」
一叶「金を作ったのもそう。苦しみや憎しみを抱き続けることもそう。生き続けることもそう。彼方はずっと1であり続けていた。」
彼方「うちはずっと0だよ。進めてすらいない。」
一叶「感情も彼方も産まれた時点でそこにある。存在している時点で1だよ。進んでいる。」
蹲っているせいで顔は見えないが
声に温かみが増したような気がした。
どんな顔をしているのか見えないまま。
こいつはいつだってそう。
優しい言葉を常にかけてくれるわけでもない。
けれど、本当に苦しかった時、
死という言葉が脳裏を掠める時、
決まって行動で示してくれる。
それが仕事だというなら
それ以上でも以下でもない。
けれど、こいつなら、と
決して叶わない期待を
抱いてしまうのも確かだった。
恐怖心と焦燥心で
どうにかなってしまいそうだった。
細い細い声が自ずと漏れた。
彼方「うちと一緒のところに居続けて。」
一叶「…。」
彼方「このまま落ちて。ずっと。もう戻れないとこまで。」
一叶「…。」
彼方「お願い。」
一叶「前にも言ったけど、それに叶うことはきっとできない。」
あぁ、そうだ。
そういうやつだ。
°°°°°
一叶「落ちるの定義が曖昧だからそれに叶うことはきっとできない。無為に過ごすだけだから。」
彼方「人生に意味を意味出せてないならとっくにこっち側だよ。」
°°°°°
床を眺む。
自分の手が映る。
精一杯生きた手だった。
一叶「全部は止まってくれない。周りも時間も流れも全部。けど、離れたところに行けば大丈夫。誰も置いていかない。もし彼方のことを気にかけてくれる人が残っていれば、その人が引っ張ってくれる。」
彼方「…。」
一叶「彼方の弟のことは、契約の通りちゃんと面倒をみるよ。」
彼方「……うん。」
一叶「休憩の意味を知ろう。」
そして、不意に背に手が回された。
抱きしめられたらしい。
暖かかった。
一叶「よく生きた。」
彼女はそうとだけ言った。
咄嗟に彼女の背を掴む。
布がぐしゃぐしゃになってもいい、
力強く掴んだ。
そうだよな。
よく生きたよな。
その時ようやく思い出した。
生きてたんだって。
頑張ってたんだって。
これまで大地に
うちの人生を捧げてきた。
それが正解だと思った。
けれど、もしかしたらこれから先は
うち自身に人生を捧げたって
いいのかもしれない。
よく生きた。
生きた。
今だけは一叶の言葉が
すっと心の中に入っていった。
心地よかった。
夢の終わりだ。
甘い雷の降る夜に 終
甘い雷の見る夢を PROJECT:DATE 公式 @PROJECTDATE2021
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