22 お兄ちゃんとまーくん

 お手洗いへと向かったお父さんの姿がグランピングドームに消えると、き木がときおりパチリと音を立てるのみ。

 まるで、降り注ぐ星のもと、まーくんとお兄ちゃんの二人だけが地球に存在するようでした。

 

「お兄ちゃん。おねしょをして、勝手に外でおそばを食べて、わがままばっかり言って、家を出て行ってごめんなさい」

 夏の大三角形に見守られながら、まーくんはお兄ちゃんに頭を下げました。


「どうしてあやまる。お前に家出をさせてしまったのは、俺だ。お前は悪くない」

 お兄ちゃんはまーくんの背中に手を回してぎゅっと抱き寄せます。


「俺が無理して大人のふりをしたから、あの子供部屋を出て行ったから。自分でもどうして良いか分からなくて。自分が自分じゃなくなっていくのが止められなくて。全部俺のせいだ。済まない。本当に辛い思いをさせてしまった。苦しめてしまった。無事で良かった」

 まーくんを抱き寄せた十本の指は、よだかをつかみ殺すとおどしたたかの鋭いかぎづめではなく、いつものお兄ちゃんのあたたかさを取り戻しています。


 まーくんの少し高めの体温に、いつもと変わらない黒々とした髪。どこか眠そうな目に、ふっくらとやわらかな手のひら。

 そのすべてが、お兄ちゃんが子供部屋を出て行くと決めた時に心の一番やわらかな所に流し込んだコンクリートを、夜空の星へと変えていきます。

「お兄ちゃん」

 まーくんはふっくらとやわらかな手のひらを、お兄ちゃんの背中に回します。そのあたたかさとやわらかさに、お兄ちゃんの体と心から、こわばりがすっかり溶けてしまいました。


「外で勝手におそばを食べたのは、お腹が空いたからだけじゃないよな。ごはんが満足に食べられない人が遠慮えんりょなくごはんを食べられるように、パンダと二人であおぞらレストランの客寄せパンダになったんだよな。お前のことだから、どうせ、お母さんにもらった電話代も募金箱ぼきんばこに入れたんだろ」

 お兄ちゃんはまーくんの肩に顔をうずめて涙をかくします。


「ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんはもう子供じゃないの。お兄ちゃんはさびしくないの。ぼくはお兄ちゃんがいなくなった子供部屋でひとりぼっちだよ。ぼくはよだかになったみたいだよ。お兄ちゃんがたかみたいになって、ぼく、どうして良いか分からなかった」

 まーくんの声が、少しずつ湿しけり気を帯びてきました。


「俺はたかじゃない。お前もよだかじゃない。俺は人間で、お前も人間だ。俺はお兄ちゃんで、お前は弟だ。俺は自分に大うそをついたから、大うそ仮面になったから。まだ大人じゃないのにもう大人だって、自分に大うそをついたから。ニセモノの俺になったから。だから俺は」

「大うそ仮面が、ニセモノのお兄ちゃんがぼくを『おねしょマン』って呼んだの。それなら本当のお兄ちゃんはぼくを何て呼ぶの」

 まーくんはよだかのように眠そうで優し気な目で、肩にうずめられたお兄ちゃんの頭を見つめます。

「まーくん。まーくん、まーくん。ごめん、済まない」

 まーくんの名をうわごとのように何度もつぶやくお兄ちゃんの背中を、まーくんはさすります。

「お兄ちゃん、大丈夫だよ。ニセモノのお兄ちゃんは、もうどこにもいない。だから安心して」

 まーくんは震えながらあやまるお兄ちゃんの背中を、まるで幼い弟をあやすようにとんとんとたたきました。

 


 お父さんが長いお手洗いからまーくんたちの所に戻って来ると、ちょうど係のお兄さんがき火を消しにやって来た所でした。

 まーくんたちは係のお兄さんにあいさつをすると、お父さんとお母さんにもお休みのあいさつを言いました。

「ちゃんとおなかの中にシャツを入れて、おなかを冷やさないようにして寝るのよ。歯はみがいたわね。お水を飲み過ぎちゃダメよ」

 お母さんは心配そうな顔で何度も言い聞かせると、二人がグランピングドームに入るのを見届けました。



「何でおがみじま駅経由けいゆでここに来ようと思ったんだ。どう考えても遠回りだろう」

 お兄ちゃん用のベッドに入ってくるまーくんは、ひとりぼっちで眠るのが本当に心細かったようです。

 ベッドの半分をゆずったお兄ちゃんは、高いまくらが苦手なまーくんのために、バスタオルを折ってまくらを作ってあげました。


「ぼくはここまで自転車で来るつもりだったの。だけどパンダくんが、遠すぎるからおがみじま駅から電車に乗ろうって」

 パンダの野郎、全く中途半端ちゅうとはんぱな入れ知恵をしやがって――。

 お兄ちゃんの友達でもあるパンダくんの寝顔をちらりと見ると、お兄ちゃんは見慣みなれぬ弁当袋に目を向けました。


「あんな弁当袋、家にあったか。よれよれだし色落ちしてみっともないぞ」

「あれはぼくの宝物。おがみじまの駅で、ペットボトルの貯金箱ちょきんばこがこわれてお金が散らばっちゃったの。それで、色んな人がお金を拾ってくれたの。ぼくのお金を入れるために、知らないおじさんが自分のお弁当袋をくれたんだ」

 まーくんは大事そうに弁当袋を見つめます。

 

「今日は知らない人にたくさん会ったよ。長門ながとのおじさんに、服部はっとりサイクルのおじさんとおばさん。おがみじま駅でお金を拾ってくれた人たちにお弁当袋をくれたおじさん。それから、駅のお姉さんに、にったか駅のおじさんにバスの運転手さんに、『よだかの星』のおじさんとおばあちゃん。知らない人たちに、ありがとうございますっていっぱい言えたよ」

「すごいな」

 お兄ちゃんは、寝返りを打ってまーくんの頭をなでました。


「ねえお兄ちゃん。お話を聞かせて。今日は『よだかの星』じゃないのがいいな」

「そうだ。今日はいつもとは逆に、俺にお話を聞かせてくれ。腹がねじ切れて歯が吹っ飛ぶぐらい面白いお話な」

「お話を作った事なんてないよ」

「だったら今作れよ。今日会った人の話でも、学校の話でも、変な夢の話でも」

「そんなの急に無理だよ。お兄ちゃんのいじわる」

 まーくんはベッドの上でごろごろと転がるうちに、寝息ねいきを立て始めました。

 お兄ちゃんはすっかりまーくんが眠ったのを確認すると、まーくんの肩にそっとタオルケットを掛けなおします。

 そして、いつしかお兄ちゃんも眠りに落ちていました。



 おなかを出して大の字になって寝るパンダくんと、胎児たいじのように丸くなって眠るまーくんとお兄ちゃん。

 合鍵あいかぎで部屋に入ったお母さんは、三人にタオルケットを掛けなおすと、まーくんとお兄ちゃんの寝顔を見下ろします。二人を見下ろすお母さんの目は、赤くれていました。

「お母さん、まーくんはもう大丈夫だよ。お兄ちゃんだってお母さんだって大丈夫。だから安心して」

 お母さんのそばでお父さんがささやきます。


根拠こんきょは」

根拠こんきょなんていらないよ。とにかく、みんないつだって大丈夫だ」

 お父さんは星明かりに照らされたお母さんの横顔を見て、くすくすと笑います。

「お父さんはすぐ何でもかんでも大丈夫の一言で済ませるんだから。まーくんは本当にお父さんに似たのね」

 お母さんは指でまぶたをこすると、ドームしに夏の大三角形を見上げました。


「とにかく、まーくんはもうおねしょはしない。もししたとしても、ぼくが全部片づける」

「はいはい。頼んだわよ、お父さん」

 グランピングドームの外に出たお母さんは、少しだけひんやりとした夜風を思い切り吸い込みました。

「お休み、パンダくん。お休み、まーくん、お兄ちゃん」

 お父さんはグランピングドームの鍵をしめると、お母さんとならんで夏の大三角形の下をゆっくりと歩きはじめました。 

(完)

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おねしょマン 旅に出る モモチカケル @momochikakeru

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