第4章 男子団体戦開幕 激闘一回戦 雄介、男を見せろ! 昭和テニスマン怒りのW実業戦! +オマケ「昭和テニスマン 美女トレーナーにメロメロ」
第四章 秘密のベール 五月二五日(土)
一 杏佳のアウディに同乗して、国分寺駅の北に向かう。今日は、東京都高校テニス選手権男子団体戦が行われる。
今日はコートで練習しないから、杏佳もウェアじゃない。ブルーデニムのショートパンツ(ラフに裁断して裾がふさふさしてる)にパープルの短いキャミソール。長袖のジャケットはホワイトのシースルー。それと五㎝ヒールの白いスニーカー。チラっと出てる縦長のおへそがいい。キャミがタイトなので、形の良い豊かな胸が強調されて、ほっそいウェストとの対比も抜群だ。
試合会場のW実業高校に到着し、杏佳が入り口で「当校のOBなんですが、応援に来たので車を置いてよろしいでしょうか」と聞いたら、「ああ、久しぶりですね。結構ですよ。どうぞ」ということだったので、遠慮なく駐車場に入れさせてもらった。守衛さんも杏佳のこと覚えてた。参加要項に「車での来場はなるべくご遠慮下さい」って書いてあったけど、やっぱり美人は得なんだな。
「『応援に来た』って、お前、K高の応援じゃないか。隣に乗ってるのも俺だし」
「あはは、まあ、嘘は言ってないでしょ。さ、いこ。開会式始まるよ」って言いながら、杏佳は車から降り、サングラスを外して、キャミの胸元に掛けた。おー、いい女、カッコいい。
駐車場から通路を歩いて、初等部のエントランスをくぐった中庭で受付をやっていた。
「都立K高着きました。エントリーお願いします」って、キャプテンの僕が受付をしていたら、部員たちが集まってきた。
「裕先輩、杏佳コーチ、おはようございまーす。うわー、コーチ、今日はまた一段とお美しいですねー。ドキドキしちゃいますー」
「おはよ。そんなお世辞言ったってなにも出ないわよ。ふふ。でもありがと」
「講堂の日陰にシート敷いて場所取りしてありますから、どうぞ、行きましょう」
皆でK高の縄張りに移動して、日陰のシートにバッグを置いて、杏佳用の三脚スツールを置く。男子と違って、杏佳は地べたであぐらかくわけにいかないし、椅子は必須だよな。
午前九時三〇分から開会式。第一シードのW実業の山に入った一二校(ベスト一六の山。シード四校なので一二校)が並んで競技委員長の訓示を聞く。そして優勝旗の返還。W実業の主将、手塚真司が委員長に旗を手渡し、その後選手宣誓。正々堂々、全力を尽くすそうだ。
開会式後は、すぐに試合だ。第一シードのすぐ下の組なので、当然第一試合になる。部員たちと一緒に野球場の外縁を歩き、奥の線路沿いにあるテニスコートに移動する。試合は一番手前のAコート。サーフェスは平和の森と同じ、砂入り人工芝。
審判役のW実業の選手が既に来ていて、
「第一試合。都立H高校と都立K高校のキャプテンは、挨拶してオーダーを交換して下さい」と言うので、僕は、一緒に隣で話を聞いていたキャプテンらしき選手に、「宜しくお願いします」「こちらこそ。よろしく」みたいな挨拶をして握手を交わし、オーダー票を交換した。ああ、僕は第一試合で向こうのキャプテンと対戦だ。先鋒にエースを出してきたんだな。いいじゃないか。弱小校同士、正々堂々とやろうぜ。
部員たちにオーダーを報告し、「よし、俺からだな。頑張って来るぞ」と言って、バッグと試合球持ってコートに入ろうとしたら、杏佳が僕のシャツの裾持って引き留めて、
「裕。審判もそうだし、次に当たるW実業の選手も見てる。今日は、ワングリップでやろう。サーブもバックもスピン禁止。本番は来月のシングルのインハイ予選なんだから、手の内明かさないこと」って言って来た。
「えー、せっかく練習したのに、試合で使わないと身に付かないぞ」
「それはそうだけど、あんたのテニスは初見ではどうにも対応できないんだから、勿体ないよ。今日は隠しとこう。あんた今日は去年の夏のままでいいわ。それでも圧倒できるでしょ?」
「まあ、なんか釈然としないけど、コーチがそう言うならそうするか」って言って、コートに入る。「裕先輩、ガンバ!」って部員たちが見送ってくれる。
ベンチにラケットバッグを置き、レクシスを張ったラケットとボールを持ってエンドラインに移動。今日もパツパツの昭和ウェアだ。タッキーニの黄色いラインのポロシャツ。マッケンロー(注 往年の名選手。華麗なサーブ&ボレーでファンを魅了した)が着てたやつだ。
H高のキャプテンと何球か軽くラリーをし、その後前に出てボレーをいくつかやる。今のところ、それほどの力量の持ち主には思われない。
その後、お互い軽く二~三球サーブを打って、さあ試合開始だ。今季初戦、どの程度できるかな?
二 サーブは裕からだった。相手選手は比較的長身で一八〇近くあるけど、ウォームアップを見た限りではそれほど強そうではない。裕はとにかくサーブは落とさないだろうから、相手のサーブを一つでもブレークできれば、八―五で勝ちだ。
始まった。裕がスっとトスを挙げ、左足を右足に揃え、背中を反らせてラケットを立て、一瞬静止する。そこから、腹筋で体を戻しながら、少し前にあげたボールに向かって前傾しながら肘をぶつけていく。ああ、しなやかで綺麗なフォーム。見とれちゃう。
遅れて出てきたラケットヘッドに撃ち抜かれたボールは、「バンッ!」ていう炸裂音とともに、瞬時に相手コートを襲う。渾身のフラットサーブ。
あ! 危ない。正面に行った。避けて! ああ、避けた。ボールに触る余裕なんてまるでなくて、しゃがんで避けるので精いっぱい。相手選手は、(なんだ今の?)って首をすくめ、目をまん丸にして驚いている。H高の応援団をちらっと見て、(すげーな。こいつ)って苦笑いしてる。
一五―〇 「裕先輩ナイスー!」の声とともに、裕はアドコートに移動。
今度はトスを少し外にあげた。スライスサーブだな。相手選手も分かってるから、トス見て、スッとバックに移動する。だけど、裕のサーブはその想定を軽く上回る。ハイスピードでスライドしながら、ネットを越えて「キャッ」っと沈み、サイドライン際で跳ねて、さらにスライドしていく。卓越したスイングスピードがなせる業だ。相手選手は一瞬追うものの、すぐに、(あ、こりゃだめだ。取れねー)ってあきらめる。これじゃ、隣のコートに入ってないと取れないものね。最初からそこにいるとセンターにフラット打たれるし、対応しようがない。
結局裕は簡単にサーブ四本でキープ。調子は良さそうだ。
こうなると相手は苦しい。自分のサービスゲームは一つも落とせないから、プレッシャーがかかる。ああ、やっぱり、しょっぱなからダブルフォルト。〇―一五。
次は割といいサーブがバックに入るけど、裕はスライスで深く守りのリターン。その後はバック同士のラリーになるが、裕は低く滑るスライスで丁寧に繋ぎ、相手が五球目をネットにかけた。〇―三〇。ワングリップでもラリー大丈夫そうね。
「裕、スライスいいよー。繋いでこう!」って応援してたら、後ろから、
「あれ? 杏佳先輩?」って声が掛った。
「ああ、真司君か。久しぶりね、元気そうじゃない」
「杏佳先輩も。だけど、ずいぶん細くなりましたね」
「うん。選手やめちゃったからね。今は、週二でちょっと打ってるだけ。だけどジムに通って身体は鍛えてるよ」
「へー、そうなんだ。やめちゃうの勿体ないけどな。今日はウチの応援に来てくれたの?」
「んーとね、そうじゃなくてK高の応援。今、週一でK高のコーチしてるんだ。二回戦に進んだらW実業と当たるし、どっち応援していいか複雑なんだけどさ、まあでも、真司君のとこ、まさか負けたりしないでしょ?」
「まあ、そうかも知れないけど、なんで杏佳先輩がK高で教えてるんですか」
「今、試合やってる裕に頼まれたの。家が近所でね、お父さん同士も仲良しで、それで私、裕と時々一緒にテニスしてるの」
「ふーん、奈良か。知り合いだったんだ。しっかし相変わらずデカいな。身長いくつあるの?」
「そろそろ一九七になるって言ってたな」
「一九七‥‥‥。俺より三〇㎝も高いのか。腕も長いから、サーブの打点は四〇㎝くらい違うのかな。ほんとにうらやましいな。一〇㎝でいいから分けて欲しい。それでも一八七なんだから十分だろ」
「そうだけどさ、真司君、一〇㎝大きかったら、今みたいにストローク上手くなかったかもよ。敏捷性も落ちるしね。だから今あるものを伸ばすほかないんだよ。裕だって背は高いけどストロークへたくそだしね。全体にちょっとずつ進歩はしてるけど、今日のテニスだって去年と大差ないでしょ」 ごめんね、真司君。でも嘘は言ってないわよ。だんまりを決め込んでるだけ。
「そういえばそんな感じかな。でも確かに精度は上がってる気がする」
「うん。そうね。まだまだ基本的なスキルが出来てないから、私も足りないとこ、ちょっとずつ教えてるんだけど、試合で使うのは少し時間がかかりそうね」
そしたら、真司君が、
「なんで? 杏佳先輩、なんで奈良にそこまでしてあげるの? インハイ予選で俺と当たるかもしれないのに。付き合ってるの? 彼氏なの?」って、少し険しい目つきになって、問い詰めてきた。
「うーんとね、そうね、それ、答えなきゃだめ?」
「どうしても嫌ならいいけど、俺は聞きたいな」
「‥‥‥」
そのとき、後ろから、急に、
「しつこくするのやめろよ。困ってるだろ」って声が掛かった。意外、雄介君だ。
「気持ちは分かるけどさ、答えに窮してるんだから、それが答えだろ? 察してやれよ」って続ける。真司君は、一瞬、目を見開いて、カッて怒ったような表情をしたけど、すぐ元に戻って、
「‥‥‥ああ、そうだな。確かにその通りだな。杏佳先輩、しつこく聞いてごめんなさい。それから、誰だか知らないけど、君も。なんか一瞬憎たらしかったけど、おっしゃるとおりだ。ごめんな。あと、ありがとうな」って言って、「じゃ、また。二回戦で」って初等部棟の方へ戻って行った。
「雄介君ありがとね。男らしくてかっこよかったわよ。頼もしいわ」って言ったら、雄介君は「へへ」って頭に手を当てて、赤くなって照れてた。
「でも、言うほどしつこくなかったわよね。真司君、あの人、ちゃんとした人よ」
「そうでしたね。僕も杏佳コーチ助けたい一心で、つい出過ぎた真似を。はは」
そうしているうちに、
「ゲームセット&マッチバイK高校。スコア八―一」ってアンパイヤが告げ、試合が終了した。ナイスゲーム。裕にリターンミスが二つ出たゲームをキープされただけで、あとは全く寄せ付けず、余裕の勝利。特にサーブは、一般的なレベルの選手では、もはや対応不可能。返ってこないからボレーの練習にもならなかった。
裕、去年よりずっと強くなってるわよ。この調子でいこう。
三 第二試合のダブルス、みんなで必死に応援したけど、やっぱり杏佳の言うとおりまだ力不足だった。健闘はしたけど、スコア四―八で敗退。
「裕せんぱーい。杏佳コーチ。みんなー。申し訳ない。ごめんなさーい」って両手合わせながら二人が引き揚げてくる。首をうなだれてる。
「ドンマイ。まずまず食らいついた。ナイスゲーム。これ、来年につなげよう」ってみんなで労ってあげた。
これで一勝一敗。勝負は第三試合、雄介の第二シングルスで決する。
雄介が、「それでは行って参ります!」ってみんなにお辞儀して、それからパンパンと両手で頬を叩いて気合入れて、くるっと反転し、小さな背中に決意をにじませてコートに入る。
「雄介ー、頼んだぞー。頑張れー!」 みんなで叫んで送り出す。
H高校の第二シングルは、雄介と同じ位の体格の小柄な選手だった。アップを見る限りストロークはまずまず、だけどボレーとサーブは苦手そうだ。スピード、パワーともに、さほどではない。
試合が始まってみると、予想通り、「とにかく拾って繋ぐ」という、雄介と同タイブのプレースタイルだった。いわゆる「シコラー」で、ロブ気味のストロークで繋ぎ、自分からはミスせず、相手のミスを待つテニスだ。サービスライン付近で跳ねるチャンスボールでも打ち込まず、相手の苦手なバック側に丁寧に返す。一、二回戦でよく見るタイプ。
同じプレースタイルのシコラーなので、試合時間はやたらと長くなる。サーブが非力なのでサービスキープとかブレークとかあまり意味がなく、お互い取ったり取られたりを繰り返し、接戦になっていく。もう、BコートとCコートは、次の学校の対戦に移行している。
だけどよく見ると、雄介の方が少しだけアグレッシブだ。この一カ月、杏佳がコーチして、リスクを取って決めにいくハードヒットを教え込んだんだ。繋ぎ合っているうちに、浅く高い球が返ってきたら、思い切ってオープンコートに打ち込む練習を積んできた。この試合でも、いくつか試してはいるけれど、やはりまだ精度が低いのと、打ち込む勇気がどうしても足らず、手元が狂ったり、中途半端になって取られたりして、ここまで収支はせいぜいトントンといったところか。
スコアは六―六で並んだ。次のゲームは相手のサーブだったが、このゲーム取られると王手なので、プレッシャーがかかったのだろう、いきなりダブルフォルトを二つ続けてくれた。これはラッキーだ。その後お互い一ポイントずつ取り合って、一五―四〇。雄介ここはチャンスだぞ。
ファーストはフォルト、もうセカンドは力なく置きにくるだけ。雄介は丁寧にバックに返す。相手選手は一つもミスできないから、ロブ気味で雄介のバックに繋ぐ。雄介はそれを読んでて、フォアに回り込んだ。
「決めろ! ストレート!」って、皆で叫び、雄介もスピンかけながらストレートにハードヒット。相手はもう追えない。だけどボールは、ああ、エンドラインをわずかにオーバーし、アウト。惜しい。だけど今の展開よかったぞ。
「ドンマイ。惜しいぞ! まだリードしてる。チャンボ(チャンスボール)は打ってけ!」って声援を送る。これで三〇―四〇。
次のポイントも同じ展開。雄介がバックに返し、相手はロブで繋ぐだけ。今度はフォアに浅い球が返ってきた。そこだ、決めろ! 雄介はスピンかけてクロスにハードヒット。だけど、緊張していたのだろう、「ガサッ」っとネットにかけてしまった。瞬間、雄介が「ああー」と顔を覆う。これで四〇―四〇。押してた分、ここを落とすとすごく嫌な感じだ。だけどこれがシコラーの戦術、大事な試合なんだからプレッシャーがかかるのは仕方ないけど、勇気を出して打ち勝つほかない。ここはいっちょ激を飛ばすか? ‥‥‥と思っていたら、
「雄介君! 腕が縮こまってるわよ。余計な事考えないで、もっと腕振って! チャンボは思い切り叩いて! 大丈夫よ! 命取られるわけじゃないんだからっ!」って、杏佳が叫んでた。はは、先越されちゃったな。
雄介は、それ聞いて、緊張で青くなった顔をこっちに向け、だけど無理に口の端でニッと笑って、相手に向き直り、
「さあ、チャンボ来い!」って言いながら、前傾姿勢でラケットをクルクル回した。おお、ちょっとカッコいいじゃないか、雄介。
次のポイントも同じ展開。雄介がリターンを相手のバックに返し、相手も雄介のバックにロブ気味で繋ぐ、それをまた雄介がフォアで回り込む。眼の前にポトンと落ちたボールが高く跳ねる。雄介はそれを厚い握りで打ちに行く。
「叩け! 決めろ!」 全員で叫んだ。
雄介はスピンをかけながら、「フッ!」って思い切りストレートに打ち切る。迷いがない。ラケットが回転して、肘が高く上がっている。
ボールは、オーバーするような勢いだったけど、スピンかかった分ライン際でストンと落ち、コーナーの内側に着弾して、相手が必死に伸ばしたラケットの先を、そのまま抜けていった。
よし決めた! ナイスショット! よく思い切ったぞ。ゲーム七―六。王手。
最終ゲームはもう一方的だった。雄介は、相手が繋いだ球が短くなればフォアのスピンで叩いて決めた。四発で終わり。相手シコラーの戦術は最後の最後で破綻。そして、雄介はシコラーから脱皮して、はっきりと次のレベルに昇華した。
「ゲームセット&マッチバイK高校 スコア八―六 そしてK高が二―一で団体戦勝利です。選手は並んで下さい」と審判から指示が出る。
K高とH高の選手が並び、「ありがとうございました」と挨拶して握手する。僕が向こうのキャプテンと握手したら、
「いやー、強いな。驚いた。こんな選手と当たったことなかった。間違いない、お前の才能は本物だよ。インハイ予選も頑張ってくれ。期待してるぞ」って励ましてくれた。だから僕も、
「お前だって出るんだろ? お互いどこまでいけるか分かんないけど、まあ頑張ろうぜ」ってエールを返した。H高は気持ちのいい連中だったな。さっきのシコラーもニコニコしながら雄介と握手してた。
いやー、しかし際どかった。激戦だった。興奮した。弱小校同士のさしてレベルの高くない試合だったけど、K高にとっては大きな大きな勝利だ。記録がないから分かんないけど、たぶん本校初勝利。
選手がコートの外に引き上げると、部員と杏佳が、「やったー。よく頑張ったー!」って、みんなで囲んで労いの言葉をかけてくれた。僕は、
「みんなも応援ありがとうな。応援の力と普段の練習の成果で勝てたんだから、全員の勝利だよ。だけどやっぱり、最後に重圧跳ね返して勝ち切ってくれた雄介がMVPだな。よく頑張ったぞ!」って言いながら、雄介の頭を撫でてあげた。
そしたら、雄介は、「うう‥‥‥」って言って、顔グシャグシャにして、
「えーん。裕せんぱーい。怖かったよー。えーん」って言いいながら、僕に抱きついてきて、背中に手を回し、お腹に顔を埋めて、ヒックヒック泣きじゃくった。
後ろで杏佳が直立して、口開けて、だけど声を出さずに「キャー!」って顔をしてる。だけど、そのうち平静に戻り、腕組みして、鼻から「ふーっ」って息吐いて、「まあ、今日はしょうがないわね。貸してあげるわよ。ふん」って言って、苦笑いしながら、雄介の頭を撫でてあげていた。
四 一回戦が終了した。残りの一回戦のカードが終わらないと二回戦に進まないので、しばらく間が空く。一時間くらいか。なので、中庭の縄張りに移動して、ちょっと早いけどお昼ご飯だ。部員の大半はコンビニのおにぎりとお茶、あとホットコーナーの唐揚げなんかだったけど、おほほー、僕は、
「はい。おべんと作ってきたわよ。どうぞ、召し上がれっ!」っていう、なんとも甘酸っぱーい展開。部員たちが、
「いーなー、裕先輩、いーなー」って一斉に言ってきた。ふふふ。いいだろう?
「ごめんねー。みんなの分まで作るのはちょっと無理だったわ。私と裕の分だけ。だけど試合中だから凝ったお弁当じゃないわよ。おにぎりと卵焼きと野菜と果物だけ。お腹一杯になると動けないからね」
「それで十分だよ。おお、しょっぱい、塩気がきつい、これスポーツマンおにぎりだな。具は‥‥‥お、梅干し。おお、いいの使ってる。美味しい。けど、すっぺー」
「運動してるときは塩分大事だからね。しょっぱくしといたわ。ほかのは鮭と塩昆布よ」
「お、いいね。だけど、お前ん家のことだから、いくら醤油漬けとか、牛肉しぐれ煮とか、そういう具を想像してた。いや、別にそれが食べたかったって言うんじゃないんだぞ」
「あんた、いろいろウチのこと誤解してるみたいだけどね、そんな毎日ご馳走食べてるわけじゃないのよ。案外質素なのよ。ご飯食べるときだって、リビングの端っこの四畳半の畳にちゃぶ台おいて三人で食べてるんだから」
「えー、なんか意外な感じ。あんなデカい家で、わざわざそんなことしてるのか。‥‥‥って、おお、この卵焼き美味いな。ネギとジャコか。出汁も効いてる。これお前が作ったの?」
「そうよ。私、こう見えてお料理上手なんだから。あんたほどじゃないけどね」
「はは、別に意外じゃないよ。それに俺が作れるのは寿司だけだからさ。杏佳が料理上手でよかったよ。どれもすごく美味しいよ」
そしたら、上から、「愛情弁当食ってやがる‥‥‥」って声が掛った。
見ると、手塚が僕と杏佳の弁当を覗きながら、腰に手を当ててた。
「お、手塚、久しぶり。元気そうだな」
「お前もな。さっきの試合見てたぞ。ナイスゲームだ。去年より全体に上手になったな。サーブは相変わらずだし」
「まあ、ストロークはお前に遠く及ばないけどな。次の試合はお手柔らかに頼むぜ」
「こちらこそよろしくな。進行が割と速くて前の試合が第二試合終わったから、あと二〇分くらいだぞ。弁当早く食っとけ」
「お、それ言いに来てくれたのか。ありがとな。またあとでな」
「ああ、またな。‥‥‥まあ、でも、とにかく、俺はお前だけには負けるわけにいかなくなったからな。全力で叩きつぶすぞ。じゃな」って言い残し、手塚は背中向けてW実業の縄張りに帰って行った。
最後の何? って顔で杏佳を見たら、杏佳は黒い睫毛を伏せて、無言で、静かに首を振って返してきた。そうか、聞いちゃいけないんだ。何かあったんだな。まあ、薄々想像つくけど、男女の仲だからな、いろいろあるさ。ほっとくことにしよう。
しばらくして集合がかかり、みんなでAコートの脇に移動。審判役の選手から、
「それでは男子団体二回戦、W実業高校と都立K高校の試合です。キャプテンはオーダーを交換してください」と声がかかり、僕は手塚に「宜しくお願いします」って言いながらと握手して、オーダーを交換した。が、手塚は、僕と目を合わさず、
「悪いな。これ、俺が決めたんじゃないぜ」って言ってきた。
あれ? なんだこれ。手塚が第二シングルスに回ってる。僕とは当たらないんだ。
戻って、「これ、どういうことだろう?」って杏佳に聞いたら、
「ああ、監督がさっきの試合見てたんでしょ。ことによると真司君、あんたに負けるかも知れないって思ってるのね。きっと」
「ええ? 仮に俺が手塚に勝っても、ダブルスと第二シングル落とすわけないじゃないか」
「そうだけどさ。より確実に勝ちに来たのよ。あんたを回避して、ダブルスと真司君なら一〇〇%勝てるでしょ?」
「えーっ? 第一シードがそんなことまでするのか? さっきのH高だって堂々とエースぶつけてきたのに‥‥‥」
「ウチの学校、去年の主力が三人抜けて、正直真司君一枚になっちゃったからね。とにかく安全に毎試合勝ちぬいてインハイ決めたいんでしょ。監督も先生じゃなくて専属のコーチだから、結果出さないとね」
「そういうことか。手塚との対戦はインハイ予選まで持ち越しか。しかしなあ、わざわざ手塚を雄介に当てるって、なんか『そこまでやるか』って気がするな。手塚の宣誓、なんだったんだよ」
「別に悪いことしてるわけじゃないし、真司君だって絶対思うところあるはずなんだから、分かってあげなさいよ」
「うん。まあ、そうか、そうだな。‥‥‥それで、俺が当たるのはどんな選手?」
「去年の団体でインハイ出てる選手ね。個人戦は都の三二。ただ、ダブルスの方が得意で、ボレーはいいけど、ストロークは真司君には遠く及ばない。高校に入ってから片手バックに変えたので、バックハンドにはっきりと弱点がある。あんたのスライスでバックハンドを攻めておけば、まず大丈夫よ。この試合もワングリップで、スピンサーブもなしでいこう。監督見てるし、丸裸にされちゃうわよ」
「ああ、そうしよう。向こうがその気なら、こっちも正直にやる必要ないしな。それじゃ、行ってくる」
五 試合が始まった。でも、裕はなんかちょっと怒ってるみたい。ファーストもセカンドもお構いなく、フラットサーブで相手のバックにバンバン打ち込んでる。相手はバックが弱いから、分かってても差し込まれて、いいリターンが返せない。裕はネットに詰めて、オープンコートに簡単に決める。
リターンのゲームは、ワングリップだから攻撃はできないけど、相手のバックに丁寧に深く返す。裕は返ってきた球をバックのスライスで繋ぐ。だけど、地を這うような強力なスライス。エンドライン深くまで滑空して侵入し、そしてスっと低く滑る。相手はたまらず裕のフォアに球を散らすけど、それが裕の狙い目。高い打点からフラットでクロスにズドーンとミサイル発射。低く伸びるボールがコーナーを襲い、相手はもうロブで逃げるのが精いっぱい。もちろん裕はネットに詰めてて、オープンコートにスマッシュを叩き込む。もう一方的な展開。
ああ、テニスは残酷だ。ほかが全部良くても、たった一つ弱点があるだけで、そこを突く技量を備えた相手ならば、徹底的に突かれて、為す術なく敗れ去ることになる。
相手の選手も、サーブとボレーは結構いいので、二つキープされたけれど、結局八―二で裕の勝利。快勝だ。
試合を終えて出てきた裕に、
「裕。ナイスゲーム。快勝だったね。お疲れ様」って声を掛ける。
「ああ、なんか乱暴なテニスになっちゃったけどな」
「そんなカッカしないの。いいことないよ」
「知ってたのか」
「そりゃ見てたら分かるよ。意地になってフラットサーブ打ってたじゃない」
「うん、そうな。だけど相手の選手も『咬ませ犬』みたいで嫌だったろうな」
「そういうオーダーなんだから仕方ないよ。チームのためってことじゃない? それにあんたのテニスもバレなくてよかったわ。去年と同じ、フラットサーブとボレーだけの不器用なビッグマン、ってことになってるわよ。きっと」
「そうだな。来月のインハイ予選に向けて、全体のスキルを上げて行こう」
六 「ひー、負けましたー。強かったー。申し訳ありませーん」と言いながら、ダブルスのペアが引き揚げてきた。さすがに相手は強かった。スコア一―八。
皆で、「いやいや、よく頑張った。お疲れさん」と労った後、第二シングルの雄介が出陣。相手は昨年の東京王者、手塚真司。
「よし! 頑張ってきます!」と気合入れて出て行った、わずか一〇分後、
「ゲームセット&マッチバイW実業。スコア八―〇 W実業が二―一で勝利です」ということで、雄介は華々しく散った。二ポイントしか取れなかった。何もさせて貰えなかった。青くなって茫然としてる。口からホワホワ煙が出てる感じ。まあ、相手は東京王者、いい経験になったじゃないか。お疲れさん。
両校の選手が並んで挨拶して、僕は手塚と握手する。
「やっぱり第一シードは強かったな。この後も頑張れよ」
「ありがとう。お前とやりたかったけどな。インハイ予選でまた会おうぜ」
「そうだな。俺も練習しとく」
「優秀な美人コーチが付いてるからな、用心しとくよ」
試合後は、負け審に入らないといけないので、僕が主審、雄介が副審で残り、次の対戦の三試合を裁いて、みんながいる中庭に戻る。
「おまたせー。お疲れさーん」
「お疲れ様でしたー」って、あれ? 杏佳がいない。ああ、W実業の方で話し込んでる。まあ、そりゃそうだよな。しばらくしたら僕を見つけて帰ってきたので、キャプテンの僕が今日の総括を行う。
「えー、皆さん。今日は大変お疲れ様でした。選手たちはよく頑張ってくれました。あと応援のみんな、どうもありがとう。とても力になりました。さすがにW実業には力負けしましたが、今日は記念すべき団体戦初勝利を挙げることが出来ました。これもみんなで頑張って練習してきた成果です。部員みんなの勝利です。それから、この一カ月間指導をしてくれた杏佳コーチの貢献も非常に大きかったと思います。みんな、コーチにお礼言おう。ありがとうございました!」 ペコリ。
「ありがとうございましたー!」 そしたら杏佳は、「いや、私なんて‥‥‥」ってヘドモドしながら、下向いて赤くなっちゃった。なんか笑いながら目元を擦ってる。はにかんだ横顔が頬を染めて、とってもチャーミングだな。
「それじゃ、今日のMVP、雄介を胴上げだ!」っていうことで、みんなでわっしょいわっしょい雄介を胴上げ。雄介は「ひゃー! 楽しいー!」ってすごく嬉しそうだった。そして、
「じゃ、次は杏佳コーチ!」ってことで、今度は杏佳をわっしょいわっしょい胴上げ。なにしろ小さくて軽いもんだから、三mくらい? とんでもなく高く上がり、
「キャー。怖―い。身体が浮くー」って身体縮めて悲鳴をあげていたけど、みんなお構いなく何度も胴上げし、
「はい最後、落とすぞ!」
「バカーっ! やめてーっ!」って、さすがにそんなことはせず、みんなで優しく受けて止めて胴上げ終了。そしたら、杏佳は、「うっ、うっ」って言いながら僕に抱きついてきて、グシグシしながら、「‥‥‥怖かった。幽体離脱した。もう二度としないで‥‥‥」ってブツブツ呟いていた。僕は、「あはは、怖かったか。ごめんごめん」って言いながら優しく背中をさすってあげた。後ろで雄介が口開けて、声出さずに、「キャー!」ってやってる。
周りの高校は、「一回戦勝っただけで胴上げやってやがる。よっぽど嬉しかったんだな(苦笑)」って感じで、僕たちを微笑ましく眺めていた。
七 会場を後にして、国分寺駅北口の吉野家に集合。駅ビルの駐車場に車を入れて、杏佳と歩いてお店まで行ったら、もうみんな到着していた。
「よし、打ち上げだ! 今日も俺のおごりだからな。遠慮せずに『肉だく牛丼』いけよ。大盛りでも特盛でもいいぞ。もちろん卵も忘れるな!」
「おー、裕先輩すてきー!」って、去年と同じパターンだな。
よせばいいのに、杏佳もみんなに乗せられて、肉だく牛丼の大盛りを頼み、卵をかけて、「美味しー。牛丼って美味しいよねー。女子一人では入りにくいから、あんまり食べる機会ないんだー」って言いながら、嬉しそうに食べてた。
が、完食後、案の定、「うう‥‥‥。さすがに食べ過ぎた。苦しい‥‥‥。動けない‥‥‥」って、両手をテーブルに伸ばし、突っ伏してグエグエ言い出しちゃった。可愛いキャミのお腹がポンポンになってる。はは、ミルク飲み過ぎた子猫みたいだな。
「まったく、そんな無理するからだ。ちょっと食休みが必要だな。ええと、お前たち、もう解散でいいぞ。俺はしばらく杏佳と一緒にいて、車で帰るからな」って言って、部員たちは、「それじゃ裕先輩、杏佳コーチ、これで失礼します! また来週」って、元気よく挨拶して帰って行った。
僕は、部員が帰ったのを確認し、シートに座っている杏佳の横に移り、杏佳の腰に手を回して抱き寄せた。杏佳は、「ふふ。気持ちいい。消化進みそう」って言いながら、手を僕の腰に回して、頭を肩に預けてきた。幸せそうに、ニコニコしてる。
「今日は勝ててよかったね」
「ああ、みんないい思い出になっただろ。本当にお前のおかげだ。ありがとな」
「ふふ、裕にそう言って貰えると嬉しいな」
「ホントだよ。お前が雄介鍛えてくれたおかげだ。あと、あんとき雄介に激飛ばさなかったら、きっと負けてたぜ」
「そうかもね。雄介君、今日、完全に一皮むけたわね」
「そういうきっかけになる試合ってあるよな。勇気を持って、挑んで、『あ、通用するんだ。』って経験すると、一気にステップアップできるんだよな。力の伸び方って、なぜか階段状なんだよな」
「そうね。雄介君、来年はエースになるんだね。キャプテンにするの?」
「まあ、それはみんなが決めることだけど、俺は推薦しようと思ってる」
「それがいい。きっといいキャプテンになるよ」
「ああ、そうだな。だけどお前、あんまりおしゃべりしてると消化に差し障るぞ。しばらく大人しくしてろよ」
「うん、そうする」って言いながら、杏佳はそっと目を伏せ、やがて僕の肩に頭を乗せたまま、スースーと穏やかに息をし始めた。はは、お腹一杯で眠くなったのか。黒くて長い睫毛が綺麗だな。
吉野家なんだけど、目の前には空の丼が並んでるんだけど、なんかこれ素敵なシーンだな、って思いながら、僕は杏佳の眩しい太腿をずっと見つめていた。
* 第四章 オマケ 上には上が
(作者注 このオマケ編は、ややイレギュラーな作成経緯がありますので、できれば先に作者ページの「近況ノート」をご覧頂けると、よりよいのではないかと思います)
一 とある日曜日、僕は、寿司屋のバイトの前、午前八時に府中のゴールドジムに行った。エレベーターを四階で降りて、右手のカウンターに行くと、杏佳はもう来ていた。
「あ、来た。裕、おはよ」って言いながら、杏佳がテーブルを立つ。
今日の杏佳は、黒のロングスパッツ、黒のウェイトリフティングシューズ、上はピンクのタンクトップに黒のグローブ。グレーのキャップの穴からポニテを出して、リボンはピンク。いいね、こういうのも似合うね。空いた胸元から見える白い谷間がなんとも「健康お色気」って感じで素敵だな。
杏佳はフロントに行って、中にいる女の人に、「こちらが今日見学に来た、奈良裕くんです。受付してあげてください」って言ってる。女の人は、カウンターから出てきて、「ああ、こちらが杏ちゃんの彼なのね。背高いわねー。ようこそ、いらっしゃい」って言いながら、笑顔を向けてくれた。
だけど、僕は挨拶も返せず、しばらく言葉を失ってしまった。
こ、これは、も・の・す・ご・い、美人! たまげた。こんな人いるんだ。背が高い、一七五㎝くらいありそう。肌がすごく白い。普通の白さじゃなくて、雪みたいな、青みがかった白さ。髪は天然の栗毛。そして、この肩と背中の厚み、太いけど長い脚と大きなヒップ、うわ、胸もデカッ! だけどウェストほっそ!
これはもう完全にフィギュアですよ。生けるバービー人形。参りました。ど真ん中ストライク。一六〇㎞のストレートにバットはかすりもせず、長嶋茂雄みたいに一回転して尻もちついた気分。さすがの杏佳もここまではどうだ?
僕が、真っ赤になって手を頭に回し、「えと、えと‥‥‥」とかヘドモドしてたら、杏佳がそーっと手を伸ばし、お尻をギュイってつねりながら、「まったく、あんたも分かりやすいわね。シャキっとしなさいよ」って小声でささやいてきた。イテー。
だが、ありがたいことに、それで『サキャ!』っと覚醒し、僕は笑顔で「初めまして、奈良裕です。K高校の三年です。テニスの選手です。宜しくお願いします!」って元気に挨拶できた。 そしたら、その巨大な美人は、
「私は相沢尚(なお)って言うの。K高なら私と昇(しょう)の後輩なんじゃない。これから宜しくね」って言って手を差し出してくれた。僕は握手させて貰いながら、あれ? この人、どこかで見た気が‥‥‥
「あー! あの尚さん? 終業式で水着披露してくれた、セクシー尚さん? ナイスボディ尚さんだ! 思い出した。僕あの時一年生でした。すごく刺激的でした。みんなポーっとなってました。しばらく尚さんの話題で持ち切りでした。あのあと尚さんが『月間ボディメイク』の表紙になったとき、友達がサイン貰ってきて自慢してました」
「あはは、覚えてくれてたんだ。ありがとうね。あれ水着じゃないんだけどね。あの頃は今よりずっと細かったから、印象だいぶ違うだろうね。それじゃ、トレーナー呼ぶから、上で着替えてきてね」って言って、尚さんが黄色いロッカーのカードを渡してくれた。
二 上下スエットに着替えて四階に降りてきてみると、若い男性のトレーナーさんが待っていた。
「君が見学の奈良君か。テニス選手なんだってね。俺はトレーナーの小田島昇(しょう)って言うんだ。よろしくね」って言ってきた。
てか、この人も、も・の・す・ご・い、筋肉! なにこれ? この巨大な肩と胸、女性のウェストくらいある脚、突き出たヒップ。だけど手足長! ウェスト細っ! しかもすごいイケメンで、背も高い。一八〇㎝くらいあるか?
いやー、先ほどに引き続きビックリ。世の中にこんな人いるんだ。この人、コスチューム着せたら、そのまんまバットマンだよ。ホント。
気を取り直して、僕が、「奈良裕って言います。今日は宜しくお願いします」って挨拶したら、
「俺の後輩なんだって? 一応、俺も例の終業式出てたんだけどな」ですって。
「あー‥‥‥大変申し訳ありません。尚さんしか覚えておりません」
「ま、そうだろうな(苦笑)。それじゃさっそく見学行こうか」
館内の各種マシンとフリーウェイト(ダンベル、バーベルなどの重量物)、それからカーディオ(有酸素性運動)のスペースを一回りして、その後テーブルに座ってカウンセリング。
「しっかし、ずいぶん背が高いなー。二mくらいあるの?」
「今、一九七です。そろそろ止まりそうですけどね」
「そうか、じゃ、筋トレ始めても骨の成長を阻害しないな」
「僕も一生懸命筋トレしたら、昇さんみたいな身体になれますかね。すごい憧れちゃうんですけど」
「うーん、ごめんな。かなり難しいと思う。背が高すぎる。俺でも高すぎるくらいなんだから。背が高いとその分沢山筋肉が要るんだよ。俺が今九五㎏くらいだから、裕君なら、同じフォルムにすると一三〇㎏くらいになるぞ。その量の筋肉をつけるのも、維持するのも、途方もない努力が必要だ。毎日一㎏肉食ったりとか。はっきり言って現実的ではないな」
「ああ、そういうものなんですか‥‥‥」
「だけど、いわゆる細マッチョなら一年くらいでなれると思うよ。十分カッコよくなるだろう。やっぱりさ、テニスもそうだしボディメイクもそうだけど、それぞれ競技特性があるから、それに向いた体形とか体格ってあるから、それは仕方ないよ」
「そうですね。まあ当面はテニス選手ですから、それに合ったトレーニングメニューを組んで下さい」
「そうだな。筋肉つけると単純なパワーはつくんだけど、その分重くなってスピードが落ちるんだ。当然だよな。テニスは砲丸投げなんかと違って、あんな軽いボールを打つわけだから、腕力とかの過剰なパワーがあってもそんなに意味はなくて、結局瞬発力が全てだよな。だから鍛えるとしても、腹筋、背筋、脚といった体幹だけでいいと思う。それだけで、姿勢が安定してブレが少なくなるし、サーブなんかは反って戻すわけだからスピードも増すぞ。逆に、肩、胸、腕といった、見栄えのする筋肉、鏡見てうっとりなるから『ミラーマッスル』って言うんだけど、これらは全く必要ないと思う。特に腕を重くすると確実にスピードが落ちる」
「ああ、そうなんですか。腕の筋肉つけちゃいけないんですね」
「でんでん太鼓と同じ理屈だな。軽い重りならクルクル回るけど、重くしたら回しにくいし止めにくいだろ」
「ああ、なるほど。だけど腹筋、背筋なら家でもできるような気がしますね」
「そうだけど、自重じゃ、それこそ五〇回も一〇〇回も出来ちゃうだろ? それだと有酸素性運動になっちゃって、筋力アップできないんだ。例えば、いくら毎日ジョギングしたって、スクワットで一〇〇㎏挙げたりできないだろ」
「ああ、そうか、確かにそうですね」
「そういうわけで、裕君の場合は、あまり余計な筋肉を付けずに体幹のパワーアップを図るのがいいな。基本はデッドリフト(背中の基本種目)とスクワット(下半身の基本門種目)になるけど、フリーウェイト(バーベル、ダンベルなどの重り)だと怪我の危険があるから、マシンで腹筋、背筋、レッグブレスをやるといいよ。早速試してみよう」
三 マシンのエリアに移動して、まず、腹筋のマシンをやってみる。
脚を固定して、両手で頭上のバーをつかみ、へそを潰すように屈みこむ。もちろん負荷がかかってる。
「あー、これ効きますねー。負荷をかけて収縮させてる感じがすごくする。自重の腹筋運動とは全然違いますね」
「そうだろう。今は三〇㎏でやってるけど、どう? 余裕?」
「そうですね。まだまだ行けそうです」
「じゃ、五〇でやってみよう」
「あー、これ、きついです。一〇回はできないかな」
六、七‥‥‥きつい。八回が限度だった。
「効いただろ。明日絶対腹筋が痛くなるぞ。まあすぐ慣れるんだけどさ。そしたら、次回からは六五でやること。三セットで、インターバルは九〇秒。多分、六、五、四回で、平均五回できるはずだ」
「え? そんなんでいいんですか。回数少ない気がしますけど」
「そんなんだからいいんだ。筋肉つけずに筋力だけつけるためには、高重量で低回数のトレが向くんだ。柔道みたいな体重制限のある種目の選手がやるメニューだな。平均八回できるような重量だと、筋肉ついちゃうからやっちゃだめだぞ」
「なるほど。じゃ、まずは六五から始めてみます。ちなみにこのマシンだと一〇〇㎏までありますけど、昇さんはいくつでやってるんですか」
「俺は、これだと足りないから、プレート持ってきて一三〇㎏かな」
「一三〇‥‥‥。とても同じ人間だと思えない。おみそれしました‥‥‥」
その後、順次、背筋のマシンと、レッグプレスを試した。
「これで一通りやったな。三種目で四〇分もあれば終わるだろ。これを週二~三回やれば、一カ月くらいで、十分成果を感じられると思うよ。物足りないなら肩と胸をちょっとやってもいいけど、あんまりやり過ぎないように」
「はい、とりあえず、今日教わった三つをしばらく続けてみます。四〇分なら学校行く前に寄って、トレしてシャワー浴びればいいんですもんね。あんまり負担にならないな」
「それいいね。俺も高校時代はそうしてたよ。早朝はジムも空いてるからトレしやすいしな」って言って、昇さんはジム内をキョロキョロ見渡して、「あ、いた。ちょっと」って言って、僕をベンチプレス台のところに連れて行った。
昇さんは、ベンチプレス(一一〇㎏だ)をしているトレーニーがセット終わるまで待ち、「くーっ」って声とともに挙げ切ってガシャンとラックに戻したところで、
「師匠。ちょっといいですか」って声を掛けたら、
「おお、昇。なんだ」って四〇過ぎ位の感じの男性がこちらを向き直った。
って、この人もすごい身体。筋肉質。白く刈り込んだ髭がダンディでハンサムだ。
「師匠。こちらは僕の後輩で奈良裕君って言います。テニスの選手です。今度ウチのジムで体幹を鍛えることにしたそうなので、僕のいないときは、いろいろ相談に乗ってやって下さい。裕君、こちらは佐々木洋介さん。分倍河原で皮膚科のお医者さんやってる。みんなからは『師匠』って呼ばれてるな」
そしたら、その人は、手を差し出しながら、
「裕君って言うのか。いやー、背が高いなー。俺のことは『師匠』で揃えてくれていいよ。君も『裕』でいいのかな。よろしくな。トレのことは何でも聞いてくれていいよ」ってニヒルに笑いながら握手してくれた。
「はい、『裕』でいいです。師匠、こちらこそ宜しくお願いします」て答えて、手を握り返した。あったかい手だった。きっといい人なんだな。
四 ロッカーの表にあるレストスペースで、トレを終えた杏佳と落ち合う。
「今日、どうだった?」 杏佳がブラックの缶コーヒー飲みながら聞いてきた。
「いいな。平均五回でいいっていうのが気に入った。家で腹筋やったらいくらもできちゃうもんな。筋力アップにならないんじゃ意味ないし。学校行く前に寄って週二、三回やってみるよ」
「うん、そのくらいからがいいかもね」
「二週間お試し二〇〇〇円っていうクーポン貰ったから、とりあえすそれでやってみて、良さそうなら親父の家族会員になって入会しよう」
「ああ、それいいわね」
「お前は体幹だけじゃなくて、胸肩もやってるの?」
「やってるよ。私はもうテニス選手じゃないから、ボディメイクの目的ね。ほら、私、『巨乳』ってほどじゃないけど、割と胸があるからさ、ちゃんと大胸筋鍛えてリフトアップしとかないと引力に負けちゃいそうだから。そうなったら裕だって悲しいでしょ?」
「おお、それは大問題。そうなる前にしっかり見とかないと。触っとかないと」
「なっ、まだ当面大丈夫よ。バカ、エッチ!」
「それにしてもあの二人には驚いたな。同年代であんな人たちいるんだ」
「あの二人は特別よ。尚さんの方は、去年、フィットモデルっていうドレス着て競う種目で日本女王になってる。この業界では、『スノーホワイト』って呼ばれてるスター選手よ。今年はステップアップしてフィットネスビキニで日本女王を狙ってる。昇さんの方は、去年のフィジーク、要するに『かっこいいマッチョ』競技ね、その東京王者で全日本でも二位に入ってる。昇だから『ライジングサン』ってニックネームがついてる。今年はボディビル(ゴリマッチョ)に転向して、最年少の一九歳でミスター東京取るんじゃないかって言われてるわね」
「そんな人たちが高校の先輩にいたのか。全然知らなかった。‥‥‥しかし、なんだな、あの二人といい、師匠といい、まあお前もそうだけど、ここ、美男美女ばっかりの気持ち悪いジムだな」
「あはは、そうかな。まあ、たまたまよ、たまたま。だけど、あんたもそれに加わることになるのね」
「いや、まあ、俺なんか、昇さんに比べたらまだまだだよ。今日は割りと凹んだ。あの人はすごい。肉体もそうだし、メンタルもなんかすごそう。何もかも備えている。男として完全に敗北した。俺もあんな男になりたかった‥‥‥」って言ったら、
「そんなことないよ! 裕だってすごくいい男だよ! 確かに男子って筋肉大好きだけど、競技が違うんだから比べようがないじゃない。だって、テニスで対決したら昇さんケチョンケチョンにできるでしょ?」って、杏佳が必死にフォローしてくれた。優しいね。
「はは、そうか。まあそうだな。そう言ってくれてちょっと楽になった。ありがとな。だけど昇さん、いい男には違いないから、身近な目標にして頑張ろう。‥‥‥それにしてもライジングサンとスノーホワイトなんて、とってもお似合いだよな。あの二人やっぱりそうなの?」
「うん。なんか小さい頃からずっとそうだったみたいよ。きっと大学出たら一緒になるつもりなんじゃないかな」
「ふーん、そうか。まあそうだろうな。ふーん、あの尚さんがなあ‥‥‥」
そしたら、「あー?」って言いながら、杏佳が隣のチェアに移ってきて、
「今、『尚さん惜しいなあ』って思ってたでしょう?」って僕の耳元で聞いてきた。
「えー? 思ってない、決して思ってません! ただポーっとなってただけ」
「ああ? ポーっとなってただあ?」
「あ、いや、それも言葉のあやです! ただ思い出しただけですー!」
「今朝の様子ですぐ分かったわよ。あんたの大好きな色白栗毛だもんね。しかも尚さん、ソフトツンデレだってよ」
「ええっ? ソフトツンデレなんですかー? そ、それは、なんとも‥‥‥」
「まったくあんたも分かりやすい男ね。だけど今後デレデレしたら許さないからね。天罰下すからね。浮気なんてもってのほかよ」って言いながら、僕のお尻をギュイーっとつねってきた。
「イテー、やめてー。もうしませんー。‥‥‥って、はは、冗談冗談。お前がプリプリ怒るのが可愛くて、思わず悪乗りしちゃったよ。ごめんな」
「な、なによそれ。人の心を弄ぶのやめなさいよ!」
「はは、ごめんごめん。だけど、こんな可愛い彼女がいるのに、ほかの女に懸想するはずないだろ。ほら、こっち寄れ」って言いながら、杏佳の腰を抱いてギュって密着させると、杏佳も、
「ふふーん。そうよ」って満足そうに微笑んで、両手を僕の腰に回し、胸に顔をくっつけて甘えてきた。白いほっぺがグニューってなってる。はは、可愛いな。こっちは純正ツンデレだね。
そしたら、音もなく、ロッカーの陰から、洗面所のせっけん液持った尚さんが出てきて、「あらら? お取込み中だった? ごめんね」って驚いたように口に手を当てて言ってきた。僕たちは不意を突かれて、何も言えずに、下向いて顔から火を吹くばかりだ。尚さんは、それ見て、「ふふ、仲がいいのね。ごゆっくり」って、真っ白な頬に美しい微笑みを浮かべて、女子ロッカーに消えていった。
残された僕たちは「はーっ」って息吐いて、「今後、公共のスペースでイチャイチャするのは控えた方がよさそうだな」「そうね」って言い合った。だけど、未練がましく、まだくっついてる。
「しかし、まあ、これで尚さんのセンは完全になくなったな‥‥‥」
「あー、あんたやっぱり!」
「はは、冗談冗談。俺は杏佳一筋だって。そんな顔するな。とっても可愛いぞ」
「あー、もう、知らない! バカ裕!」
その日は、そのあとすぐバイトに行かなければならなかったので、お開きにせざるを得なかったんだけど、二人ともどうしても名残惜しくて、「これっきりじゃ寂しいわね」「なんとかまた会える理由ひねりだそう」って相談して、お昼に杏佳とお母さんがお寿司を食べにきてくれることになった。わーい嬉しいな。
もちろん、僕は、その日、ご予約の吉崎様美人親子を待ちながら、特別丁寧にイソイソと下ごしらえをしたのだった。
そばで大将がニヤニヤしてた。
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