第19話 間が悪い時って、あるよね

「よし! 全部、食べたね!」


 リカが嬉しそうに俺の頬を突っつく。俺は苦笑しながらも、感謝しかない。


「リカ。今日はありがとうな」


 心からの感謝を伝えつつ、俺は時間が気になっていた。

 今、夜の7時50分。

 サキのいるドイツのLübeckリューベックは昼の12時50分。

 スカイプでの定時連絡まで、あと10分である。


「じゃあ、茶碗を洗っとくね」


 リカは、鼻歌混じりで洗い物に取りかかる。


「このキッチン、使われてないね」


 返事もそこそこに、俺はノートパソコンをちゃぶ台に設置する。

 しかし、どうする? このままでは、二人が画面越しに鉢合わせてしまう。


「ねえ、ケンジ。このポスターとか見て、萌え~とか言うの?」


 すごい偏見だぞ、それ。


「お前なあ、そんな萌えだなんて言う奴は都市伝説に決まってんだろ!」


「そなの? でも、ケンジ。こんな女の子が好きなの? メイド服に萌えるの?」


 メイド服は確かにイイ!

 

「やっぱり二次元がいいのかな?」


「馬鹿言うなよ。三次元がいいに決まってんだろ!」


「そうなんだ」


 少し嬉しそうな声を聞きながら、俺はパソコン画面に目をやる。

 まずい!!!! 今、7時59分!

すでにサキさん、オンラインじゃないですか。

 いつもより、俺のオンラインの遅れに首をかしげているはずだ。


「リカ、ちょっとごめん。これから、ドイツ語レッスンの時間なんだ。今日は本当にありがとう。このお礼は絶対にするよ」


 早口でお礼を述べ、俺はスカイプを接続する。


"Hallo, Kenji. Wie geht es dir."(こんにちは、ケンジ。元気~)


 サキさん、今日はいっそう輝いていらっしゃる。

 しかも、後ろにパイプオルガンが見えるぜ。


”Hallo,Saki. Es geht. Ich fühlte mich besser, weil ich dein Gesicht sah.」(こんにちは、サキ。まあまあってとこ。でも、君の顔を見たから元気になったよ)


 ふふ、サキさんはまさかの返しに戸惑ってるな。

 俺だって、いつまでもGut.(いいよ)だけじゃないぜ。

 照れてるサキさんも、また最高だな。


 しかし、そこに悪魔が降臨する。


「ねえ、ケンジ? 誰と話してるの?」


 リカ! お前、帰ったんじゃないのかあ!!!!!!!!

 画面を覗くな~!!!! しかも顔が近い?


「えっ? リカさん。何で?」


「あ、あのさ、リカは……」


「あ、サキさん、久しぶり~。元気だった? 今日はさ、ケンジにご飯を作りに来たんだ~。ケンジ、美味しい、美味しいって」


 サキさんの笑顔、明らかに笑ってないやつですね。背筋が冷たいぜ。


「違うよ! 実は今日……」


「ケンジくん。リカさんにご飯を作ってもらう間柄なんだ……」


 やばい! 絶対にやばい!!

 誤解を解かないと、もう二度と接続してもらえないぞ!


「リカ! お前、少し黙って……」


 その瞬間、俺はまた目眩を起こして前に倒れ込む。

 意識が遠のく中、ノートパソコンが壊れなくて……と、冷静に分析している自分がいた。


「ケンジ!!」


「ケンジくん!!!!」


 リカが俺を床に眠らせる。その間、サキさんは口に手を当てているのが見える。

 そんな心配すんなよ。ちょっと、勉強やバイトをやり過ぎたってだけさ。


「ごめんね、サキさん。実はね」


 リカは今日あった出来事をサキさんに手短に伝えてくれた。

 サキさんは、すでに涙目だ。泣くなよ、サキさん。


「……だから、安静にしていれば大丈夫だって」


「本当? よかったあ。ありがとう、リカさん」


 その後、何が起こっていたのか、俺はよく覚えていない。

 1時間後、目を覚ました俺は、リカとサキさんが笑いながら通話しているのを確認する。


「あっ! 目を覚ました。ちょっと身体を起こすね」


 俺はおそるおそるサキさんに、目をやると、良かった!

 もう怒っていらっしゃらない。


「ケンジくん。無理しないでね。私、泣いちゃうから」


 勿論ですよ。でも、サキさん、やらなきゃならないときがあるんッスよ。


「じゃ、今日は二人に私の演奏を披露するね。ここヤコビ教会の中で~す」


 寒かっただろうに……。ありがとう、サキさん。


「ケンジくん。実はさ、私、そんなに歓迎されてないみたいで。日本人のオルガニストが何でドイツにって思われてるんだよ。聞きに来てくれる人、ほとんどいないんだ。だから、2人も聞いてくれるのは、とても嬉しいの」


 相変わらず強いなサキさん。そう言うと、カメラを横に置き、椅子に座る。

 そして、おもむろに重奏なオルガンの響きがこちらにも聞こえてきた。


 バッハの『主よ人の望みの喜びよ』 BWV147-10 (カンタータ147番より)だな。


 俺はサキさんのオルガンの中で、こいつが一番好きなんだ。

 あの二人で星空を見上げているときを思い出すから。

 

 あの時、俺はすっごい幸せだったんだな。

 気のあう友だちと好きな星空を見上げていられる時間がさ。


 音楽って不思議だよな。


 演奏が終わった瞬間、俺とリカは大きな拍手をする。ドイツまで届いたかな。


「今日は二人がいたから、とってもいい演奏ができたよ。いつかは、地元の人にも笑顔で聞いてもらうんだから」


 そうだよ、サキさん。ベルギー国際2位なんだぜ。きっと、伝わるよ。


 とても幸せそうに笑うサキさんを見て、俺は心底ほっとしたんだ。

 それが、この騒動の最後を締めくくったんだ。

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