第2章 妖精は鬼コーチだった! が、練習後はデレ化の兆候が! +オマケ「美人妖精親子、イケメン寿司職人にポーっとなる」
第二章 新兵器 四月一二日(金)
一 今日は、杏佳と夕方七時から練習することになっている。
午後六時四五分に、「それじゃ、これから迎えに行くからね。五分位したら家の前にいてね。教会の角を曲がったとこの奥よね?」って、杏佳から電話が入った。
五分後に、僕が家の前に立っていたら、教会の角からなんだかスタイリッシュな車が走ってきた。ライトをピカピカとパッシングしてる。気が付いてるんだな。
僕は、右シートに乗ってるんだろう杏佳に手を振った。
「おまたせー」 杏佳がドアを開けて右シートから出てきた。今日はこないだの白いパーカーに、中は白のポロシャツ、スコートは薄いピンク。正統派でとても清楚だ。
「おまたせーって、お前、アウディTTクーペに乗ってたのか? なんか悪い予感がビンビンにするんだけど、これ、お前の車だろ?」
「うん、そうよ。だって、2ドアクーペなんて、家族で乗れないじゃない。私とお母さんの専用車。大学入学のお祝いに買って貰ったの」
「やれやれ。これ一〇〇〇万くらいするんじゃないのか」って呆れて言ったら、
「そんなにしないわよ。コミコミ八〇〇くらいじゃないの。‥‥‥って何? せっかく迎えに来てあげたのに、嫌なら乗んなくていいわよ」って、プリプリしかけたので、
「ああ、ごめん、別に他意があったわけじゃないんだ。驚いただけ。なんかヤリスとかフィットみたいな小さいのを想像してたからさ。杏佳、迎えにきてくれてありがとな。上品な銀色のクーペ、すごくかっこいいぞ。お前に似合ってる」ってフォローしたら、
「ふふ、そう? それじゃ行こうか。バッグ後ろに載せなよ」と言って、杏佳はキーをピってやって、バックドアを開けてくれた。中には杏佳のラケットバッグと、カゴに詰めたボールが入っていた。僕がバッグを入れてドアを閉じたら、あれ? 若葉マークだ。そりゃそうだよな。
「ああ、そうだ。この緑の屋根が俺んち。お前、よく一発で分かったな」
「こんなデカイ男が前に立ってたら間違いようがないでしょ。それに、ウチのこと言うけど、あんたんちも、いいとこのお屋敷じゃないの」
「うーん。まあ、そうなるのかな。お前んとこの三分の一くらいだけどな」
「だからもう、お互い言いっこなしよ。さ、いこ!」 杏佳が促し、僕は、座面の低い、クーペの助手席に乗り込んだ。
杏佳の運転は思ったよりずっと丁寧でスムースだった。エンジンも思ったのと全然ちがって滑らかで、なんか「ズボボボ」みたいなのを予想していたから、見事に裏切られた。
「これ、初めて乗ったけど、いい車だな。クーペなのに滑らかだ。お前の運転も丁寧で上手で驚いた。初心者マークなんて全然思えない」
「そう、ありがと。練習のときはいつも迎えにきてあげるよ。どうせ私も車で行くんだしね」
「うん。ありがと。助かる。だけどなんか悪いから、せめてコート代だけは俺が出すよ。バイトしてるからちょっとはお金あるし」
「えー、いいよ。市のコートだからナイター取ったって大した金額じゃないし。裕は一年後輩なんだから、その気持ちだけで十分だよ」
「違う、それがダメなんだよ。俺は別にお前のヒモじゃなくて、テニス仲間なんだからさ。そんなんじゃどんどん一緒にいにくくなるだろ? お前と一緒にいるときの、心の自由度を確保しておきたいんだよ。ガス代とかは計算しようがないけどさ、どこで何するにしても、全部割り勘で頼むよ」
「ふーん、そうか。そうね。裕の言ってることも分かる。じゃ、そうしようか」
「せっかく俺のために言ってくれてるのにごめんな。だけど、こういうのは最初に関係設定しないとダメな気がするんだ。なんかズルズル慣れちゃいそうで」
「謝ることないよ。私だって、実は知らないうちに裕が居心地悪くしてるんじゃ、嫌だもん。‥‥‥ふふ、あんた、そういうとこ固いけど、なかなかいい男よね。じゃ、あとで一一〇〇円ちょうだい。今日のコート代の半分。さっき『割り勘』って言ったんだからね、全部は出させないわよ」
「はは、なんかそれでも全然不公平な気がするけどな。じゃ、そうしよう」
「そうだ。さっき聞き忘れたけど、裕のお父さん何されてるの? お家みてそう思ったんだった」
「新宿で弁護士してる。俺も後を継ごうと思ってるんだ。推薦で杏佳と同じW大の法科に入れるといいな。勉強はちゃんとやってるから成績は足りてるし、部活でインハイ決めたら、指定校推薦取れるんじゃないかな」
「えー、それ楽しそう。待ってるわよ。裕も受かったらさ、一限のあるときは一緒に車で通おうよ。朝九時二〇分までに電車で府中から早稲田に行くなんて、ラッシュで死んじゃうわよ」
「うう、さっき『ヒモじゃない』って言ったばっかりなのに、なんて魅力的な提案なんでしょう‥‥‥。それじゃ高速代半分出す条件で乗っからせて貰うよ」
「はは、好きにしなさいよ。じゃ、あと二カ月、あんた鍛えてインハイ決めなきゃね。さ、着いたわよ。地下に入れるわ」
二 生涯学習センターの地下駐車場に車を停めて、エレベーターで一階へ。表に出ると、森の中にナイターの光が見えた。
「ここが『平和の森テニスコート』。これからメインの練習場になるよ。人工芝貼り換えたばかりのいいコートなのに、なぜか不人気なのよね。なんでだろう。暑い時期はセンターのシャワーも使えるわよ」って言いながら、杏佳は高いフェンスの入り口を開けた。
僕は、ボールのカゴを下げて、杏佳に続いて、足を踏み入れる。ああ確かにいいコートだ。芝がまだ新品でフカフカ。粗めの透明の砂も僕好み。ラインもまだ真っ白で見やすいな。
ベンチにバッグを置いて、ラケットを取り出し、準備体操をしていたら、杏佳が、
「裕。お誕生日おめでとうね。一週間遅れちゃったけど、はいこれ。プレゼント」って言って、ヨネックスのラケットケースを手渡してきた。僕が「え? ホント? ありがと‥‥‥」ってちょっと戸惑いながら、取り出してみると、入っていたのはヨネックスV-CORE(ブイコア)95だった。おお、赤い、薄い、カッコいい!
「それ、裕に合うと思って。今のラケットの中では、小さめで薄めなんだ。ガットも裕の使ってるの張っといたわよ。五五ポンドにしといたから、少し硬めかも」
「えー。嬉しいけど、こんな高いもの貰っていいのかな。これ三万円くらいするだろ。ボールだって新品で何十個もあるし」
「気にしなくていいわよ。だって、それ貰ったラケットだから。去年東京で優勝したときに、メーカーさんが『ウチのラケット使ってみないか』って、支給してくれたの。私、今使ってるのを頂いて、あと、もうちょっとソリッドで小さいラケットも使ってみたかったら、それも頂いたんだ。実際打ってみたら、私にはちょっとハード過ぎたんで、しまい込んだまんまになってたんだけど。だから、プレゼントって言っても、それのガットと、ボール三〇個だけよ。気にするほどじゃないでしょ? ね、もらって!」って言って、杏佳が小首傾げて微笑んでくる。キャップの穴から出したポニテとピンクのリボンが揺れる。うー、可愛いー。これは勝てません。
「そうか、そういうことなんだ。よく分かった。それじゃ遠慮なく頂こうかな。本当にありがとう。嬉しいよ。とはいえ、使ってみないと相性分かんないけどな」
「大丈夫。絶対相性ピッタリよ。裕には少し軽すぎるだろうから、サイドに重り貼っておいた。あとグリップ2じゃ細いからテープ二重に巻いといたわ。もう一本あるから、今日使ってみて気に入ったら、バランス整えて二本揃えよう」
「楽しみだな。今日はまずR22使ったあと、ブイコアに持ち替えて比較してみよう」
三 準備体操を終えて、杏佳が「それじゃ、軽くアップするよ。ラリーからね」って言って、僕たちはコートの両サイドに散った。僕は、R22を持ち、ブイコアは後ろの金網に立て掛ける。 杏佳は、後ろにカゴを置いて、「じゃ、出すよー。フラットでねー」って球を出してくれる。一歩も動かず打ち返せる、丁寧な球出し。僕はフラットで打ち返し、それを杏佳がスピンで打ち返す。何球か往復したあと、「はーい、じゃスピン打ってー」って声が掛り、優しい球が返ってくる。僕は、この二週間壁打ちで練習したとおり、膝を落とし、少しだけグリップを厚くして、面を伏せ気味にし、伸ばしながら上に振り抜く。
「すごーい。ブラボー! 裕、ちょっと見ない間にすごくよくなったね。特にスピンが上手になったじゃないの。あれで十分よ」 杏佳が感心して声を掛けてくる。
「はは、お前の言った通り練習しただけだよ。割とすぐに打てるようになった」
「グリップもちょっと厚くして、ワイパー気味に振ってる?」
「うん。スピンかけようとしているうちに、自然とそうなった。でも厚く握るのはほんの少しだけ。極端にやるとフラットとボレーに影響出そうだから」
「そうね。今はそれでいいわね。一つのこと覚えると、それまで出来てたほかのスキルのバランスが崩れるから、やるならちょっとずつよね」
「しかし、お前も上手だなー。さすが東京の女王だ。ミスなく全部返って来るから安心して打ち込める。しかも教え上手で、乗せるのも上手い。ホント、やってて楽しいよ。優秀な選手とコーチのハイブリッドだ」
「ふふ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。だけどそれは裕が上手になったからだよ。それじゃ、ラケット替えてブイコアでやってみなよ」
僕は、金網にR22を立てて、替わりにブイコアを握って、少し振ってみる。ちょっと軽くて細いけど気になるほどじゃない。三三〇gくらいか? グリップが丸い。厚い握りを意識してるんだな。面はちょっと大きくなったけど、薄さは同じくらいで、あまり違和感はない。
「それじゃ、出すよー」って言って、杏佳が優しく球を出す。
僕は、R22と同じ感覚で並行にラケットを振り、ボールを押し出すように打つ。
「!」 なんだこれ? 全然違う! ラケット面がボールを包み込み、ラケット全体がたわんで、その反作用でボールを「発射」する感覚。
ボールはネットを超えて失速せずにエンドライン付近でスッと滑り、杏佳は、「くっ」って言いながら、必死にブロックして返してくる。
僕は「スピン打つぞ!」と一声かけて、少し厚いにぎりで伏せたラケットをワイパーで打ち抜く。おおっ、ガットがボールに「ガッ」っと嚙みついてきついスピンをかけながら、また「発射」される。ネットのかなり上を通過したボールは、すぐに「キャッ」って落下して、サービスラインで弾み、大きく跳ね上がる。スピンかかり過ぎなんだ。短くなるんだ。チャンスボールになっちゃった。
杏佳が返球しながらネットに詰め、「ショートクロス抜いてみろ!」って声掛けてきた。僕が今まで打てなかった球だ。ボールの少し左側を擦り上げるようにクロスに打つと、小さな弧を描きながらサイドラインめがけて飛び、そしてネット付近でクッと急落下した。これは抜いたな。と思ったけど、ボールは白帯に「パチッ」って当たって、僕のコートにポトって落ちた。ああ、惜しい。
杏佳は、笑顔でネットに両手をかけて、
「惜しかったね。それ、どう?」って聞いてきた。
「すごいな、これ。パワーもスピンも段違いの高性能だ。驚いた。見た目あんまR22と変わんないのにな。ラケット自体が意志を持って、ボールを発射してる感じ」
「八八インチが九五インチになったんだから、スピン性能が上がるのは当然だけど、それだけじゃないわよ。中身もどんどん進化してる。もともと、こういう玄人好みの小さくて薄いラケットは、いつの時代もそんなに変化するもんじゃないんだけど、あんたの場合、間の一〇段階くらいの進化をすっ飛ばしてるから、そりゃカルチャーショックを受けるでしょうね」
「うん。ショックを受けた。もうR22には戻れないな。可愛い奴だったが、仕方ない。お役御免だ。だけど、ブイコアも、今のイメージでは少し飛び過ぎるし、スピンもかかり過ぎるな。さっきのショートクロスもイメージの中ではネット超えてたけど、スピンがきつくてネット前で落ちた。R22は、振ったら振った分のスピードと距離だったけど、これはラケット自体の助力が大きいから、そこの兼ね合いが難しいな」
「すぐ慣れてイメージと弾道が一致するようになるよ。さあ、アップはこのくらいにして、練習始めよう。ボレーもサーブも一通りね。全部ブイコアで!」
四 そのあと、ブイコアでボレー練習とサーブ練習を一通りやってみた。
ラケットが大きくなったこともあるけど、ボレーは格段に楽になった。強いボールが返るし、回転もかかってる。ラケットが勝手に球を弾き返してくれる。これ、ボールが飛んでくるとこにラケットをセットするだけ十分なんだな。
面が大きくて、少し端っこに当たっても返ってくれるから、やっと追いついて飛びついたボレーもちゃんと返ってくれそう。ハーフボレーもラケットの面を合わせて置いとくだけで、ショートバウンドで「ポポンッ」ってきれいにネットを越えてくれる。これいいなー。
じゃ、サーブはどうかな?
僕はスッとトスをあげ、上体を反らせ、一瞬静止した直後に前傾しながら肘をボールにぶつけていく。遅れて出てきたラケットヘッドが、ボールの継ぎ目を撃ち抜く。「パンッ!」と乾いた音がしたのと同時に、センターのサービスラインの少し外側に砂が舞い、ボールはガシャンとフェンスに激突した。
「すっご、すっごいサーブ。前より速くなったんじゃないの。あんなのもはや危険な領域よ。当たったら『いたた』じゃ済まないわよ」 杏佳が目をまん丸にして驚く。
「速くなってるな。いつもの感覚で打ったらオーバーした。速いから引力に負けないんだ。もう少し叩き落す感じで打った方がいいな。ま、すぐ慣れるだろ。しかし、これ、すごいな。R22の頃は、なんか、手の平で打ってるような感じだったけど、これは飛び道具で弾丸発射してる感じだな」
「じゃ、次はトップスライス打ってみなよ。練習してたんでしょ」
「うん。やってみよう」 僕はそう言って、トスを少し外側にあげ、ボールの赤道よりも少し上を擦り上げるように振り抜く。練習通りだ、どうなるかな。
ボールは小さくスライドしながら、ネットを越えたところで「キャッ」と鋭く落下し、サイドラインをかすめて、ベンチに着弾した。
「お見事! 今すごく手前のサイドラインにかかったわよ。ネット越えて落ちるから、安定度は格段に上がるわよね。スライスは今後これ一本にして磨いた方がいいわよ」
「そうだな。今のでも十分相手はコート外に追い出されてるものな。これからは『スライス』と言ったらこれを指すことにしよう」
そしたら、「それじゃさ。缶置いて練習しようよ」って杏佳が言って、走って行って、サイドライン上にボールの缶を立てた。
「どっちが先に当てるか競争しよ!」
「ううん、フラットで直線的に狙うわけじゃないからなあ。かなり難しそうだが、やってみるか。お前はスピンサーブで打つんだな」
「そうよ。負けた方はアクエリ奢るのよ」
「おー、燃えてきた。負けねーぞ。勝負だ!」
と言って始めたものの、なかなか当たらない。やっぱり真っすぐ打つんじゃなくて、曲げながら落とすわけだから、点に合わせるのは困難だ。それでも、しばらく打っていたら、僕のは付近二〇㎝くらいのとこに着弾し始め、「これはそろそろか?」と思っていたところで、杏佳の打ったスピンサーブがボール缶の先端に「ポコン」って当たり、缶が倒れてコロコロとコート外に転がった。
「当たった! やった! 杏佳選手の勝利です!」って、両手挙げてぴょんぴょん跳ねて喜ぶので、
「お前というやつは、勝利優先で置きに行きやがって‥‥‥俺は本気で打ってたぞ」って負け惜しみ言ったら、杏佳は、
「ふんだ! 勝ったのは私よ。あんた一つも当たんなかったじゃない。見苦しいわよ」って、両手を腰に当てて胸張って「フンッ」って鼻から息を吐いた。
「あー、負けたー! まーけーまーしーたっ! わたくしの負けですー」
「じゃ、あとでアクエリね。私レモンがいいな。半分こにしようよ」
「へい、了解。そうしますー」
五 練習の最後に杏佳と試合形式のゲームを行った。
「それじゃ、最後にゲームしようか。四ゲームマッチね。四―〇か三―一なら勝ち、二―二は引き分けね。要するに、お互い二回ずつサーブ打つってこと」
「よし、やろうやろう」
「だけど、普通にやってたら、あんた練習になんないでしょ。だから、裕のサービスゲームは私がコースと球種を指定するからそこに打つこと。あと、私のサーブは前に出てサービスライン手前から打つわよ」
「な、なにそれ? どんなハンデなんだよ。サーブのコース分かってたら全部取れるだろ? あと、お前、サービスラインから打ったら弾丸サーブじゃんか」
「だからそれでやろうって言ってるのよ。私、あんたのサーブなんか取れないわよ。返ってこないんじゃ練習になんないでしょ? それに私のサーブじゃ、リターンの練習にもなんないし、前から打たないとだめでしょ? じゃ、サーブ私からね」
「それじゃー、打つよ」 杏佳が向かいのコートのサービスライン付近から声を掛け、「パシッ」ってセンターにサーブを打ってきた。って、速っ、速い! ラケットに当てたものの、弾き飛ばされ、ボールは力なくネットにかかった。
「ものすごい弾丸サーブだぞ。そんなの取れねーよ」って抗議したら、
「大丈夫。必ず取れるようになるわよ。インハイや全日本なんてこんなレベルよ。食らいついてれば返せるようになるから、はやくこっちに昇ってきなさいよ」
「えー、そういうものなのかー?」と言いながら簡単にサービスはキープされ、一―〇。今度は僕のサーブ。
「それじゃ、センターにフラットサーブ」って言うから、僕がその通り打ったら、おお、いいサーブが行ったぞ。と思ったら、もう杏佳がダブルハンドを用意して待ってて、ドカンとストレートにリターン。前に詰めようとしてた僕のはるか横をボールが突き抜け、リターンエース。
「うう、お見事。それ取れません‥‥‥」
「ほら、ボーっとしてないの。あんたいつも『サーブ返ってこないだろう』って油断してるでしょ? 返ってきて慌ててるようじゃ、うすのろビッグマンよ。インハイ出たら全部返ってくるつもりで、ちゃんとオープンコートにボレー送り込むこと。サービスエースは『取れたらラッキー』くらいでね」
「はい、ちびしいお言葉、ありがとうございます‥‥‥」
そんな感じで、ゲームは進行し、結局、
「ゲームセット&マッチバイ杏佳! スコア四―〇」って言いながら、杏佳がネットに近づいて握手を求めてきた。僕は、杏佳の手を握って、
「参りました‥‥‥。あなたは強かったです‥‥‥。完敗です」って兜を脱いだら、
「最初はこれくらいがいいんじゃない? あんたもそのうち、ちょっとずつ私に近づくわよ。おほほー」とか高笑いしやがった。だから僕も、
「キーッ! 悔しいー! 私、この屈辱忘れないわー!」って返して、それから二人で顔見合わせて、あははって笑い合った。
六 ガコン。「ほい」「ありがと」
館内の自販機でアクエリのレモンを買って、二人で横のベンチに座って飲んだ。
杏佳は、「あー、身体動かした後は美味しいわねー。勝利の味だ。おほほ」って憎たらしいこと言いながら美味しそうに飲み、「はい、半分飲んだわよ。どうぞ」って渡してきた。だけど、アクエリ持ってあっち向いて赤くなってるので、「なんだ。どうしたんだ?」って聞いたら、「べ、べつに拭かなくてもいいからね‥‥‥」って消え入りそうな声で言ってきた。
「えー、それ、拭いちゃ嫌ってこと?」って聞き返したら、
「ち、ちがうわよ。バカ!」ってこっち向いて色をなして言うので、僕は、
「はは、素直じゃねーなー。そんな水臭い仲でもなし」って笑って、もちろん拭かずに「あー美味しいな」ってゴクゴク飲んだ。
杏佳は「ふふーん。そうでしょ?」ってご満悦顔で笑ってる。
「はい、三口くらい残しといたぞ。杏佳が勝ったんだからな。最後お前飲めよ。拭かなくていいぞ」って言いながら缶を渡すと、杏佳は、「えへへ」って笑いながら美味しそうに飲み干した。
そしたら、杏佳が、両手を腿の下に入れて、なんかおずおずと、
「そういえば、先週のお誕生日はどうしてたの? 私、先週も空いてたから、ラケット渡したり練習誘ったりしようかなって思ったんだけど、裕がきっと予定入ってるだろうなって思って、やめといたの‥‥‥」って、下向いて、ボソボソと聞いてきた。内股になってひざ下をパタパタしてる。だから、
「えー、別に何にもなかったから言ってくれればよかったのに。家で成人のお祝いしただけだったよ。成人って言ったって、お酒も飲めないし、なんか中途半端なんだけどな」って答えたら、杏佳の白い頬がパッと紅く花開いて、
「そうなんだ。家でお祝いしただけなんだ」って、僕に顔を向けて嬉しそうに言ってきた。
「そうだよ。え? なんかあるの?」
「ふふ、ないわよ。ふふ。この、この」
「おい、つつくなよ。ギャハハ。やめれー!」
と、まあ、このようにして、僕と杏佳は再会した春から毎週一回金曜日に一緒に練習というか、指導というか、特訓を受けることとなった。
*第二章 オマケ お眼鏡
日曜日のお昼、私はお母さんを誘って、お出かけした。
お洋服は出がけにお母さんと相談して、ダークグレーの長袖のミニワンピに同色の細いベルト、帽子は黒のキャスケット、黒の短いソックスに黒のブーツにした。
「ちょっと地味かな?」
「いいんじゃないの? 似合ってるわよ。胸からウェストがキュって締まって、そこからミニの裾がフワっと広がってて、すごく可愛い。あなた脚長くて白くて綺麗ねー。これ、裕君もイチコロなんじゃないの?」って言ってくれた。
二人で府中駅東側にある「緑寿司」に行く。割と立派なお寿司屋さんなんだな。
入口の引き戸を開けて、女将さんに「予約していた吉崎です」って告げたら、「はい、ご予約の吉崎さまですー」って声が掛って、職人さんから「らっしゃーい!」の声が響いた。
あ、いた。一人、とんでもなく背が高いからすぐわかる。カウンターの中で包丁握って何か切ってる。黒いTシャツの上に白い和食コートを着て、同じく白い和帽子を被ってる。なんか凛々しいな。
「こちらのカウンターにどうぞ」って案内されて、お母さんと一緒にカウンターに座る。裕は、まだ気付かない。一心に包丁動かしてる。
女将さんがお茶とおしぼりを持ってきてくれて、大将が「何にしましょうか?」と聞いてくる。そりゃそうよね。裕はバイトだもんね。だけど、そこでやっと私に気付いて、
「あ? ご予約の吉崎様って、お前か? びっくりさせるなよ」って言ってきたので、
「『お前』って、失礼ね。今日はお客様なんだから、ちゃんとおもてなししなきゃだめでしょ?」って返したら、
「ああ、そうだった。ごめん」って言った後、あれ? って顔してお母さんを見て、
「‥‥‥び、美人姉妹?」って聞いてきた。それ聞いたお母さんが、
「ふふ、ずいぶんお上手ねー。だけど、お世辞でも嬉しいわよ」って言って、裕は、
「いや、姉妹か親子かどっちかなって思ったんですけど、迷ったなら『姉妹』って言っとけば間違いないかなって、はは。それじゃ美人親子ってことで」って軽口叩いてた。お母さんも笑ってた。
そしたら、裕が、大将に、
「大将、今日、こちらのお客様は、僕がお出ししてよろしいでしょうか」って声を掛けて、大将も「お、そうか。じゃやってみろ。何? 誰? 彼女?」って肘をぐいぐいしながら水を向けてくれたんだけど、裕は、「いやー、まあ、はは」とかなんとか適当にごまかしてる。あんたね! ちゃんと言いなさいよ! まあ、確かにまだはっきりしてないんだけどさ。って思ったら、カウンターの右手の二人と、左手の二人のご婦人方が、私のことジトーって見てる‥‥‥。ひー、怖ーい。こ、これが裕の固定ファンなのね。このあとはなるべく大人しくしていよう。
一仕事終えた裕が、真っ白いタオルで手を拭きながら、
「何をご注文です?」って聞いてくるので、
「中トロとウニとイクラを二巻ずつ。お母さんと分けるから」って言ったら、
「‥‥‥お前も、イカニモな、ぜいたく三種を注文するな‥‥‥」って言って、ご婦人方をチラ見するから、
「ちがうの。私とお母さん、好きなネタから食べるの。お腹空いてるうちに」って言ったら、裕は「ああ、そうか、そういうことか。ごめんな」って謝って、「じゃ、その三つも握るけど、今日はイワシがいいからまずそれからいきなよ」って、得意ネタをお勧めしてくれた。
「えー、そうか。じゃ握って貰おうかな」
「あと、アジもいいぞ。そしたらしめ鯖も握って光もの三種から始めようよ。お腹いっぱいにならないように一貫ずつにするよ。お母さんもそれでいいですか?」って、いつもの爽やかな笑顔で聞いてきた。お母さんも頷いてる。裕、あんた商売上手ね。
裕はネタケースからイワシを出して、指で開いて水道水で洗い、頭と一緒に骨をむいた。さらによく洗って、まな板で背びれを離し、二つの切り身にしてから、手にお酢をつけてシャリを握る。ああ、背が高いけど、案外手は小さいのね。器用なのはそういうとこなのかしらね。そういえば漫画も上手だって言ってたもんね。
裕は、白い手でシャリを握ってポンってやって、イワシを載せて、その上に生姜を擦って白ネギを載せ、
「はい、イワシ。お待ち」って言いながら、私とお母さんの笹の上に、綺麗な所作で「すっ」と一貫ずつ置いた。
では、早速いただきまーす。パクっ‥‥‥そしたら、
「おいしー!」って、私、お母さんと顔見合わせちゃった。ネタがすごく新鮮、脂乗ってるのに、ちっとも生臭くない。シャリもふわっとパラっとしてて完璧。握り方も上手なんだ。イワシの握りってこんなに美味しかったんだ。全然知らなかった。裕、あんたプロになれるよ。寿司のプロ。って、そうか、バイトだけど既にプロなのか。だけど、あんた相当よ。相当美味しいわよ、これ。
その後出てきたアジも鯖も、ぜいたく三種も、全部美味しかった。もしかして、裕が握ってくれるもんだから味覚がプラス補正されてる? チート? とも思ったけど、お母さんも「美味しい美味しい」って食べてたから本当に美味しいんだろう。
裕は私たちの相手だけじゃなくて、例のご婦人方にも目を効かせて、冗談言って笑い取ったりしてる。気配りできる男じゃないのよ。かっこいいじゃないのよ。
そのあと、赤貝と海老とアナゴを貰って、最後に裕のお勧めのトロたく巻を貰って〆にした。「うまいか、そうか。よかった」って、裕も嬉しそうだった。
すごく沢山食べたような気がしたけど、二人で八〇〇〇円くらいだった。もちろん安くはないけど、高級店ってほどでもないんだな。でもすごく美味しかった。
お店からの出際、裕が、
「お母さん、今日はありがとうございました。是非またいらして下さい。僕、一生懸命握りますから」って、笑顔でお礼言ってた。こんな背の高いイケメンからそんなこと言われたら、そりゃ通うわよ。ポーっとなるわよ。って思ってたら、裕は、周りのご婦人方に聞こえないように、小さな声で、
「杏佳も今日はありがとな。びっくりしたけど、嬉しかった。そのワンピすごく似合ってるぞ。黒に白い脚が映えてとっても綺麗だ。また着て見せてくれ。じゃ、また金曜日にな」って言ってくれた。あーもう、ポーっとなっちゃうじゃないのよ。グニュグニュしちゃうじゃないのよ。だけど、あんた、ご婦人方みんなにそんなこと言ってるんじゃないでしょうね?
案の定、お母さんは、お店出てからも、
「いい‥‥‥。すごいイケメン。背が高い。お寿司も美味しい。あれは相当ね‥‥‥」って言って、なんか上向いて恍惚となってる。
「ふふ、そうでしょ。だけど、見た目だけじゃないのよ。優しくて、誠実で、自分の考えをしっかり持ってる、すごくいい男なの」
「ふーん。そうなんだ。府中のどこにお住まいって言ってたっけ?」
「府中町の一丁目。教会の裏」
「へー、お屋敷街ね。お父さん何なさってるの?」
「弁護士だって言ってた。後継ぐんだって」
「え? ちょっと待って。弁護士の奈良先生?」
「知ってるの?」
「奈良先生、お母さんもお父さんもよく知ってるわよ」
「えー?」
「だってうちの病院のコンペにしょっちゅう参加してるもの。そのあとの宴会もね。髭のマッチョマンでね、すごく楽しい人よ」
「そ、そうだったのか‥‥‥」
「あれが奈良先生の息子さんなんだー。なるほどねえ。すごい長身でハンサム。性格もいいし家柄もいい。欠けたとこがないじゃない。私もお父さんも裕君なら何の文句もないわよ。うちは子供があなただけで跡継ぎいないしね。いいんじゃない」
「そういう生々しい話はやめてよ。裕はそういう男じゃないんだって。それにまだ彼氏ってわけでもないし‥‥‥」
「あれ? そうなの? なんか今日、彼氏紹介するみたいな話だと思ってたけど」
「だって、こないだ再会してからまだ一カ月もたってないのよ。裕だって私だって、もっとお互いよく知らなきゃだめでしょ?」
「ふーん。そうなんだ、まだ彼氏じゃないんだ。でも、そんなこと言ってぐずぐずしてると、あんないい男、誰かがかすめ取っちゃうわよ。気をつけなさい。ふふ」ってお母さんが茶化してきた。
それ聞いて、私、
「うん。すごくもてそうだもんね。‥‥‥やっぱり、そう思う?」って、あれ? どうしたの。なんか私、下向いて、何? 裕が誰かのものになるかもって思っただけで、両手ぎゅっとして、口ゆがめて、顔くしゃくしゃにして、ポタポタって、泣いてる? なんで? うー、止まんないよー。なんでー? うー、苦しいようー。
そしたらお母さんが、慌てて、
「ああ、ごめん。ごめんね。冗談よ。冗談。杏ちゃんみたいな可愛い子ほかにいないから大丈夫よ。はは」って、なんか下手なフォロー入れて来たけど、私、思わず、
「誰にも渡さないんだから! 裕は私のものなんだから!」って、涙目でお母さん見て、はっきり言っちゃった。私、自分でもここまでって気づいてなかった。そうなんだ、そうだったんだ。
「え? でもさっき彼氏じゃないって‥‥‥」って、お母さん戸惑ってたけど、私、やっと自分で理解できたから、曖昧じゃない、すっきりした気持ちで、
「ありがと。お母さん。背中押して貰ったわ。今決めた! 裕を私の彼氏にする。きっとするわ!」って両手広げて空見上げて宣言しちゃった。青空ならよかったのに、どんよりした曇り空だったけど。
「そう。いいじゃない。頑張りなさいね。応援するわ。‥‥‥まあ、それはそうと、お寿司美味しかったから、私きっと通うわよ。お友達も連れて」
「また、ご婦人方が裕の思惑通りになってる‥‥‥」
「なんだ、誘っても来ないの?」
「ふん。私もお供するわよ。またイワシ食べよう」
だけど、裕の気持ちはまだ分からないわよね。なんかツンデレの鬼コーチくらいにしか思ってないかもよね。こんな、私だけ気持ち決めて、もし空振りだったらどうしたらいいの?
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