日付のあるノート~「昭和史およびポストモダン」編

兎平 亀作

第1話 【書評】未完のファシズム(2017.6.3記)

【こりゃあ、ファシズム以前の問題だぁ】


1.書名・著者名等


片山 杜秀 (著)

『未完のファシズム(副題)「持たざる国」日本の運命』(新潮選書)

出版社 ‏ : ‎ 新潮社

発売日 ‏ : ‎ 2012/5/25

単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 352ページ


2.兎平亀作の意見です


本書は、大正および昭和戦前の政治・軍事史について、これまでにない、全く新しい視点を提示することに成功していると思います。


日中戦争から太平洋戦争に至る、我が国の軍事戦略と言うと「勝算なき竹槍戦法」と言うイメージがありますが、本書が力説しているのは「大正・昭和戦前の軍人が構想した軍事戦略は(見解の対立があったとはいえ)元々は、それなりに理に適っていた」と言う事です。


事の始まりは第一次世界大戦でした。大国同士の4年にもわたる総力戦・消耗戦に、軍人さんは、みんなショックを受けたんだそうです。

少なくとも「おんなじ事を日本では出来ないよ。やったら亡国だ」と言う危機感は共有されていた。

では、どうすれば良いのか?


一つの解は「限定戦争論」平たく言えば、短期決戦論です。この論の代表選手は、小畑敏四郎(1885~1947)だそうです。


「攻撃対象・戦場・戦法を限定した、短期決戦で勝つ。仮想敵国はソ連だ。」


そういう考え方です。

もう一つの解は「世界最終戦争論」です。これは、かなりイッちゃってます。この論の代表選手は、石原莞爾(1889~1949)だそうです。


「世界最終戦争は避けられない。大量破壊兵器により、世界の人口は半分になってしまうかもしれないが、もちろん大日本帝国は勝ち残り、全人類は解放されるだろう・・・・。」


だから中国から満蒙を奪って、日本の国力を養っておけと言う論法です。アニメかゲームみたいな世界観ですねえ。


ここで注意しておくべきは、どちらの論もアメリカを仮想敵国にはしていないと言う事です。「アメリカ相手の戦争なんて論外だ」この点は共有されていました。


繰り返しますが、限定戦争論も、世界最終戦争論も、どちらも(一応は)理に適っています。でも、現実の軍事戦略は、そのどちらでもない、なんだか訳の分からない物に成ってしまいました。その理由とは?


第一に、世界恐慌(1929)と、それに伴う中産階級・中小地主の没落、そして労働者・農民の反資本的攻勢に対し、当時の二大保守政党(政友会、民政党)が、なす術を知らなかったからです。誰の目で見ても、無責任そのものだったのです。


第二に、満州事変(1931)に対する国際社会の反発が、予想以上にキツかったと言う事。


第三に、日本のファシズムは、結局のところ、中途ハンパなもので終わってしまったと言う事です。ずいぶんと肌合いの違う、二つの大きな流れがあったからです。


一方には「天皇陛下を担いで社会主義をやろうじゃないか」と言う農本ファシズムの流れがありました。でも、国民の支持を得られたのは、ほんの一時だけ。底が浅いのを、すぐ見抜かれてしまったのです。


もう片方には、「ドイツ・イタリア流のファシズムを直輸入しようじゃないか」と言う流れもありました。この人たちは、思想的にはマルクス、ナチス、ヘーゲル、カント等のごった煮で、人脈的には、陸軍統制派、海軍、革新官僚(隠れ左翼の計画経済論者)、京都学派の哲学者、軍にすり寄った社会民主主義者等の寄り合い所帯でした。


この二つの流れのまとまりの悪さは、結局、最後まで克服できませんでした。


第四に、戦略的な見通しを持っているほどの軍人は、陸軍内部の足の引っぱりあいのため、ある者は主流から外され、ある者は陸軍を去り、ある者は危険な戦地に飛ばされて戦死し、ある者は、白昼堂々、暗殺されてしまったと言う事です。


第五に、そんなこんなで軍の統制は乱れ、中央の意向の無視、つまり、軍隊内の下克上が横行するようになったと言う事です。平たく言えば「やったモン勝ち」です。

盧溝橋事件(1937)も、北部仏印進駐(1940)も、現場指揮官の冒険主義に、中央が引きずられた結果。いわば自業自得なのだそうです。

良く知られているとおり、北部仏印進駐に続く、南部仏印進駐(1941)という暴挙が、日本とアメリカが、平和の内に取り引きする最後のチャンスを吹き飛ばしてしまいました。


これでは我が国の軍事戦略が「行き当たりばったり」に成ってしまうのは当然です。

結局、日本の軍事戦略は「味噌ラーメンと塩ラーメンを足して2で割った」みたいな竹槍戦法に行き着いてしまいました。

「世界中を敵に回して、短期決戦をやれ。戦争と国力増強とを、車の両輪でやれ。どうしたら良いかは、走りながら考えろ。武器がなければ、竹槍で突っ込め」などと言う、支離滅裂なラッパを吹かない限り、すでにボロボロになっていた軍事戦略の、取り繕いようがなかったのです。


とうとう「バンザイ突撃」バンザイ論みたいなのも登場します。この論の代表選手は、中柴末純(1873~1945)でそうです。その説くところは、


「小国日本に、短期決戦も、世界最終戦争もあるものか。総力戦になれば、どの道、勝算などあろうはずもないのだ。天皇陛下に『行って死んでこい』と言われたら、迷わずそうするだけだ。どんどん死んで、敵をビビらせれば、勝機もつかめる。天皇陛下お一人がご無事なら、日本は敗けても勝ちなのだ。」


確かに、米軍はビビらされました。沖縄の地上戦で、軍民一体となって行なわれた特攻に。

その結果、アメリカが出して来たのが原爆です。バンザイ突撃で原爆に勝てますか?


世に言う「天皇制ファシズム」あるいは「軍国主義」とは、国家が合理的な戦略を失った果ての、理念なき漂流の結果だったような気がします。

だれが加害者で、だれが被害者なのか。だれが騙して、だれが騙されたのかすら、ハッキリしないように見えます。

ファシズムとは、暴力に対する政治の敗北であり、無分別に対する分別の敗北のことだと、つくづく思います。

人間同様、民主主義もまた、病に倒れることがあるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日付のあるノート~「昭和史およびポストモダン」編 兎平 亀作 @6458abcd3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ