天ぷらと天賦の才

「ごめん。ちくわ買い忘れた」

 母は呆れた顔をしつつも「次は忘れないでね」としか言わなかった。

「それより、大学はどう?」

 どうと聞かれても困る。まだ授業の履修登録すらしていないのに。

「友達はできた?」

「そんなすぐには無理だよ」

 これ以上キッチンにいたら追求ばかりされそうだ。自室に逃げる。ベッドに身を放り投げて天井を眺める。天井にはシーリングライトくらいしかない。その虚無が楽だ。部屋の外は情報過多で疲れる。死にたいとまでは思わないけれどなるべく透明な存在に、具体的にはミズクラゲになりたいとは思う。

 なんてくだらない空想をしていたかった。意識を現実に引きずり戻したのは、けたたましいインターホン。そしてインターホン越しのバカでかい声。

「お母様! ちくわ買ってきましたよ! ちくわ!」

 どうしてあの男が家のインターホンを鳴らしているのか。跡をつけられたのか? いや、気配を感じられないなんて有り得ない。あの男は気配そのものがうるさいタイプだ。有り得ない。

 慌てて自室から飛び出す。男はクソでかい声で「お邪魔します!」と玄関で叫んでいた。

「八雲くん、寝てた? おはよ」 

 精一杯睨みつけても男は怯まない。

「あ、お宅では八雲くんじゃなくて龍也くんって呼んだほうがいいか」

 そういう問題じゃない。突っ込む気も失せる。

 一方、母は呑気に男からちくわを受け取っている。

「お使いありがとうね。せっかくだから晩ご飯食べていって」

「母さん! こんな怪しい男を家に上げる気か」

「馬鹿言うんじゃないの。先輩さんはあんたの代わりにお使いしてくれたんだから絶対いい人よ」

 その理屈でいい人か判断するならウーバーイーツの配達員は全員いい人になるのだろう。


 そんな母のガバガバ判定により男は家に上がり込み、野菜ばかりの天ぷらを旨い旨いと召し上がりやがった。

「いやぁ、お母様は天ぷらを揚げる天賦の才がありますね!」

「やだわぁ、先輩さん褒めるのが上手ね。おばさん本気にするわよ」

 ただ天ぷらと天賦の才を掛けた言葉遊びに付き合わされてるだけだろ。歌人連中はその手の韻を踏むのが無駄に得意だからな。

 とはいえ母に正論を言っても聞きはしない。まして上機嫌なときに水を差しても無駄だ。薄まるどころか蒸発する。

「あれ、八雲くんちくわ天食べないの?」

 男は手慣れた様子で僕のちくわ天を奪おうとする。

「返してください! 最後に残してるだけです」

 男は悪びれもせずに「へぇ。八雲くん好物は最後に残すタイプなんだねぇ」と呟く。

「だとしたら、結句に一番言いたい言葉を入れるタイプか」

 どうしてそこに至るのか。関係ないだろ。

 そして母は首を傾げた。

「先輩さん、結句って何?」

 男は大袈裟に驚いてみせた。

「八雲くん、もしかしなくてもお母様に短歌の話、してないのか?」

「母は未だに俳句と短歌の違いも分かっていませんよ」

「いや、字数の違いくらい説明して差し上げろよ」

 説明はした。俳句は17文字、短歌は31文字だと教えた。ところが母はそれすら理解していない。理解していないので本屋で夏井いつき先生の本を見つけると押しつけてくる。夏井先生は俳人だ。歌人ではない。

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戦闘短歌部 新棚のい/HCCMONO @HCCMONO

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