第4話 更生

 §1 暗転する体育祭

 梅雨入りの前々日、中学の体育祭があった。

 朝は一五度ほどで肌寒かったが、昼前になると二五度以上の夏日になった。


 吹奏楽部に入っている沙耶香は、運動神経もよく、フォークダンスを楽しみにしていた。沙耶香には推しの男子がいた。予行演習でも、その子とペアになると胸が高鳴った。

 運動会当日、フォークダンスの時、思いっきりジャンプして、その男子とハイタッチを交わした。空中で一瞬ながら、確かな手ごたえがあった。

「最高! 手、洗いとうないわ」

 カレン、幸奈、朱里の三人は、有頂天の沙耶香を冷めた目でながめていた。


 プログラムは進み、リレーになった。軽快な音楽、声を限りの応援で、グラウンドは興奮のルツボと化した。

 気が付くと、幸奈の姿がなかった。いつまで経っても帰ってこない。三人は探しに行った。


 幸奈は本部席横の給水場にいた。

 若い体育の先生が両手を腰に、幸奈を見下ろしていた。

「そうやろ。選手は一生懸命走っとるんや。みんなで応援せんといかんやろ」

 幸奈は下を向いている。黙っていると、体育の先生はますますエスカレートしそうだった。沙耶香は幸奈に声をかけた。

「どないしたん、幸奈ちゃん」

 先生は沙耶香たちに食って掛かった。

「どないもこないもあるかい。ここでボーッとサボっとったんや」


 §2 絶体絶命

 騒ぎが大きくなり、幸奈は半泣きになった。

「ウチ、喉乾いたけん、水飲みに来たんよ。そしたら、急にめまいがして…」

 幸奈は軽い熱中症だったのかも知れない。椅子に腰かけて休んでいるところに、運動場を巡回していた体育の先生が通り掛かった。キレやすく、直情型の若手教師だった。沙耶香たちに言わせれば、幸奈はアンラッキーとしか言いようがなかった。


「どうしたの。幸奈」

 保健の先生だった。幸奈の形勢はますます悪くなってきた。これから二人の先生にネチネチと説教されるのだ。


 保健の先生は幸奈の額に手を当て、目を見て、脈を測った。

「早く、保健室のベッドで休ませてやって」

 突っ立っている沙耶香たちに指示を出した。

「先生。こまめに水分を補給するように、開会式でも言ってあったでしょ」

 体育の先生に言い残して、保健の先生は幸奈を抱えて保健室に急いだ。


 保健の先生はテキパキと動いていた。

「いいわ。かなり落ち着いてきたようだから、三人はグラウンドに戻りなさい」


 §3 骨折り損

 沙耶香たちは、幸奈を保健室に残していくことは忍びなかった。幸奈は嫌な時間を過ごすことになる。

 体育祭が終わるのを待ちかねて、沙耶香たちは保健室に戻った。


 幸奈はベッドに起き上がり、あろうことか、保健の先生と談笑していた。

「さっきから先生みてて、ますます看護師になりとうなったわ。先生、かっこよかったよ」

(なんだよ。心配して損した)

 三人からガクッと力が抜けた。


「若いんだから、何でもできるよ。頑張りなさい。私なんか、来月の一日ついたちで三九歳よ」

「うちのママと同い年か。先生は中学生のころ、どんな子だったん」

 先生は訊かれるまま、子供のころ小説家を夢見ていたことなどを話した。

 三人も話に加わった。

「沙耶香は歯医者さん、カレンはパン屋さん、朱里はツアコンか。みんな、なれるといいねえ」

 四人は危うく最終バスに乗り遅れるところだった。


 §4 忘れられない人

「お疲れさまでした」

 枕元のスマホから声が聞こえた。

「今日のこと、知ってたの」

「ええ。ずっと、先生のスマホから外の様子をうかがっていましたよ」

(今度から、勤務時間中はスマホを切っておかなきゃ)

 そんなことを考えた。

「もう、その必要はないですよ。今日はお別れに来ました。我々ますます忙しくなってきましてね。先生の小説、第三章までしか聴けなかったのが心残りです。それでは、こちらから切らせていただきます」


 保健の先生は時おり、無性にスクハラ刑事の声を聴きたくなる。もちろん、パスコードは無効になっている。

「どんな方だったのかな。一度でいいから、顔を見たかったな」

 などとつい思ってしまう。

「いかん、いかん」

 そんな時はかぶりを振り、夢想家の自分を現実に引き戻すことにしている。


 一方、沙耶香、幸奈、朱里の三人はカレンの家に集まり、パウンドケーキを作った。月が改まろうとしていた。明日、保健室に届ける。

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サイバー刑事スクハラ班 山谷麻也 @mk1624

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