第3章 オマケ1 K高に妖精が舞い降りた オマケ2 初デートは焼肉で
*第三章 オマケ1 テニスの妖精降臨
一 僕は、今、学校のテニスコートで五人の部員たちを前に話をしている。隣には杏佳がラケットを両手で前に下げて立っている。前に着てたレモンイエローのスコートに、白いテニスポロ、キャップはなしでポニテ。リボンも黄色。シンプルだけど、杏佳の素材の良さを引き立てるコーデだ。
(誰これ? なんかすごく可愛いんですけど)
(うちの学校、女子テニス部がないから、練習混ぜてくれっていうのかな。入部希望かな。それなら嬉しいな)
(脚長っ、色白っ、しかも超美人。一体裕先輩とどんな関係?)って、部員どもが思っていることだろう。
僕は、部員を眺め渡して、
「えー、こちらは、吉崎杏佳さんです。今、W大法学部の一年生です。才媛です。テニスも上手で、なんと昨年はシングルスで東京都の女子を制し、インハイでもベスト一六に進んでいます。選手としてもコーチとしても大変優秀です。今は僕の師匠としてテニスの指導をしてくれています。うちの学校も、ちょっとずつ強くなってきましたが、来月の団体戦に向けて、充実した練習ができるように、僕からお願いして、週一回コーチに来てくれることになりました。今日から、杏佳コーチが強化コーチです。なんちって、ププっ‥‥‥コホン、ええと、見てのとおり大変お美しい方ですが、その反面、大変気が強いので取り扱いには注意するように。それでは杏佳コーチから一言お願いします」
杏佳は、「ちょっと、余計な事言わないでよ」って、僕をつついてから、
「えー、みなさん、ただ今ご紹介にあずかりました、吉崎杏佳です。団体戦まであと一カ月ということで、裕くんから頼まれて練習に参加させて貰う事にしました。微力ながらお力になりますので、頑張って行きましょう。一回戦は都立H高校ですので、勝機は十分あると思います。裕で必ず一つ取れると思いますが、残りのシングル一枚とダブルスのどちらかを取らないと勝てませんから、全体の底上げが大事だと思います。二回戦は第一シードのW実業に当たりますので、さすがに厳しいでしょうが、とにかくK高は『最後に勝ったのがいつかも分からない』ということでしたので、歴史的一勝を挙げられるよう、あと一カ月頑張りましょう。宜しくお願いします」
「宜しくお願いしまーす」 パチパチ。
「えー皆さんから杏佳コーチに何か質問はありますか?」
「はい!」
「お、雄介。なんだ、言ってみろ」
「杏佳コーチは、裕先輩の彼女ですかー?」
「お前というヤツは‥‥‥。そういうとこで対抗心燃やすんじゃないよ。プライベートな質問は慎め」って注意したら、杏佳がやおら僕の腰に両手で抱きついてきて、頬っぺたまでくっつけて、
「そうです! このとおり、立派に、完全に、彼女です!」って宣言しちゃった。雄介が直立して「ギョエー!」ってなってる。他の部員たちは「おー」って言いながらパチパチしてる。僕は、「あー」って左手で顔を覆ってる。
そしたら、杏佳は、くっついたまま、僕の顔を見上げて、「裕、あんたもちゃんと答えなさい。雄介君なりに真剣な質問なのよ」って言ってきたので、まあ、そうか、そうだよな、こうなっては仕方ない、と僕も肚をくくって、杏佳の肩を抱き寄せ、
「そうです。見ての通り、彼女です! とっても可愛いです! てか、お前ら全員忘れてるようだがな、去年のインハイ予選の最後に手を振ってくれたあの娘だよ」って言ったら、二年生全員が、眼をまんまるにして「あー、あんときの美人選手?」って顔になった。ようやく合点がいったようだ。
それにしても、さっきから隣のコートのソフトテニスの連中が、全員こっちをジーっと見てるんですけど‥‥‥。「あいつら一体何やってんだ?」っていう感じだろう。
まあ、いろいろあるんだよ。許せ。青春の一コマじゃないか。
二 練習を始めてみたら、やはり杏佳はさすがだった。素晴らしかった。
球出しがすごく上手だから、僕も部員に混じって練習することができるし、逆に僕が球出しに回ったときは、部員の練習に混じって的確なアドバイスを送っていた。
選手の悪い癖を見つけても、いっぺんに直さないで、ちょっとだけいじって「次回までにここまで出来るようにしておいてね」って課題を出してた。僕のような極端な選手と違って、杏佳は、幼少時に基本をきちんと身に着けたうえで、自分にあわせてアレンジを繰り返してきた選手なので、どのタイプの部員の指導も問題なくできる。
ストローク練習もボレー練習も、僕と杏佳が入って、それぞれが部員の相手をすれば、打ったボールは必ず返って来るわけで(部員同士でやると全然繋がらない)、部員にとっても練習レベルが格段に上がった印象だろう。
団体戦でダブルスに出場する予定のペアとも、僕と杏佳で対戦した。杏佳は、想定される対戦相手のレベルで相手をしてあげて、いいショットがくればチャンスボールを返し、「浮いたよ。決めろ!」って声をかけ、前衛が僕の足元を打ち抜き、「ぐわっ、やられた! やるなー!」って大袈裟に褒めてあげたりなんかして、いい感じで自信持ってくれそうな雰囲気だった。
そのあと、団体の第二シングルスで出場することになる雄介と杏佳が対戦したんだけど、雄介がなんだか意地になってハードヒットを繰り返し、ミスを重ねていくので、途中で杏佳がネットに呼び、
「雄介くんね、さっきあんなことがあったから、気持ちはすごく分かるんだけど、あなた団体戦のメンバーなのよ。個人戦なら自分の好きにすればいいけど、あなたにみんなの勝利がかかってるの。そういう、競技に関係ない感情は措いといて、自分のできることをきっちりしようよ。それ以上のことは試合でもできないんだからさ。ね!」って声を掛けてる。部員たちも、「そうだぞ、雄介ー。いつもみたいに繋いでいけー」って声を送っている。雄介は、自分の小っちゃな心が恥ずかしくなったのか、顔赤くして、「はい‥‥‥。すみません。ちゃんとやります。杏佳コーチ、相手して下さい」って返事して、決意に満ちた表情でエンドラインに戻った。
雄介は、そこからは、いつもどおりコートを走り回って、拾ってつなぐテニスを徹底した。パワーもスピードもないけど、粘って粘って相手のミスを待つ戦法だ。もちろん杏佳には通用しないけれど、杏佳もコテンパンにしたりはせず、きちんと繋いであげて、いいショットが来ると、「あー、やられた。ナイスショット!」って言って、ミスったりしてた。ははは、ちょっとわざとらしいぞ。だけど雄介も楽しそうにやってるな。
よかった、あと一カ月、しっかり吸収しろよ。
三 「えー、それでは最後に、僕と杏佳コーチで、模範試合をします。僕はみんなの参考には全然ならないと思いますが、杏佳コーチの基本技術は男子高校生にはちょうど参考になるいいお手本だと思いますので、よく見ておくように」って部員に説明して、いつもどおり四ゲームマッチを行った。
サーブは僕から。杏佳は、「フラット。ストレート」って指定して、ラケットくるくる回しながら前傾姿勢になり、脚を小刻みに動かしてタイミングを計る。
僕がトスをあげ、フラットでボールを「パンッ!」と叩きつけた瞬間、センターラインあたりに着弾し、そのまま突き抜けそうに見えた。だけど杏佳も分かってるから、ダブルハンドで待っていて、「フッ!」ってコンパクトにカウンターでストレートに打ち抜く。僕は前に詰める時間が取れず、サービスライン手前でファーストボレーを強いられる。幸いフォア側なのでなんとか届き、オープンコートのクロスに返すが勢いがない。杏佳は簡単に追いついて、一瞬の間を取ってコースの気配を消し、そしてダブルハンドでサイドスピンをかけながら「んっ!」ってストレートに鋭いパスを放った。気配を消されて一瞬反応の遅れた僕は、腕を伸ばして飛びつくが、サイドスピンのかかったボールはその先を通過し、そして内側に食い込んで、ライン上に着弾した。ナイスコントロール。パーフェクトなパッシング。お見事!
見ていた部員たちは、「おおー。裕先輩のサーブをカウンターで返したぞ。杏佳コーチすげーよ」って感じでパチパチ拍手している。隣のソフトテニスの連中も、「おい、今の見たか?」って目を丸くしてる。そりゃ、こんな小っちゃくて綺麗な女の子が、大男相手にバンバン打ち合ってたら驚くよな。
やっぱり、「サーブのコースと球種指定」と「杏佳は前からサーブ」のハンデは大きく、あっと言う間に二ゲーム連取され、三ゲーム目も四〇―四〇。次のポイント取られたら負けが確定だ。僕はアドコートを選択、杏佳は「クロスにスライス」と指定して、コートのはるか外、隣のコートのサイドライン上まで移動する。ソフトテニスの部員が、「何何? なんでこんなとこまで入ってくるの?」って顔してるので、杏佳は「ここに飛んでくるの。すぐ終わるから、ごめんね」って謝ってる。
僕はトスをあげ、ボールの左上を擦りながらサイドライン手前を狙って全力で打ち出す。余裕でノータッチエースになるはずの完璧なサーブ。だけど、そこに杏佳が待っていた。普通に考えれば、リターンはコートの外からストレートを狙った方がずっと安全だけど、杏佳はダブルハンドでクロスに「パンッ!」とリターンしてくる。エースを狙ったギャンブル気味のハードヒット。ストレートに走っていた僕は、逆を突かれるが、なんとか飛びついてラケットに当て、オープンコートに山なりに返す。この時点で杏佳はコートのはるか外にいるから、緩い球でも追いつくのは大変だ。その間、僕はネットに詰めて、パスの角度を潰す。杏佳が球に追いついて、さあどっちだ、よく見ろ。走り抜けながら、あ、面をボールの右側に入れようとしている、これはショートクロスだ。と考える前にもう身体が反応し、僕はクロスに飛んで、ネット際に鋭く落ちるパスに腕を伸ばす。届け! よし届いた。オープンコートにポトンと落とす。走り抜けていった杏佳はもう戻ることもできず、「ナイス!」ってラケットを叩いて拍手を送るだけだ。
ああ、初めて杏佳から一ゲーム取ったぞ。サーブが返ってくることを前提に組み立てが出来るようになってきた。僕は確実に進歩している。
部員たちがパチパチと拍手し、ソフトテニスの連中も「なんかすげー試合やってるぞ。あの子一体誰?」って反応だ。よく見ると、左手の教室の窓にも観衆が並び、「小っちゃい綺麗な子が奈良相手にすごい試合してる」って見守っている。
さあ、最終ゲーム。四ポイント取れば初の引き分け。どうなるかな。
とは思ったものの、やはり近くからのサーブでは返すのが精いっぱいでなかなかネットに出られず、ストローク戦に持ち込まれて次第に追い詰められ、最後はエースでポイントを取られる。いやー上手、正確、全然ミスってくれない。マシンみたい。あっと言う間に四〇―〇。敗色濃厚だな。それじゃ、最後にアレを見せてもらおうか。
杏佳はアドコートから僕のバックにフラットサーブを打ち、僕はブロックで杏佳のバックに返す。勢いがない、すかさずオープンコートのカバーに戻ると、杏佳は逆をついてクロスにハードヒット。僕は、逆を突かれたふりをして、「あっ」って杏佳のフォアに浅く高い球を返す。杏佳が前に詰めてきて、バウンドに合わせて、ジャンプしてウィニングショットを放つ。
ああ、出た! 肘が高く上がり、白い脚が宙を舞い、スコートとシャツがふわりと膨らむ。おお、スコートから白いパンツがチラっと! 今、K高にテニスの妖精が舞い降りたぞ。これぞバタフライ。みんなよく見とけ!
僕はもうボールを追わない。クロスに叩き込まれたトップスピンはコーナーで跳ねて隣のコートを転々としている。
ゲームセット&マッチバイ杏佳。スコア三―一
僕はネットに近づき、杏佳と握手した。杏佳は僕の背中に左手回して、横目でチラっと見上げながら「ねえ、最後、手抜いたでしょ?」って聞いてきたので、
「はは、どうだろうな。まあ、みんながテニスの妖精見られてよかったじゃないか。今日は初めて一ゲーム取れたし、俺はそれで満足だよ」って言いながら、杏佳の肩を抱いて引き寄せた。遠くで、雄介が、「キーッ」って言ってる。
そしたら、部員全員から、そして隣のソフトテニスのコートと教室の窓からも、「おー。ナイスゲーム。いいもん見た」って感じでパチパチ拍手が湧き、僕と杏佳はちょっと驚いたけど、笑顔で手を振って応え、ベンチに引き上げた。
四 今日一日で、杏佳は部員たちのハートをがっちりと掴み、誰からも「杏佳コーチ」と呼ばれ、慕われるようになった。
部活が終わって、僕が杏佳の車に便乗して一緒に帰る途中、部員たちが駅に向かっていたので、ププーってやってウィンドーを開けて、
「そんじゃ、お疲れさん。また来週な」って声を掛ける。部員たちも車を覗いて、
「あ、裕先輩、杏佳コーチ、今日はありがとうございました。またお願いします」って、声を返してきた。杏佳も、
「じゃ、また来週練習しようね。さよなら」って笑顔で応えている。
「‥‥‥なあ、あれ、アウディのTTクーペだよな。一体いくらするんだ?」
「杏佳コーチ、いいとこの令嬢なんだ。美人だし、頭いいし、すごいハイスペック」
「ああ、裕先輩が手の届かないとこに行っちゃったー。えーん!」
「泣くなよ、雄介。もともと手の届く人じゃなかっただろ」
「そうだぞ。杏佳コーチと高嶺の花同士、すごいお似合いじゃないか。ま、諦めな」
「えーん!」
部員たちがそんな話をしてるとはつゆ知らず、車中では、キャプテンとコーチで団体戦に向けた作戦会議が開催されていた。
「都立H高って、強いんだっけ?」
「あんま聞いたことないな。W実業の山にウチと一緒に入るくらいだから、どっこいどっこいじゃないのかな」
「K高はあんた一枚だってこと、バレてるわよね」
「まあそうだろうな。俺も一応、都の一六に入ってるわけだし」
「そうするとたぶんエースは先鋒に持ってこないわね。シングルの二番手を先鋒にして裕にぶつけてくる」
「そうかもな。でもそれ見越して俺が三試合目に回っても、向こうが正攻法で来たら同じだし、あんまり小細工しないで俺が先鋒で出るよ。エースをわざわざ下げるって、なんかこすっからいし。それに先に一つ勝ったら、あいつらのメンタルも少し楽になるだろ?」
「あはは、あんたらしいわね。それじゃそうしたらいい。だけど今日見てた限りではダブルスはちょっと厳しそうよ。雄介君は一か月鍛えればちょっとグレードアップ出来るかもだけど」
「ああ、そうすると、三試合目の雄介が向こうのエースに勝たないといけないのか。なかなか難しいミッションだな。杏佳コーチ、宜しく頼むぞ」
「うん。任せといて。‥‥‥それはそうと、一つ勝っても次がW実業じゃ、残念ながら望みはゼロね」
「それは仕方ない。せめて俺が一つ取るよ。一矢報いるってやつだ」
「真司君と当たるのね。去年の東京王者でインハイ一六。彼とどの程度できるかで、あんたの今の位置が測れるわね」
「そうだな。でも去年よりはいい勝負できるんじゃないか。お前のおかげで、だいぶスキルの穴が埋まって来たし。インハイ予選前にいい予行練習になりそうだ」
「あんた去年東京都の一六だから、インハイ予選はきっと一六番シードよ。だからベスト一六で第一シードと当たる。まだトーナメント表出てないけど、今年もインハイかけて真司君と勝負することになりそうね」
「えー、そうなのか。俺、あいつ結構好きだから、ちょっとやりにくいんだけどな。インハイ逃すとなんか気の毒だし」
「あんたも優しいわねー。まあ、そこが裕のいいところで、私も好きなとこなんだけどさ。だけど勝負ごとなんだから、そんな甘いこと言ってないで、全力で叩き潰さないとね。負けたら、W大の推薦もなくなっちゃうかもよ。都の一六止まりとインハイじゃ、えらい違いじゃないの?」
「そうだな。そのとおり。前言撤回。仇敵だと思って、全力でやります!」
「そうそう、その意気。明日も平和の森で特訓よ。バックのスピン、まだまだなんだからね」
「はい、杏佳コーチ、宜しくお願いします!」
*第三章 オマケ2 ペアルック?
一 土曜日のお昼、僕は杏佳と一緒に新宿西口の地下を歩いている。なんだか人がすごく多い。
「あれ? 通路がすごく限定されてるな。なにこれ、小田急百貨店の建て替え工事やってるから?」
「そうなの。あと五年もかかるらしいわよ。私もしょっちゅう通ってるけど、移動時間かかるし、いっつもイライラするわ」
「あれ、しかも地下鉄の前で通路が三m幅になってるぞ。こんなの詰まるに決まってるじゃないか。人流が集中して、なんか砂時計みたいだな」
砂時計の中を時速一㎞くらいでノロノロ進み、なんとか最狭部を抜け、やや疲弊しつつ小田急ハルクのデパ地下前まで来たところで、
「ん? 杏佳がいない。なんだ、あいつしょっちゅう来てるくせに迷子になったのか。まったく‥‥‥」って言いながらキョロキョロしてたら、後ろから「ゲシッ!」っと腰に一撃が飛んできた。イテー!
「ちゃんとここにいるわよ(怒)。なに? 小っちゃくて見えなかったって?」
「あれ? 杏佳さん、いらしたんですか。あは、あははは」
「笑ってごまかすんじゃないわよ」
「いやあ、大変失礼致しました。それじゃ、はぐれないようにお手を拝借」って言ったら、杏佳は、
「ふん。どうぞ」って、あっち向いたまま、右手を差し出してきた。小っちゃくて、しっとりした、素敵な手。僕が指を深く絡めて、ギュってしたら、杏佳もギュって握り返してきた。見たらニコニコしながら、頭を僕の腕にもたげてた。可愛いな。
「そういや、杏佳と手を繋いで歩くの初めてか?」
「そうかもね。意外だけどね」
「歩いて移動する機会が少なかったからな」
「そうね。車じゃ手繋げないしね」
「‥‥‥しかし、なんだな、手を繋ぐより先に谷間にモフモフしちゃったのか。順番一切無視だったんだな、あはは。俺あんときダメもとで言ってみたんだけど、まさかOK出るとは思わなかったよ。お前も思い切ったなー。ありがとな」って言ったら、あら? 杏佳が手を繋いだまま、左下見て固まってる。「うるさい。バカ‥‥‥」とか言いながら、羞恥に堪えかねて白い耳を紅に染めてフルフルしてる。はは、相変わらず守りはユルユルなんだな。
今日の杏佳は、こないだ寿司屋でリクエストしたダークグレーの長袖ミニワンピ。帽子は被らずに栗色の長髪を高い位置から二本の編み下ろしツインテールにして、それぞれの根本にグレーのリボンを付けてる。シューズは五㎝ヒールの黒いブーツ。そして今日の目玉は何と言ってもアイボリーのニーハイソックス。ニーハイとワンピの間に一〇㎝くらい真っ白な太腿が露出して、ニーハイとの境目がちょっと凹んでいる。いい、すごくいい。短いソックスよりも露出度全然少ないのに、なぜか色っぽい、だけど可憐。ああこんな娘が彼女なんて幸せだ。
もちろん、さっき府中駅で会ったときに、「ひー、眩しいー。目がつぶれそうだー。サングラスくれー!」とか、口を極めて褒めておいた。杏佳も、「ふふん。そう?」って満足そうだった。
二 ハルク横の出口から地上に出て、青梅街道を左に曲がってワンブロック。ウィンザーラケットショップに入る。今日はもう一本のブイコアにガット張りに来たんだ。ショップの内部は、一階がラケットとシューズ、そしてガットと小物類、二階がウェア類の売り場になっている。
入って真ん中左手のガットの売り場で、杏佳が、
「メーカーはいろいろあるんだけど、やっぱりヨネックスにする?」と聞いてきたので、
「そうしようかな。これまでずっとそうだったし、ラケットもヨネックスだからな。メーカーも相性考えて作ってるんだろうし」って同意した。
「このガットが、今張ってるやつね。『ダイナワイヤー』って言うのか。ナイロンの太い芯糸に二〇本くらいの細い糸を巻き付けた構造ね。昔からある、ごく一般的なガット。裕のブイコアはこれの一.三㎜。ひとつ細い一.二五㎜もあって、タッチもスピンもちょっといいんだけど、細い分耐久性に難があるから、普段は一.三で十分。試合前に一.二五に張り替える感じかな」
「なるほど。まあ、これでも十分なんだけどな。こっちのは?」
「こっちのはポリエステルね。『レクシス』って言うんだね。二〇〇本くらいの細い糸をよりあわせて作ってある。今はプロも大抵これ使ってるわね。ああ、大坂なおみ選手が使ってるって書いてある」
「ナイロンとはどう違うの?」
「私が使った限り、正直そこまで違いがよく分からないんだけど、ポリの方が、なんかこう『ギチッ』って食いつきがいい感じはするわね。だからスピン性能が高いのかな。あと反発力もナイロンよりちょっと高い気はする。ナイロンはよくも悪くも普通っていうか、ポリに比べるとモサっとした感じがするな。その分選手の意志を忠実に反映する気はするけどね。ポリはよりシャープな印象で、ガットが自分で仕事してくれてる感じがある」
「なるほどね。まあ、使い比べて、いい方を選べばいいんだもんな。じゃ、レクシスの一.三㎜でいこう。五八ポンドで」
「それじゃラケットちょうだい。レジに出してくる。今日は張りあげ無理だから、私、大学の帰りに取ってきてあげるね。金曜日に渡すよ」
「うん。ありがとな」
ラケットを出した後、二階に移動してウェアを見る。薄々予想はしていたが、ああ、やっぱり、今はパンツは全部だぼだぼなんだな。ちょっとだらしない印象だけど、夏場なんかはこっちの方が涼しくていいか? あとポケットにボールが沢山入りそうだな。
「あんたも、昭和チックなパツパツのウェアやめてこっちにしたら? だいぶ楽になると思うよ」
「えー、昭和ウェアかっこいいじゃんか。なんかこう、『ジェントルマン』って感じがしてさ。俺、親父のお下がりがボロボロになって、みっともなくなるまで着るよ。ラケットほどは性能差ないだろ?」
「あはは、まあいいけどさ。実は私もあんたのウェア見てて、なんかクラシカルでいいなあ、って思ってたんだ。私もあれ好きよ。確かに『紳士』って感じがする」
「そうか、よかった。お前が変えろって言ったら変えようかなー、って思ってけど、昭和続行だ。‥‥‥ああ、そうだ、思い出した。今日はリストバンド買おうと思ってたんだ。大きいのがいいな」
僕は、ヨネックスの白い大き目のリストバンドを二つ買って、レジでお金を払い、
「はい、一つはお前のだ。今日はつきあってくれてありがとな」って言いながら、杏佳に一つ渡した。
「え? プレゼントしてくれるの? わー、ありがとー。嬉しい」
「いつもいつも世話になってるからさ。こんなもので悪いんだけどな」
「すごい嬉しい。これお揃いだね。ペアルックなんだね!」
「いや、まあ、そうか。一応そういうことか」
「それじゃさ、裕、これつけて一緒に試合出ようよ。七月に府中の市民戦があるから、ミックスダブルスに出よう!」
「ええと、七月なら、ほかの大会にかぶらないか。それも楽しそうだな。じゃ、そうするか。エントリーはお任せしておいていいのかな」
「もちろん! 嬉しいー。裕、頑張って絶対優勝しようね!」って言いながら、杏佳が僕の腕を取って抱き着いてきた。胸がポヨヨンって揺れて気持ちいいな。
三 お店を出て、ハルクの向かいにある、杏佳お勧めの焼肉レストラン「明月館」に移動する。石造りの重厚なビルが丸ごと焼肉屋なんだな。聞けば、日本最古の焼肉店で、叙々苑の創業者もここで修行したんだそうだ。
杏佳が来るくらいだから、どんな高級店かと思ったら、ランチ一三〇〇円だった。そんなもんなんだ。キムチ、ナムル、スープもついてる。お得ー。僕がハラミランチ、杏佳がカルビランチを頼んで、「半分こしよう」ってことになった。
さすが老舗。お肉はすごく美味しかった。いい肉使ってるのが僕でも分かった。量もあって、とてもランチの焼肉だと思えなかった。キムチと焼肉にまみれた口内を清めるために、ゆずシャーベットを頼んだんだけど、それでも二〇〇〇円しないんだもんな。いい店紹介して貰った。機会があったらまた来たいな。
お店で貰ったブレスケアを噛みつつ、手を繋いで、京王新宿駅に戻る。さっきの砂時計は避けて、地上を遠回りした。
「そう言えばさ」
「何?」
「よく、『付き合いの浅いカップルは焼肉行くな』って言うよな。あれなんで?」
「そりゃ、ニンニクプンプンになっちゃってチューできないからでしょ?」
「あ、そういうことなのか。なるほど!」
「でも二人ともニンニクになるわけだから、チューしたって分かんないわよね。どっちか一方っていうならまだしも」
「あはは、そのとおりだな。しかし、なんだ、俺たち初デートが焼肉って、しょっぱなからセオリー無視しちゃったんだな」
「そうだけどさ、今日は昼間だし、こんなに人も大勢いるんだから、堂々とチューなんかできないでしょ? だから気にすることないわよ」
「はは、そうだな。なんかちょっと寂しいけど、今日は手を繋げたからな。よしとしよう」
京王線の特急で府中まで戻り、二人で降りる。杏佳は分倍河原の方が微妙に近いんだけど、「歩いて送ってくよ。一緒に降りよう」ってことにした。駅の南口を出て、旧甲州街道の裏道を手を繋いで歩く。
「そうそう、さっきの市民戦の話だけどね、ミックスダブルスはBクラスとAクラスがあるんだけど、どっちで出る?」
「さすがに俺たちBクラスに出たらまずいんじゃないの?」
「まあ、そうか。だけどAクラスはレベル高いよ。それこそテニスコーチみたいな人も出てくるから」
「そのくらいの方が面白いだろ。いっちょやってやろう」
「ふふ、そうね。いいじゃない。じゃ、頑張ろうね」
杏佳の家には一五分くらいで着いた。病院の横に豪邸が建ってる。高い塀に囲まれていて、中はよく見えない。
「こんな家の近くで手を繋いでていいのか? 親にばれたら大変だぞ」
「別に構わないわよ。お母さん知ってるし。裕なら全然文句ないって言ってたわよ。お父さん同士も仲良しだって」
「そ、そうだったのか。ま、でもそれならいいか。‥‥‥しかし、お前の家、相変わらずデカいなあ。これ車でウィーンって門くぐって屋敷までしばらく走るんだろ? 奥の方なんか霞んで見えないぞ」
「大袈裟ねえ‥‥‥。車庫ならそこにあるでしょ? お家だって、たぶんテニスコート二面分くらいじゃないかな?」
「テ、テニスコート二面分もあるのか。冗談で言ったのに‥‥‥」
さて、ちょっと日も傾いてきて、楽しい時間も、もう終わり。早く帰した方がいいよな。親から見たらそういう信頼感って大事だよな。だから、名残惜しいけど、
「杏佳、今日は本当にありがとうな。すごく楽しかった。焼肉も美味しかった。また機会があったら一緒に行こう」って肩を抱き寄せて言ったら、杏佳は、
「うん‥‥‥。私も楽しかった。裕、ありがとうね」って言いながら、ああ、目尻に涙溜めて、手で擦ってる。
「泣くなよ。またすぐ会えるって」
「そうだけど。そうなんだけどさ。今が辛いのよー。あんたはどうなのよー?」
「いや、俺もつらいけどさ。ちょっと我慢したらまた会えるんだろう?」
「そりゃそうだけど、うー、今が、今が、うー」
「はは、そしたら朝、壁にくればいいんだよ。俺、明日だっているぜ」
「うー、じゃ、今日はあきらめるけど‥‥‥ん? 全然届かない。ちょっと、裕、あんた顔が遠すぎるから、膝折って、しゃがんで」 僕は、何だろうって思いつつ、杏佳の横に膝折ってしゃがんだら、ああ、丁度目線が同じ高さになるんだな。
「あー、きた。ふふ」って言いながら、杏佳は顔を斜めにして、小ぶりなピンクの唇で、僕のほっぺにチュってしてくれた。そして、「ふふーん」って満足そうに微笑んで、僕の首に手を回してギュってハグして、顔を胸にモフって埋めてくれた後、胸の前で手を振って、ニッコリしながら、
「じゃ、またね! 裕、大好き!」って言って、パタパタと駆けて行った。あれ? 門は、いつ開いたんだろう。
僕は、後ろから、揺れるツインテールとアイボリーのニーハイ見ながら、ほっぺに手を当てて赤くなっていた。これ、しばらく顔洗いたくないな。
だけど、その一部始終は門のとこの監視カメラでお母さんに全部見られてて、杏佳がグニュグニュしながら家に帰ったら、お母さんから「ちょっと、そこに‥‥‥」って、お小言を頂戴したそうだ。
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