第20話 こんな可愛い子と別れるなんて馬鹿だよね

 8月。

 ドイツ留学は、拍子抜けするほどあっさりと決まった。


「ケンジくん。ドイツの大学はね、入学してからがたいへんなんだよ」


 日本と違って、卒業できるのは2~3割だとも教えてくれた。


「だから、これからだよ。元気でね」


 トミサワ教授には感謝しかない。昔の知り合いに何度も電話してくれたらしい。

 ドイツはそういった繋がりを大事にするんだよ、と教授は片目をつぶって教えてくれたんだ。


 俺は心から感謝の握手をし、ドイツ渡航への準備を始める。

 

 明日は東京へ移動する日だ。あとは、成田空港からルフトハンザ機に乗り、成田→ミュンヘン→ハンブルクへ移動。

 そのあとは、ドイツ鉄道ICEで約1時間だ。


 でも、稼いだバイト代の半分が飛行機代で消えた……。

 両親がお金を出してくれなかったらと思うと、両親に心から感謝だ。


 ただ、最近、リカが俺を見て避けている感じがするな。

 何だよ、俺の挑戦を喜んでくれないのか?


「リカ! お前、何で俺を避けるんだよ」


「別に避けてなんか……」


 明らかに元気がない。俺は半ば強引に、リカをタリーズ海岸店まで連れて行く。

 リカと一緒に来た思い出の店だ。


 こいつは、いっつもここで笑ってたんだ。

 俺は強引にドーナツとデカフェコーヒーを2人分注文する。

 リカはうつむき加減で、俺の向かいの席に座っていた。


 リカは吹っ切れた、とばかりに俺に話しかけてくる。


「ケンジ。昔の思い出、話していい?」


「当たり前だよ。最近、お前と話してなかったから、久しぶりだな」


 俺は少しだけほっとする。

 こいつとは、最後、話しておきたかったんだ。


「中1のとき、ケンジ、私を助けてくれたの、覚えてる?」


「え?」


「ほら、忘れてる。4人の男の子が私の肌が褐色だって馬鹿にしてきたじゃん。その時、『褐色最高、お前ら夜のアニメ見てねえの?』って、しゃべりながら、あいつらを追っ払ったよね」


 追っ払ったんじゃなくて、何だこいつはみたいな雰囲気になったよね。

 でもさ、褐色の女の子、いいよね。


「それで、私、ケンジと話したくて学級委員に立候補したんだよ。それなのに、ケンジ、私のお尻ばっかり見てて……」


「いやいや、それは違うでしょ!!」


 俺は必死に否定する。いい話なんだか、けなされているんだか、分からないぞ!


「それにさ。中2の秋、ケンジ、自分を馬鹿にしてた女の子を助けたよね。その子を嫌ってた男の子が2階から水をかけたんだよね。ケンジ、その女の子を突き飛ばして自分が、ずぶ濡れ。それで一言『まさに水もしたたるいい男』って、後ろで歩いてた私まで恥ずかしかったじゃん」


「それは、忘れてほしかった……」


 だって、そんなときアメリカンジョークの一つでも言えなきゃ、場が持たないだろ。実際は、やっちゃった……って雰囲気になったけど。


「だから、同じ高校に行けたときは本当に嬉しかった。私がケンジをいつか助けてあげようって思ってた。でもさ、高校でも私、助けてもらってばかりだったよ。それに大学でも、あのヤバイ奴らから助けてくれたじゃん」


 う~ん、美化しすぎ。

 ショートヘアのリカは口をきゅっと結び、俺をじっと見つめている。


「ケンジ。私、ケンジがずっと好きだった。私のこと嫌い?」


 こんな出来事が俺の人生に起こるんだな……。現実だって思えないよ。

 汚部屋のオタク住人の俺に、こんなスイートな出来事があるなんて。 


「リカ、実はお前に話しておかなきゃいけないことがある」


「聞きたくない!」


 でも、俺は海外の留学話を切り出したんだ。


「やっぱり、ドイツの大学に行くんだ……」


 タリーズの窓席からは、見慣れた海が見える。

 目の前には、いつも以上に可愛いリカが座っている。

 カフェインレスのデカフェコーヒーしか頼まないリカは、やたらと木の棒でカップをかき混ぜている。


「うん。トミサワ教授が留学の推薦をしてくれたんだ」


「トミサワ……あの半分ドイツ人教授(怒)」


 リカはクリームを入れて、カップに蓋をし、一口だけコーヒー啜る。

 俺もコーヒーはデカフェ派だ。リカとは気があうんだ。


「こんなに可愛い子が行かないでって頼んでも?」


 俺は黙って頷く。本当にリカはモテまくりだった。

 告白されたのも2人や3人じゃない。


「おっぱい触ってもいいよって言っても?」


「そりゃあ、グラっとする提案だ。でも、オッパイじゃあ俺は止まらねえ。お尻じゃないとな」


「あんた、昔からお尻が好きだもんね」


「それ、すっごい誤解だから」


 顔を見合わせて、俺たちは笑う。

 こんな素敵な女の子、生涯会えないだろうな。


「そこに俺のやりたい未来がある気がするんだ。俺がちょっとだけ、宇宙に近づける何かが」


 そこで、コーヒーをごくりと飲む。喉に苦くて熱い何かが通り過ぎていく。


「だから、俺、リカの気持ちに答えられない。6年間は日本に帰らないつもりだ」


 リカの目から一筋、涙がこぼれていく。


「なんでドイツなの? サキさんがいるから?」


「それもある」


「サキさんが好きなんだね」


「うん」


 俺は正直に話す。リカは、すぐに席を立って店を出て行った。

 俺は勘定を支払い、リカを追いかける。


 リカは海浜広場の噴水の前で立ち止まっていた。


「ね、最後に一度だけギュッとしてよ。」


 泣きながら俺を見つめている。


「そりゃ、ダメだ!」


「何で? そこまで私が嫌いなの?」


「逆だ。ギュッとしたら、もう二度と離せねえ。リカはそんだけ魅力的で可愛いからな」


 黙ってリカは道に佇んでいた。両目から涙が溢れていた。

 本当に俺は駄目な奴なんだ。

 こんなに可愛い人の好意を、振り切って遠くに行こうとしている。


「少しでも好きなら、好きって言ってよ」


 消えそうな声でリカが話す。ここは俺も言わなきゃならねえ。

 腹に力を入れて、大声を出す。


「俺はリカが大好きだあ!! めちゃくちゃ好きだあ!! でも」


「でも?」


「サキのそばにいる! あいつを幸せにできるのは俺だけだ!」


 リカは目をハンカチで拭って、薄く笑う。


「目の前から消えてよ。このスケベ男。もう二度と私の前に現れないで」


 俺はリカに深々と頭を下げる。


「今までありがとう、リカ」


 これ以上は何も言えない。言いたかったけど、口には出さなかった。俺はリカを傷つけた。

 こんなにも素敵な、俺にはもったいない人を、俺は。


「元気でな」


 そういうと、俺は走った。全力でその場を後にする。

 そうしなければ、いけなかったのだ。


 そうして、俺は日本を離れたんだ。

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