第2話 乙女座ってロマンチックだよね

「ケンジくん。乙女座ってどこ?」


 ようやく春が来て、天体観測にはいい季節になった。

 春はシーイング(星の見え方)がいいからな。

 最近はサキくんも、俺にどんどん話してくれてたんだ。


「乙女座は、北斗七星の柄の部分を伸ばしていけば明るい星にぶち当たる。その近くだよ」


 ざっくりと説明する。

 まあ、乙女座の一等星スピカは見つけやすい。


「オレンジ色の星?」


 説明がざっくり過ぎた。


「すまん。そいつは牛飼い座の一等星アルクトゥールスだ。それをさらに伸ばしていけば」


「あ、あった。あの白い星かあ」


「そう。ちなみにスピカの意味はラテン語で『麦の穂』だ。日本でも『麦星』って言われてる」


 脇の知識だけは、すぐに覚えてしまう俺だ。

 ラテン語なんて知らないけどな。

 勉強もそうだと良かったんだが。


「あと、アルクトゥールスとスピカは『春の夫婦星』とも言われてる」


「へえ、さすがに詳しいね」


 サキくんは感心した声を出す。

 そう言われたくてギリシャ神話や星座の物語を片っ端から読んだからな。

 今じゃ、天文ガイドまで買ってるぜ。


 そうして、出会ってから1年。

 何度もあの駐車場で、天体観測を続けていた。

 とはいえ、俺はサキくんの電話番号を知らない。


 まあ、駐車場で会えればラッキーと思ってたんだよ。

 何で待ち合わせなかったんだろうな?

 それは今でも謎だ。


 サキくんの家は、一緒に星を見た駐車場の隣にあった。

 だから、両親が付き添わなかったのかもしれない。

 俺ん家?

 両親が横にいるなんて1回もなかったよ。


 でも、6年生になってから星を見る機会が少しずつ減っていった。

 何でも受験がたいへんらしい。

 それでも、サキくんは2週間に1回は、やってきた。

 天体望遠鏡は、ほとんど持ってこなくなったけど。


「だって、準備する時間もないから」


 しかも、ときどき、お母さんに連れ戻されていた。


「ごめんねえ。ケンジくん。今日は勉強があるから」


 俺はと言えば、「いえ」みたいな声で小さく話すだけだった。


「ケンジくん、またね」


 サキくんは、名残惜しそうに手を振りながら家に戻っていくのが常だった。


 そうして12月になり、オリオン座が見える時期になった。

 クリスマスイブの日、かなり珍しいけどサキくんが俺ん家にやってきたんだ。

 夕食もそこそこに、早速、望遠鏡を担いで駐車場に行く。


 この年は雪が多かった。

 いつもの駐車場も雪が積もり、すぐに足が冷たくなっちまう。

 それもあって、あまり天体観測はできずにいたんだ。


「ケンジくん。今日、クリスマスイブだから。これ」


 そう言って渡してくれたのは、小さな小瓶だった。


「何これ?」


「星の砂。沖縄の海岸で拾ってきたんだ。星の形してるから」


 暗い中、電信柱の電球にかざしてみるが、小さすぎて見えない。

 でも、プレゼントは本当に嬉しかった。


「ありがとう、サキくん。俺も何か買っとけば良かったな」


「いいよ、いいよ」


 その日はほとんど話ばっかりして、星空は眺めなかったんだ。


「えっ? 附属中学校に合格したのか? おめでとう!」


「うん。ありがと」


 サキくんの顔にようやく笑顔が浮かぶ。

 俺は単純に喜んでいた。

 もし、そうなら、これからは星を見る時間が増えるのかな……と。


「うん……。そうだといいな」


 俺は羽目を外して、自分が好きなアニメを熱を込めて話した。

 この頃からだったろうか。俺はオタク道と呼ばれる修羅の道を歩き始めていた。

 サキくんは、あまりテレビを見ないらしく、苦笑いをしてたんだけど、それでも、俺の話をしっかりと聞いてくれたんだ。


「ありがとう、サキくん。星の砂、大事にすっから」


「うん、ケンジくん。メリークリスマス」


「おう、メリークリスマス」


 両親以外でクリスマスを祝ったのは、それが初めてだった。

 その日は珍しく夜の9時過ぎまで話し込んで、そうして別れたんだ。

 


 それが、サキくんと星を見た最後の日になった。



 3月の下旬、卒業式から帰ってくると、俺の両親がサキくんの引っ越を教えてくれた。


「サキくんの家、転勤が多いからね。お父様が挨拶に来て、丁寧にお礼を言ってたわよ」


 それを聞いて、俺はすぐに玄関のドアを開けて、外に飛び出していた。

 サキくん家は、俺の家から走って5分。

 いつもより、ひっそりとした家の前に立ち、しばらく家を眺めていた。

 

「マジかよ……」


 あの望遠鏡を置いていた室内には、もう何も置かれていなかった。

 冬の日に暖を取ったストーブも、俺のとは違った綺麗な自転車も。

 俺はすぐに玄関ドアの前に立ち、インターホンを押す。

 こんなに一緒にいたにも関わらず、俺は一度も、この黒いドアを開けていない。


 なぜ、来なかったんだろう。

 大切な友だちなのに、どうして遠慮したんだろう。


 同じ事をぐるぐると考え続ける。

 無機質なチャイムが何度も鳴り響く。

 サキくんは、ついに出てこなかった。

 もうサキくんと一緒に星を眺められない事実が俺を打ちのめしていた。


 その日、久しぶりに望遠鏡を担いで、駐車場へ行く。

 サキくんの家は真っ暗なままだった。

 当たり前だけど、いつもみたいにサキくんが走ってくる姿もなかった。


 俺は望遠鏡を牛飼い座に向ける。

 うしかい座の中でアルクトゥールスの次に明るいε(イプシロン)星。


「この星は二重星だ。主星のオレンジ色と伴星の青が見やすくねえか? 『プリケルマ』って別名まである。ラテン語で『最も美しい者』って意味……」


 俺は接眼レンズを見ながら、途中で説明を止める。

 今度はこの説明を話そうって決めてたんだ。


 その二重星がぼやけて見えたのは、シーイングが悪いせいだ。

 友達とお別れしたからじゃ、ねえからな。


 ---------


 星のガイド②


 一等星

 ざっくり言うと明るい星。全天で21個あるらしい。

 ただ、明るい星が全部一等星かというと、それは間違い。

 金星、火星、木星、土星はかなり明るいため、初心者は星座早見盤などを使っていると、「何だ、あの星?」となりがちです。

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