第3話「M  ―MIND GAME―」

休みが明けて、数日が過ぎた。

連休気分から抜け切れていない生徒たちも、ようやく普段のペースを取り戻し始めた。

もうじき中間テストがあるため、戻らざるを得なかったという事情もある。


帰りの電車に揺られながら、和也はぼんやりと過ぎ行く景色を眺めていた。見慣れた景色なのに、しばらく休みだったせいか、少し違って見える。手にしている単語帳の存在はすっかり忘れていた。

――今日は真理が帰ってくる日だ。


ここ数日、ずっと心が重かった。マリアと話していても、時々不安になる。マリアが優しければ優しいほど、不安は大きくなった。


孝治が言っていた言葉が原因だった。マリアは真理に似ている。それでいて、彼女は和也の望みを反映するから、いつも変わらず理想的な存在だった。おそらく、真理よりもずっと。

――現実の人間じゃないと分かっていても、マリアに惹かれていく心を止めることができなかった。

真理と久しぶりに会えるというのに、以前ほどどきどきしなくなっていることに気づいて、和也は戸惑っていた。

真理との待ち合わせ場所は、いつもの公園だった。二人とも別々の学校に通っているが、降りる駅は同じだった。その駅から家への帰り道に、公園がある。遊具はほとんどなく、噴水と花壇がメインになっている。この間来たときには盛りだった藤の花は、とうに咲き終わっていた。電車を降りて、和也は公園へと向かった。

「和也!!」

珍しく真理の方が先に着いていて、和也は驚いた。スーツケースを持っていないところを見ると、いったん家に戻ってきたのだろう。真理はジュースを一本、こちらへ放り投げてくれる。

「この間のお礼!」

一瞬、何のことかと思ったが、和也の飲みかけのジュースを真理が飲んでいたことを思い出す。ジュースを受け止めて、真理の元へと歩いていく。

「予定より早く着いたんだね」

「うん」

真理は短い髪をかきあげて、にっこりと笑った。明るい茶色の瞳で、和也の顔を覗き込む。

「ねえ、今からどこか行かない?」

「いいよ。どこへ行こうか」

真理とどこかへ遊びに行くのは久しぶりだった。付き合いだしてから、この公園以外の場所へ行くのは初めてかもしれない。どこへ行こうかと相談しながら、和也はようやく心が晴れるのを感じた。


映画を観て、喫茶店でコーヒーを飲んで。

二人は会えなかった時間を埋めるように、いろいろな場所へ出かけた。

けれど、楽しさに浮かれていた和也の心は、時間が経つにつれて次第に沈んでいった。

「ずっと話していて疲れない?」

喫茶店で和也は、何度目かの台詞を繰り返した。真理は和也の沈んだ表情には気づかずに、きょとんとした顔で一瞬黙る。

「どうかしたの? 和也。今日何だか元気ないね。――あ、そういやさー、旅行中にね……」

黙ったと思ったら、また喋りだす。

真理はもともと口数が多いほうだが、今日は旅行中の話もあってか、ずっと喋りっぱなしだった。最初は相槌をうっていた和也も、だんだん疲れてきてとうとう黙りこくってしまった。

「ねえ、聞いてる?」

「……うん」

面倒臭そうに答えると、さすがに真理はむっとした顔になる。

「嘘、聞いてないでしょう。和也、私といてもつまんない? 今すっごくつまらなそうな顔してるの、自分で気づいてる?」

「そんなことないよ、気のせいだよ」

答えながら、和也はだんだん苛々してきた。

「もう行こう」

さっさと立ち上がるとレジに向かう。慌てて真理も後を追ってきた。

「ねえ、何怒ってるの? 訳わかんないよ、和也」

真理は泣き出しそうな声でそう言った。さすがに和也も少し落ち着きを取り戻す。真理の性格は小さい頃からずっと知っていたはずだ。今更何を些細なことで不機嫌になっているのだろう。大きく深呼吸をして、和也は真理の方を振り返る。

「ごめん、なんでもないよ。次、どこ行く?」

和也の言葉に、真理はまだ拗ねたような顔でうつむいていた。

「遊園地とか……行かないか?」

普段は自分から提案しない和也がそう言うと、真理は少し嬉しそうな表情を浮かべた。

「うん、行こう」

もう夕暮れで、園内を回る時間はほとんどなかった。二人はとりあえずぐるっとアトラクションを見て回り、観覧車の列に並んだ。順番を待つ間、和也は始終無口だった。

すぐに考え事を始めてしまう和也にとってはいつものことだったが、真理は時々不安をそうな瞳で和也を見つめた。先ほどの一件を気にしてか、話かけるのもためらいがちになる。

ややって、和也は真理の様子がおかしいことに気づいたのだろう。何とか盛り上げようと口を開く。

「もうすぐだね」

「うん」

真理らしくない元気のない返事に、和也はひどく違和感を覚えた。さっきは喋りすぎて苛立ったのに、今度は真理が黙っていることに苛立つ。我ながら勝手だな、と和也は心の中で自嘲気味に笑った。

ようやく順番が回ってくる。観覧車が動き出すと、真理はようやくいつもの調子を取り戻した。

「今度ゆっくり来ようね」

真理は無邪気にはしゃいでいたが、どこか無理をしているようにも見えた。喫茶店での一件をまだ引きずっているのだろうか。和也も気まずさを誤魔化すように、いつもよりはしゃいでみせた。

――けれど、明るく取り繕うとすればするほど、虚しい空気が二人の間に漂った。

観覧車の中で二人きりなのが、こんなに苦痛だとは思わなかった。昔、幼い頃に一緒に乗ったときには、もっと無邪気に話せた気がする。

「綺麗だね、外の景色。昔来たときより、街の灯りが増えてる気がする」

「前は夕方に来たんだよ」

「そうだっけ?」

意味のない会話をするうちに、ゆっくりと観覧車が下降していく。二人の気持ちも、それに呼応するように沈んでいく。

もう間もなく地上に着くだろう。

和也は真理の横顔を見た。こんなに近くにいるのに、二人の心はとても遠く離れてしまったように思う。目を閉じると、マリアの顔と真理の顔が交互に浮かんできて、和也の胸は締め付けられた。

「和也?」

思いつめたような表情の和也に、真理が不安そうに呼びかける。今日の真理は本当に真理らしくなかった。そうさせてしまったのは、紛れもなく和也自身だ。

「ごめん」

「え……」

和也はようやく、観覧車の列を待つ間に考えた結論を口にする決心を固めた。

「もう真理とは会えない。――会わないほうがいい気がする」

これ以上、傷つけてしまわないうちに。

和也の言葉に、真理は大きく瞳を見開いた。何か言いかけたけれど、言葉にならないようだった。タイミングを合わせたかのように、ぴたりと観覧車が止まる。

扉が開いたとたん、和也は外へ飛び出した。呆然としている真理を中に置き去りにして。


外はすでに暗くなっていた。目頭が熱くなってきて、慌てて空を見上げる。

――星の光が空ににじんでいた。

家に帰ると、玄関に弘美が立っていた。

「あれ? あんた一人なの?」

怪訝そうな顔の姉を無視して、二階へと駆け上がる。一刻も早くマリアに会いたかった。部屋の電気を点ける。ディスクの上にふわっとマリアの姿が浮かび上がった。まだ光が足りないためか、身体が透けて見える。今にも消えてしまいそうで、不安だった。

「どうしたの、和也」

「もう真理とは会わない。俺にはマリアだけでいいよ」

マリア相手なら傷つくことは無い。

いつだって、マリアは和也の望む存在であり続けるから。この気持ちが変わることも無い。

「どうして……」

責めるようなマリアの声に、和也は耳を疑った。何かの聞き違いだと思った。けれど、マリアははっきりとその言葉を繰り返した。

「どうして、別れたりしたの? 本当にそれでいいの?」

いつものように優しい声をかけてくれると思っていた。それなのに、マリアは咎めるように、厳しい声で和也を問い詰める。

真理そっくりな顔でそう責められて、和也は思わず息を呑んだ。

「勝手すぎるわ。もうちょっと話し合えば良かったんじゃないの? 本当にあんなこと言って、真理を傷つけずに済んだと思っているの?」

マリアの言葉が次々に、和也の胸に突き刺さる。

「やめろ、やめてくれ」

和也はうめくように言った。耳をふさいでも、なおその声は聞こえてくる。マリアの言葉は、和也の本心を反映していた。

――和也自身、気づいていなかった心の声を。

どのくらいの時間が経ったのだろう。

和也は真っ暗な部屋の中でベットに突っ伏していた。マリアをこれ以上見ていられなくて、電気を消したところまでは覚えている。マリアの言葉は、鮮明に記憶に残っていた。

「――和也」

弘美が部屋のドアを開けて入ってくる。廊下の照明が部屋に入り込んでいた。

「ドア閉めて。明かり入れないで」

ディスクが反応しないように。再びマリアが現れないように。

弘美は何も言わずにドアを閉めた。しばらく沈黙があった。

「あんたにね、話しておかなくちゃいけないことがあるの。あのゲーム……私があんたに送ったのよ」

「……なんで」

「真理ちゃんとのこと、見ていられなかったから」

姉の言葉に、和也はぎょっとする。いつから知っていたのだろう。弘美には真理と付き合っていることを隠してきたつもりだったのに。

「真理ちゃんは今でもよく私に電話くれるのよ。あんたのことで相談がある時なんかはね。――私と彼女はお互い似たようなところがあるから、話しやすいのよ。付き合う相手まで似たようなタイプだしね」

何も気づいていないのは、和也のほうだった。真理に告白する前から、和也のことで真理から相談を受けていたと聞いて、和也は複雑な顔をする。そういえば、前に弘美が誰かと電話していた。あの相手は真理だったのかもしれない。

いいように遊ばれていた気がして、何だか悔しかった。そう言うと、弘美は少しだけ苦笑する。

「何を言ってるの。こっちだって、どんなにもどかしかったか。――あんたの言葉が足りないせいで、真理ちゃんがどんなに不安だったか分かってる?」

「……」

「あのゲームで、自分の心と向き合って欲しかったのよ。……でも、まさかそのせいでこんな結末になるなんて思わなかったわ」

和也に小包が届いた時から……いや、真理に告白するところから、弘美のゲームは始まっていた。ゲームをしていたはずの和也は、姉に操作されていたのだ。自分の気持ちをいいように遊ばれたことに、和也は憤りを感じた。

「何が自分の心と向き合って欲しかった、だよ! 人の心を何だと思っているんだ!」

和也は弘美を睨んだ。何も知らずに、マリアと真理の間で揺れ動いて。挙句の果てに、最後に何もかも失った。

本当のゲームならやり直しが効くけれど、現実に起きたものはもう取り返しがつかない。

「私はあんたのためを思ってやったのよ」

弘美は弟の剣幕にたじろぎながら言う。和也の怒る理由が分からないようだった。弘美はどんなに和也が悩んだかを知らない。

――前に一度、「MIND GAME」に反映された自分の望みを見て逃げ出した弘美には、それと向き合った和也の苦しみを知らない。そんな弘美に分かったような口を利かれたくなかった。

「出てってくれ!」

和也は弘美を部屋から追い出した。開けっ放しのドアに背を向けて、一人、薄暗い部屋に佇む。

ずっと、マリアの残した言葉――自分の本心を考えていた。


何故別れたのかとマリアは詰った。

もっと話し合えばよかったのではないか、真理を傷つけずに済む方法があったのではないかと。

あれは和也が、真理に言って欲しかった言葉だった。けれど、あのとき何も聞かずに逃げてしまった。現実―真理―から逃げ出して、幻想―マリア―の世界へ逃げたのは和也自身だ。いつの間にか見失っていたものに、和也は気づく。

「和也」

ふいに、後ろからマリアの声がした。

和也は姉を追い出す時にドアを開けっ放しにしたことを後悔した。隙間から漏れる照明が、ディスクを起動させてしまったのだろうか。今、マリアを直視できる勇気は無かった。またさっきのように問い詰められるだろうか。

「――そのままで聞いて。振り向かないで」

振り返ろうとした和也を、マリアが制止する。まだマリアを直視する勇気のない和也は、内心ほっとした。マリアに背を向けたまま、言葉を待つ。

「弘美さんを責めないで。和也の本心が知りたかったのは、私なの。和也はいつも肝心な言葉をくれないから不安で……。でもおかしいよね、小さい頃からずっと一緒だったのに、今更、言葉なんか欲しがるなんて。和也が言葉よりも大事なもの持ってること知っていたはずなのに、だから好きになったはずなのに……」

それはずっと、和也が真理の口から聞きたいと思っていた言葉だった。真理からその言葉が聞きたくて、――聞けないから不安になった。だから、欲しい言葉を与えてくれる、マリアに夢中になった。けれど、言葉だけでは虚しくて、本物じゃないと意味が無いのだと気がついた……。

――それなのに、どうして今はこんなにリアルに感じられるのだろう。

思わず後ろを振り返る。その姿は、今までで一番、真理にそっくりに見えた。諦めきれない真理への思いが、そう見せるのだろうか。

和也は戸惑った。悲しくないのに、何故か涙がこぼれそうになる。

「馬鹿だな、私。失くしてから、そんな大切なことに気づくなんて」

マリアは泣きそうな顔で微笑んだ。和也は思わずマリアに駆け寄った。

彼女の頬を伝い落ちる涙を、そっと拭う。

指先に感じたのは、紛れもない本物の熱さ。

「……振り向かないでって、言ったのに」

拭いきれない熱い涙の雫が、ぽたぽたと床に落ちた。

「真理……」

和也は目の前にいる彼女の名前を呼んだ。

言葉だけでは不満で。

気持ちだけでも不満で。

求めることに夢中で、与えることを忘れてしまう。


「ごめんね、真理。――僕も今気がついた」

和也はそう言って、真理をそっと抱きしめる。

リアルな温もりが、互いに伝わる。

子どもの頃に戻ったみたいに、二人は顔を見合わせて笑った。


《END》

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M 秋初夏生(あきは なつき) @natsuki3mr

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