第11話 このお守りって、その子にもらったやつだよね

 ゆっくりと外に出て行ったサキさんを慌てて追いかける。


「サキ! 25日って何かあるのか?」


「うん。実は私のコンクールの日なんだ。1回、ケンジくんに私のピアノを聞いてもらいたくて。ファイナルまで残ったら、午後5時を過ぎちゃうけ……」


「行くよ」


 はい、即答。


「いいの? 女子校との観測会」


「サキのピアノを聴く方が大事!」


 正直に言えば、サキさんを見る方がね。


「そっかあ。ありがとう」


 この屈託のない笑顔、好きだな。


「あ、ところでサキ。お、お腹すいてない?」


「ちょっとだけ、すいたかな」


「じゃあさ。昼、い、一緒にたべない?」


「いいよ。何を食べに行くの?」


 よし、ここはあれだよ。


「マックなんてどうかな?」


「うん。私、初めて入るから、やり方教えてね」


 よっしゃああああ。

 俺の妄想シーンが現実になるのかあ!!


 →はい、なりませんでした。


 できねえよ。

 互いに、「あ~ん」だなんて。 


 それでも、サキさんはマックの体験を喜んでいた。

 それだけで良かったよ。


 §


 コンクール当日は、すぐにやってきた。 町で一番でかいコンサートホールで演奏するんだな。人もたくさん入ってるぜ。


 サキさんは、当然ファイナル進出を果たした。

 でも、若干、顔色が悪くて心配だよ。


 俺は勇気を総動員して、控室をのぞきに行く。

 サキさんは、俺を見て微笑んでくれたけど、いつも見ている輝く笑顔じゃなかった。

 こりゃあ重症だ。これの出番がやってきたな。


「サキくん。これ」


 俺はポケットにしまっていた小瓶を取り出す。


「えっ? これって」


 俺がサキさんに渡したのは、昔、本人からもらった星の砂入りの小瓶だった。

 サキさんは、懐かしそうに手のひらに載せている。


「これ……。まだ、持ってたんだ」


「おう。俺のお守りなんだ。受験や気合いを入れたいときに身につけるんだ。そうすれば自然と落ち着けるからな」


 ミサキさんは、その星の砂を嬉しそうに眺め、やがて、ぎゅっと胸に押し当てて目を瞑る。

 よし、後で返してもらったら速攻でほっぺたにくっつけるぜ!


「きっと、星の砂が力を貸してくれる! 客席で応援してるから」


 そう言って、俺は客席に戻っていった。サキさんの生肩が、妙に眩しかったぜ。


 最後の演奏。ピアノの上手下手なんてよく分からない俺だが、サキさんのレベルが違っているのだけはよく分かった。

 目を瞑ると景色が見える気がするんだよなあ。

 気持ちも溢れてるし、悲しいや嬉しいが、いっぱい詰まってたよ。


 サキさんは当然のごとく優勝し、ステージの上で光り輝くようだった。そしてアンコールでもう一度演奏を披露する機会を得ていた。

 その瞬間、サキさんは一瞬だけ、こっちを見た気がする。


 最初のフレーズが響いた瞬間、俺はあの星空を思い出していた。

 冬の寒空の下、二人並んで見つめていたオリオン座や大犬座。

 その冷たく輝く光は、今でも忘れられない。綺麗な星の世界……。


 演奏が終わって、大きな拍手が巻き起こった。

 俺も夢中で手を叩いていたんだけど、この曲の題名が俺には分からなかった。

 隣で手を叩いているおばあちゃんに、尋ねてみる。


「あれはね。バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』っていう曲よ。綺麗な演奏だったね」


 バッハね。にしても、いい曲だったな。


 演奏会が終わり、インタビューなどでサキさんは忙しそうだった。

 遠慮した俺は、おめでとうは明日、学校で話そうと会場を出ようとした。

 その、瞬間、肩にふわっと手を置かれる。


「ケンジくん、どうだった? 私の演奏」


 主賓が息を切らせて走って来ちゃったよ、いいのか?


「おう、すごく良かったよ。特に最後のバッハ。冬の星空を一緒に見ている気がしたなあ」


 その瞬間、サキさんの顔にぱあっと笑顔が広がる。


「そうなの。あの曲はケンジくんと星を眺めているのをイメージして弾いたんだ。そっかあ、ケンジくんに伝わったかあ」


 何だかニヤニヤしているサキさん。そこに、サキさんのお父さんがやってくる。


「お、ケンジくん。大きくなったね」


「ご無沙汰してます。そして、おめでとうございます」


「高校でもお世話になってるね。サキ、夕食の時、いっつもキミの話ばかりだよ」


「ち、違うよ!」


 慌ててサキさんが否定しながら赤くなっている。

 そこに音楽関係者たちがやってきたので、俺はすぐに退散する。


「またな」


 会場を後に一人で歩いていた俺は、一抹の寂しさを感じていた。

 あいつは凄い奴でだ、到底かなわない、と改めて思い知らされるんだ。

 輝く才能をもち、夢に向かって歩いているサキさん。


 かたや『四畳半の俺の部屋に天使が舞い降りた』38話の作画がムラサキ先生で最高だったよな、なんて盛り上がってる俺とは住む世界が違う。

 大金持ちのお嬢様と庶民の俺。あいつ、勉強もできるんだよなあ。


 立ち止まり星空を見上げると、昨日までは近くに見えた星空が、急に遠くなった気がした。手が届きそうだった星々も、どんなに手を伸ばしても届かない遠くにある気がしたんだ。


「遠いなあ」


 そう思いながら、俺はJRに乗り込んだんだ。 

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