第3話 陳述

 §1 怒り心頭

 保健の先生はイライラしてきた。生理が近づいていた。

 最もひどい時は、文字通り地獄の苦しみだった。教員になりたての頃は、学校を休んだこともあった。両親も同僚の女性教員も、一人として優しい声を掛けてはくれなかった。


 それにしてもしゃくさわるのは、生理だと理由をつけて、保健室に逃げ込んでくる女生徒たちだった。なかでも、生意気なカレンのことが頭を離れなかった。

 眠れなかった。時間を確認しようとスマホを見た。

「今晩は」

 いきなり声がした。呼び出し音は鳴っていなかったはずだ。

「何、あなた!」

 声をあらげた。見知らぬ男が自室に踏み込んできたかのような驚きだった。

「夜分、失礼。お悩みのようでしたので」

 まるでスマホからうかがっていたみたいだった。


「あいにくですが、悩んでなんかいません。仮にも私は教師なんですよ」

 急いで通話をオフにしたが、相手の声は聞こえていた。

 電話の主は自己紹介した。

「スクール・ハラスメントって、誰の差し金なの」

 怒りのあまり、先生はスマホの電源を切った。


 先生は嫌なことを思い出してしまった。

 前任校でも、先生のことをスクール・ハラスメントだと投書してきた保護者がいた。学内に調査委員会が設けられた。先生は泣いて説明した。その生徒が欠席がちなこと、保健室登校が多いことなどをあげ、生理痛はなまけるための口実だと主張した。

「当該教員の指導がハラスメントに当たるとは認められない」

 まっとうな結論が出され、先生は自信を深めた。転勤になったのは、翌年だった。


 §2 母親の監視

(だいたい、最近の中学生は我慢が足りないのよ。私の時代は、どんなに生理痛が辛くても、学校を休めなかったよ)

 少女期の思い出がよみがえってきた。


 母親は娘を教員にするのが夢だった。母親も教育学部をめざしていたが、地元の国立大学は受からなかった。家庭は裕福ではなく、大学進学をあきらめ、信用金庫に就職した。

 母親は果たせなかった願いを娘に託した。

 娘が机に向かっていると、母親は手離しでめた。食事の時など、よく娘の勉強ぶりが話題になった。父親も目を細めていた。幸せなひと時だった。


 中学一年の冬、学校から帰るなり、冷たい板の間に正座させられた。母親は、娘が机の奥深くしまってあったノートを広げた。

「これは何なの。こんなことを書く時間がいつあったの。それに、何よ。セックスだとかキスだとか、けがらわしいことばかり書いて」

 創作ノートだった。


 母親の監視がきつくなった。初潮が来て、寝込んでしまったが、母親は

「また、同情を買うことばかり考えて。本当にずるい子や」

 と冷ややかだった。

 父親にも告げ口した。

「この子ったら、男女のいやらしいこと、ノートに書いとったのよ。私が見つけたからよかったけど。お父さんも、注意してよ」

 父親はさげすんだような目で娘を見た。

 父親から娘に声をかけることはなくなった。母親に何を言われようとかまわなかった。しかし、父親に無視されるのはいたたまれなかった。

 生理の時でも無理して学校に行った。母親に厳しく言われたからではなかった。怠けている、と父親に告げ口され、創作ノートのことを今さらのように話題にされることに耐えられなかったのだ。


 気になる男子生徒はいた。考えがその生徒に及びそうになると、ほかのことに集中した。たとえみだらなことでなくても、異性のことなどを思うと、父親からますます軽蔑されるに決まっていた。

 母親の知り合いが見合い話を何度か持ってきた。そのたびに断った。

 三〇歳を過ぎて、一人住まいを始めた。もう、鬱陶うっとうしい見合い話は来なくなった。


 §3 聴き役

 気が引けたが、先日教えられたアカウントにログインしてみた。

「なんだか、眠れなくて」

「考え事でもしていましたか」

 スクハラ刑事の口調は優しかった。

「私、このまま生きていていいのでしょうか」

 思わず口から出てしまった。

「どんなことを考えていたのですか。良かったら話してください」

 なかなか言い出せなかった。スクハラ刑事は黙って待っているようだった。電話の向こうに、あるはずのない息遣いきづかいを感じた。


 話は長くなった。途中、何度も言葉に詰まった。


「どんに辛くて苦しくても、それを言えなかったのですね」

 スクハラ刑事の一言に、声を出して泣いた。

「もう遅いから休みましょうか。創作ノートの話、感動しました。あなたの意識の外に追いやっていたことをもう一度書いてみるのもいいですよね。ぜひ、読んで聴かせてください。また、お会いしましょうね」

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