第6話

 ガシャーン。

 目を疑う光景に、手から滑り落ちた皿が派手な音を立てて真っ二つに割れた。

 しまったと思うよりも先に、目に飛び込んできた惨状に愕然と立ち尽くす。

 和室には着物姿の初老の男が、頭から大量の血を流し仰向けに倒れていた。

 その近くに俺が持っていたものと同じような白い皿が粉々に砕け、その破片が散乱している。大きな破片には血がべったりと塗りたくったように付着していた。

 息をしていないのは明らかだった。皮膚はすでに生気が失われ青白く、血が噴き出した頭部はどす黒く変色していた。そして辺り一面に飛び散った血液。

 思い出した!この匂いは血だ。子供のころよく転んで擦りむいた膝から出した血の匂い。

 その匂いが部屋に充満し、むわっと辺りを包んでいた。

 血液の匂いと目の前で転がる死体に気分が悪くなり吐き気を催す。

「なんなんだよこれ!」

 パニックになって、頭が回らない。

 ―逃げろ― 

 誰かの声が聞こえた気がした。

 そうだ、逃げなくては!

 このままじゃ、このままじゃ巻き込まれる!

 ピンポーン。

 突如鳴ったインターフォンの音に飛び上がる。

 なんだ?誰だ?家族か?家族が帰って来たのか?

 どうする?どうすればいい?

 いや、わからない。もう何もわからない。

「あのー、すみません、たびたび」

 のんびりとした口調で玄関から聞こえてきたのはあのバイクの男の声だった。

「トイレをお借りしてもよろしいでしょうか?」

 はあ?トイレ?クソっ!とことん間の悪い男にイライラする。

「トイレなら、玄関の右側だよ!」

 思わず声を荒げてしまう。

「すいませんね、ホントに。えーっと、右側の、どっちの扉かな?すみませーん」

 いい加減にしてくれ!そう叫びたいがここまで入られてはまずい。

 ウンザリしながらも小走りで出向き、トイレの開き戸を開ける。

「さあどうぞ!」

 振り返ったその時だった。

「うぉらぁっ!」

 叫び声とともにいきなり腹を殴られ、ものすごい力でトイレに押し込まれた。

「うぐぅっ」

 あまりの痛みに思わず倒れ込み、息ができない。

 しばらく悶絶していると、ズズ、ズズと何かを引きずる音が聞こえトイレの前で止まった。

 いったい何が起こっているのか全く理解が追いつかない。

 扉の向こうから声が聞こえる。機械的な声だった。

「まさかこんなにうまくいくとはな。あんたみたいな間抜けが鍵を拾ってくれて助かったぜ。じゃあな、あとはよろしく」

 痛む腹を押さえ、なんとか這い上がってドンドンと扉を叩く。

 扉を押しても、ビクともしない。ノブは回るが、何か重いもので封鎖されているようだ。

 機械的な声はどこかに電話しているようだ。よく聞き取れないがここの住所を告げているようだった。

 やがて、電話が切れると玄関が開く音がして、少ししてから走り去るバイクの排気音が聞こえた。


 ようやく呼吸が整ってきた。痛みをこらえ、渾身の力で扉を押す。どうにか人が一人通れる隙間を作り這い出すと、玄関に置かれていた虎がトイレ前まで動かされていた。

「はあ、はあ」

 這いずって下駄箱を支えに立ち上がる。

 俺のスマートフォンがそこに置かれていた。

「クソ、何でこんなことに!」

 とにかく、とにかく帰ろう。まだ腹が痛んで靴を履くのにもたつく俺の耳に、遠くからサイレンの音が響いてきた。

 サイレンはどんどん近づき、あっと言う間に家の前に着くと、ドタドタと数人の足音が駆け込んでくる。

 まさか、まさかそんな。

「動くな!」

 ガラガラと扉が開き、銃口がこちらを向いているのが見えた。

 ギョッとして体が固まった次の瞬間、警官が俺をめがけて一斉に飛び込んできた。

「違う!俺じゃない!違うんだ!」

 体を羽交い絞めにされながら、俺は何度もそう叫んだ。


「ここで速報です。本日、H県N村で資産家のTさんが自宅で殺害されるといった事件が起きました。犯人は白昼堂々とTさん宅に押し入り、Tさんの頭を鈍器で殴り殺害。その後、金品を奪った痕跡もあるとの事ですが、不可解な事に警察によると犯人は自ら電話で自首してきたとのことです。現場にあった凶器に使われた皿や、使用したとみられる軍手などからは犯人の指紋も検出されたとのことで、今後事件の進展が待たれます」


 拘置所に届いた部長からの封書には、あの日の夕方ニュースで俺の名前が大々的に報じられたことが記された手紙と、解雇通知が同封されていた。


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末路 @zawa-ryu

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