第4話「今際の際」
レンジロウの忠告を頭の中で反芻する。
他人の物は盗るな、他人の過去は聞くな、そして吊られた人型に近づくな。
前の二つはなんとなく分かるかも知れないが、最後の一つはなんなのか。
普通に考えたら吊るされた人型なんて物、それだけで不気味で近寄ろうとはしないだろうが。
理解しようと思考を巡らせる俺に対して、改めてレンジロウが口を開く。
「まあ、順を追って説明してやるよ。この世界にいるデッドマンは皆『執着』ってモンを持ってる。それは頭の中の考えとかボンヤリしたモンじゃなく……明確に形ある物として、だ」
「執着、ってどっかで……そういえば」
そう聞いて俺は先ほどの白い部屋の出来事を思い出す。
あの白装束の少女が俺の「執着」だと言っていた腕時計を、ポケットから取り出した。
幸い、受け取ってから左腕に付け直すことなく無造作にポケットに放り込んでいたお陰で、先程の土泳魚に腕ごと食われずに済んだのだ。
「そいつがトー坊の執着かい。そいつは絶対に、絶対に無くすんじゃねえぞ。デッドマンはそいつを壊されると、完全に消滅しちまうからな」
「消滅……!?」
危うく即死する所だったと理解して、ゾッとする。
「何気なく仕舞った場所が運命のターニングポイントだなんて、普通気付かねえよ……!」
「まあ野生動物どもは腹が埋まればそれでいいからな……だがそのせいでデッドマンにとって物を盗まれるってのは、お前さんが考える以上に死活問題なのよ」
なるほど、それで他人の物を盗むな、と。
確かにデッドマンにとって執着が命と同義なら、それを盗もうとすれば文字通り殺されても文句は言えない。
「だけど自分の執着って他人にとってはそんなに価値はないんじゃないのか?俺の執着なんか、ただの止まった腕時計だし……」
「いや、他人の執着はもっと別の意味で欲しがっている奴は沢山いる。これについては、実際に試した方が早いかも知れねえな」
そう言うとレンジロウは立ち上がり、棚から何かを取り出して、こちらに向き直った。
「トー坊、お前さん……無くした記憶を取り戻したくはないか?」
—————————————————————
「無くした、記憶……?」
それは、あの白い部屋でエンマから話を聞いた時からずっと気に掛かっていたことだった。
なにせ死んだらしい時の記憶が完全にすっぽ抜けていて、何が原因で死んだのか全く検討がつかないのだ。
覚えているだけの自分の境遇を思い出しても死ぬような、殺されるような心当たりは無い。
一緒に住む家族は親父しかおらず、慎ましやかな生活ながらも家族仲は悪くなかった。
高校での友人関係も広くはなけれど、恨まれるようなことはしてこなかった筈だ。
重大な病気にでも罹ったのか。
交通事故にでも遭ったのか。
あるいは、通り魔殺人にでも遭ってしまったのか。
気にならないと言えば、嘘になる。
「だがなんで、レン爺は俺が記憶を無くしている事を知ってるんだ……?」
俺はここに来て、自分の事についてはほとんど話していない。
だからこそレンジロウの口から記憶の話が出た事に対して、驚きを隠せなかった。
「デッドマンは皆そうだからな。どれだけ記憶を無くしているかは程度が違うが、皆揃って死ぬ直前の記憶は無い上に……皆同じ原因で死んでいる」
同じ原因で死んでいるという言葉も引っかかるが、自分の記憶を取り戻せるならそちらの方が先決だ。
それは、自分の死因を思い出せばハッキリするだろうから。
「記憶を、取り戻す方法があるのか?」
「ああ、苦しい選択になるかもしれないが」
「デッドマンが記憶を取り戻す方法、それは他のデッドマンの執着を奪って食う事だ」
一瞬で背筋が凍りつく。
先程のレンジロウの説明で、デッドマンにとって執着とは命そのものだと理解していた。
それを食べる事は、つまり。
「率直に聞くがお前さん、記憶を取り戻すために他のデッドマンを殺す覚悟はあるか?」
嫌な予感は、レンジロウの問いかけで確信に変わった。
このままずっと忘れたままでいる恐怖と、思い出す為に他人を殺さなければならない恐怖。
二つの恐怖が心臓を締め付けてくる。
答えを出すのに、少し時間がかかった。
「……だったら俺は、記憶が戻らなくても良い。記憶のために他の人を犠牲するぐらいなら……忘れたままの方が、良い」
確かに忘れた記憶が気にならないと言えば嘘になる。
だがそれは、人の命を天秤にかけるだけの価値はある物だろうか。
ここにいる人が既に一度死んだ身だとして。
それでも自分の記憶のためにもう一度殺していいとは、思えなかった。
「そうかい。……お前さんが良心のある人間で良かった。だからこそ、これを渡しておく」
そう言うとレンジロウは先程棚から取り出した物を机の上に置いた。
それは一目見る限り何の変哲もない指輪だった。
装飾も無ければ模様もついていない、金属製の指輪だ。
内側には誰かの名前が刻まれている。
「この指輪はもう消えちまった奴の執着だ。体がなくなっても執着だけは、しばらくこの世界に残る……もうじきその執着も消えて崩れちまうだろうがな」
その指輪を手に取って、手のひらに乗せる。
金属のはずのそれに、どこか温かさを感じた。
「これは、そいつの最期に立ち会った時に渡されたんだ。せめて役に立ててくれってさ……。少ししか思い出せないかもしれないが、お前さんの手で人を殺すよりはよっぽど良い筈だ」
既に消えたデッドマンの執着と聞いてもまだ俺は躊躇っていた。
顔も知らない人の執着だったものを、俺が使ってしまっても良いのだろうか。
しばらく悩む中で、ふと親父の顔を思い出した。
雑な部分こそあったものの、男手一つで面倒を見てくれた親父。
親父との最後のやり取りはなんだったのか。
親父に最後まで、迷惑をかけてなかっただろうか。
記憶のために人を殺すなんてしたくはない。
だけど家族との記憶が欠けていたままにもしたくはなかった。
意を決すると、俺は顔も知らない誰かに両手を合わせ、恐る恐るその指輪を口の中に入れた。
そしてそれは砂のように崩れ……
—————————————————————
窓から差し込む夕暮れが、薄暗い部屋の中をそっと照らしている。
真昼では少し汗ばむほどの夏日だったが、夜が近づくにつれ少しばかりひんやりした空気が部屋に満ちる。
……どうしてこんな事になったのだろう。
目を落とせば、暖かい斜陽に照らされた二人。
視線が動くにつれて橙から赤になって。
自分の体ともう一人の少女が、血溜まりに転がっているのが見えた。
「……っぁ」
自分の腹は大きく裂かれていて、絶え間なく赤が流れ出ている。
もう助からないと素人でも一目見てわかるほどの傷だが、何故だか痛みはほとんど感じない。
腹の傷を押さえていた手を、その少女に伸ばす。倒れ込むように泣きじゃくるーーーの頭を、そっと抱き抱えた。
とても、大切なことだった気がするのに。
腹の傷の経緯も、その少女が泣いている理由も、酷く曖昧なまま。
痛みも、浅い呼吸も、ーーーも、差し込む夕日に溶けていく。
何もかもがぼんやりとした世界の中で、最後に自分の口から溢れた言葉だけがいやにはっきりしていた。
「ーーーは、何も悪くないよ」
そして俺は足元に転がる血塗れの包丁を手に取って。
自分の喉を静かに刺した。
—————————————————————
不意に意識が体に戻り、呼吸を自覚する。
手が震え、冷や汗が止まらない。
過去の傷を思い出すのと同様に、実際に痛覚を感じた訳ではない。
だが先程頭に流れた記憶に、そこで見た理解の外側の光景にパニックになりかけていた。
見慣れた家にいたあの少女は誰だ。
どうして俺は大怪我を負っていた。
そしてなぜ、俺は自分の喉を刺した。
「トー坊、落ち着け……。こいつを飲んで、ゆっくりと呼吸をするんだ」
レンジロウはコップに水を注ぎ、俺に差し出した。
出された水を一気に飲み干して、荒い呼吸を整える。
「死んだ時の記憶を思い出したのか……ゆっくりでいい。話さなくてもいい」
諭すように話しかけられてようやく震えが止まる。
呼吸が静かになるにつれて、暖炉の火の音が聞こえてきた。
「ごめん、急に取り乱して……」
「いや、いい。死に際を思い出して取り乱すなって方が無理な話だ。無理に聞こうとはしねえよ……特に、苦しい記憶だろうからな」
苦しい記憶。
そう聞いた俺は、先ほどのレンジロウの言葉を思い出した。
ーデッドマンに過去を聞いてはならない。
ーデッドマンは皆、同じ原因で死んでいる。
俺が思い出した記憶と同じ原因とすれば。
その疑問を察したかのように、レンジロウは答えた。
「ああ、デッドマンになっているのは全員……過去に自殺した人間なんだよ」
ロスト&ファインダー ジャクソン @jackson3123
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