眠り姫に花を添えて

深茜 了

眠り姫に花を添えて

僕が四条しじょう うたと話すようになったのは、僕が愛読していた一冊の文庫本がきっかけだった。

詩は美人で成績も良く、特別明るいというわけではないが、誰にでも分け隔てなく接するので、この2年B組の人気者になっていた。男も女も大抵のクラスメイトが彼女のファンだった。

僕の方はというと、何の特徴も無い普通の男子高校生だった。運動が出来るわけでも、顔が良いわけでもない。少人数の友人グループを作って、目立たないように日々を過ごしているような生徒だった。


詩と初めて言葉を交わしたのは、二学期が半分くらい過ぎて、文化祭も体育祭も終わってしまった頃だった。

帰りのホームルームが終わった後職員室に用があって向かったら、そこに居た教師にこれ幸いとばかりに雑用を頼まれた。

それを二、三十分程で終わらせ教室に戻ると、クラスメイトは全員居なくなっていて、ただ一人、詩だけが自分の席に頬杖をついて座っていた。横を向いた視線の先は窓の外に向いていた。

二人きりになったとはいえ、詩に用事の無かった僕は荷物をバッグに詰めて帰ろうとした。しかし僕がペンケースをバッグに仕舞った時、後ろから声が降って来た。


「夢の中で死ぬと、現実の世界でも死んでしまうという説がある」


少しうっとりとしたような、滑らかな声だった。振り返ると、詩が僕の方を見ていて、ふふっと笑った。

彼女が読み上げたのは、僕が今日休み時間に読んでいた本に書かれていた一節だった。驚いたが、詩の席は僕の斜め後ろなので、本の中身を見ようと思えば見れたのだろうと思った。

「あの本、私も持ってるよ」

薄く笑ったまま、彼女の唇は言葉を続けた。読書をするとは初めて聞いたけれど、確かに彼女は外ではしゃぐよりも本を読んでいる方が似合う雰囲気を纏っている。

「・・・そう、なんだ」

人見知りな上に、関わることの無いと思っていた人気者に突然話し掛けられて、動揺した僕から出て来た言葉はそれだけだった。

「その部分を読んだ時、どう思った?」

困惑する僕をよそに、詩は話を続けた。そして再び頬杖をつくと、窓の外に目をやった。彼女の視線の先では、野球部が練習に励んでいた。ガラス窓一枚を隔てて、静と動が共生している。活発に動き回る部員を眺める彼女に西日が降り注ぎ、肩に流れる長い黒髪に光を与えていた。


「私はね、そうやって死にたいと思った」

彼女は目を細めて微笑んだまま僕を見ない。対照的に僕は緊張も忘れてはっきりと彼女を捉えた。

「・・・どうして」

「だって、一番素敵な死に方だもの。眠るように死ぬ、というか、言葉通り眠ったまま死ぬ、だね。首を吊ったって、薬を飲んだって、きっと目も当てられない状態で発見される。でも、夢の中で死ぬなら見た目はただ寝ているだけ。それって一番理想的な死に方だと思わない?」

「・・・四条さんは、死にたいと思うことがあるの」

僕の問いかけに、詩はやっとこちらに顔を向けた。

「・・・普段は、それなりに一生懸命生きているんだよ。でも、たまに自分がすごくちっぽけな存在に感じることがある。何でこんなに頑張ってるんだろうって思うことがあるんだよ。全てが無意味に感じられちゃうんだ」

賢い人間ほど無意味な事を嫌うと聞いたことがある。詩はどうやら哲学的な人で、そんな彼女は生きることに疑問を持ち、またその賢さのために自分の頭の中に発生した無意味さを排除したくなるのかもしれなかった。

「死にたい、ってほどじゃないんだ。でも、このまま目が覚めなければって思うことはよくある。・・・その程度だよ。だからその本のフレーズが魅力的だった」

彼女は笑った。けれどそれは泣き笑いで、目尻にできた皺が涙の跡に見えた。



教室での出来事から数日後、いつもは僕より早く来ている詩の席が空いていた。病欠だろうか。そう思い荷物を降ろして自分の席についたが、それから五分後、朝のホームルームで、詩が今朝息を引き取ったことを担任から聞かされた。

その場で彼女に何があったのかを知ることはできなかったが、噂とは波及するもので、後日クラスの女子が「夜寝たまま、朝死んじゃってたんだって。心臓発作とかでもなくて、医者でも原因が分からなかったらしいよ」「何それ、こわい」と話しているのを聞いた。本当に、彼女は夢見るように眠ったまま死んでしまったんだと僕は思った。



葬儀場には2-Bのクラスメイト達が集まっていた。クラスのほとんどの生徒が参加していたから、僕が混じっても特段浮いていなかった。詩は静けさを好みそうな人間だったから、この参加人数は詩ではなくて詩の両親の意向と思われた。

顔を上げると、黒いリボンで縁取られた彼女の笑顔と目が合う。あの日教室で見せた微笑とは違い、満面の笑みだった。この写真を撮った時、詩は何を考えていたのだろう。本当に楽しい気持ちで撮ったのか、それともこんな顔をしながらも人生の疑問について考えていたのだろうか。


「それでは、皆様おひとりずつ、おかんの中にお花を入れてあげてください」

葬儀場の進行係の号令に従って、参列者達が少しずつ花を手に取り、詩が横たわる棺の中に花を添えていった。僕もその列に加わる。

前に並ぶいくつもの頭を見ているうちに、いよいよ僕の番になった。死化粧を施されて眠っている詩はいつもと雰囲気が違う。頬に多く色味をさされているため、生前よりも血の気が良く見える。それが何だか皮肉に思えた。

その死化粧の傍らに、静かに数本の花を置いた。彼女の死に顔に目を落とす。

詩は自分の望んだとおり、眠ったまま空へと旅立っていった。容姿にも頭脳にも恵まれながら、人生に疑問を持った彼女。彼女がもっと単純で、哲学的でなければ苦しむこともなかったのかもしれない。哲学とは、ある意味快活な人生の妨げになるのかもしれなかった。

後ろがつかえるといけないので、僕は花から手を離すと、そっと席に戻る人達の列に並んだ。列の中で歩きながら考える。彼女は穏やかに逝けたのだろうか。どのような夢をみたのだろう。せめて、苦しみの無い最期だったことを祈るばかりだ。













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