Take me somewhere

ぼくる

滅亡を買う

 朝、目覚ましはうるさく感じなかった。

 鏡の前に立つ自分をまっすぐ見つめることが出来た。

 いつもより大きな声で「いってきます」と言えた。

 「いってらっしゃい」と返ってくる声だけで、充分な幸せを感じ取ることが出来た気がした。

 学校ではいつもより身振り手振りをいっぱい交えながら楽しそうに会話した。

 寝たふりもしなかった。階段や歩道を横に並んで歩き、道を塞がれても怒らなかった。

 昼休みの談笑に目くじらを立てなかった。トイレをたまり場にされても平気だった。

 職業適性検査で芸術家タイプなんてふざけた死刑宣告を突きつけられても、それでいいやって思えた。

 許せた。寛容になれた。よく食べて、よく眠れて、あと少し恥ずかしいけど性欲もわいた。

 そんな風に高校生として、家族の一員として、健康的で文化的な中庸程度の生活の中に私が収まっていられたのは、とあるお守りのお陰だったと思う。 

 お守りは、スマホのブラウザで開いたまんまのとあるページ。

 『注文を確定する』で止めたアマゾンのページ。

 ショッピングカートには『滅亡』と『悲劇』が入っていた。

 いつでも、どこでも買える――。

 それで大抵のことは気にならなくなった。鈍感になったともいえる。

 

 お守りの効用を数日味わったところ、ある出来事が起きた。

 放課後前のホームルームでクラス内での無視、イジメが発覚した。

 担任の先生が注意喚起を呼びかける。

「子どもじゃないでしょ? 大学に行く子も、つぎ就職だって子もいるのに……先生は」一瞬の間を置いて「不愉快です」と強調する。

 不特定多数の誰かを責め立てている担任の傍ら、すすり泣いている女子がいた。

 その子が被害者だということは、誰がどう見ても明らかだった。

「小熊さん」

 不意に先生から名前を呼ばれる。 

「終わったら職員室に」

 クラスメイトの目がいっせいにこちらを見る。

 視線がにわか雨よろしくに横殴り。加害者はどうやら私らしかった。


 結果、先生からの注意だけで終わったものの、加害者が私であるという容疑は晴れなかったらしい。

 先生いわく、私が澤川さんを無視しているとのことで、SNSでの誹謗中傷が絶えないという。

 自分が無闇に傷つかないようにするため、誰も傷つけないための自己防衛としてのお守り。繊細だった私を鈍感にするためでもあったお守り。

 鈍感になると、知らぬ間に他人を傷つけてしまうのか。他人が勝手に傷ついて、他人は勝手に他人を巻き込んだのか。

 証拠も目撃者もいないはずの、宙ぶらりんの加害と被害だったから、私はことを問題視せずに明日に向かって寝た。


 翌日、どうやら昨日のホームルームの後で澤川さんは相当な被害を被ったらしい。

 先生にチクったことで仕返しをされたのだという。通学用の自転車のサドルが無くなり、机にチョークの粉が満遍なく散っていた。上履きも片方ない。

 加害者は、私だった。

 教室に入るや否や、保護者ヅラした辻村さんが私にこう言い放つ。

「うわ、来たよ。わたし、言ってくる」

 教室の嫌な気配を察した私は、どこ吹く風に我関せずのスタンスで自分の席に座る。

「ねぇ」辻村さんが私の机に両手を置き、聞えよがしに声を上げる「小森さん、マジでやってんね。気持ち悪いんだけど」

 既に教室にいる他の生徒を味方にしようとしているのがはっきりとわかった。

「いきなりなんなん? あの子がなんかした? ねぇ、ねぇ」

 私は慌ててスマホを取り出して、胸の前で強く握った。

「上履き、どっちかかして」辻村さんがたしなめるように声を落として言う「いいから、イッシュン」

 私は大人しくそれに従い、上履きを脱いで辻村さんに渡した。

 辻村さんは紙飛行機でも飛ばすようなフォームで、私の上履きを窓から投げ捨てる。

 それからスカートでパッパッと両手を払いながら、私に鋭い視線を向ける。そして澤川さんのそばへと戻っていく。

「やめてよ……やりすぎ」澤川さんのか細い声。

「わたしの責任だから、いいの」辻村さんが彼女を慰めにかかる。

「誰も、悪くなくて。わたしがヘンなことしちゃったからで」

「澤ちん。そんままでいいから、澤ちんは澤ちんのまんまで」

 

 ……買うなら『滅亡』の方だと思った。と同時に、澤川さんが『悲劇』を買ったんだと悟った。

 悲劇にはそれに相応しい敵が必要だった。その敵に、私が勝手になってしまったというだけのことだった。

 そして辻村さんは、その味方として勝手に選ばれた。

 そう思い至って、初めて私は自分のお買い物が正当化できるような気がした。

 

 マズローの法則は古かった。

 食べたり眠ったりすることよりも、家族と一緒に「いただきます」を言うことよりも、一番先に満たすべき欲求は承認欲求だった。

 そのためなら、死んでもよかった。食べれず眠れず、天涯孤独のホームレスでも問題なかった。

 だから私は、お守りの結び目を解くのをためらわなかった。

 『敵』のサブスクも契約した。

 『敵』を買わずには、彼女を敵にできない私だった。

 まだまだ、と買い続ける。『真実』、『愛』、『自己実現』、『安定』……

 『敵』も『悲劇』も『滅亡』が承認されるまでそれらは届かない。

 それらが購入済みになっても暫くそのことに気づかないまま、承認欲求で餓死する、する、する。

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