第8話 ガル子、引きこもる
栗毛のトイプードルの目の前でその動かなくなった茶班のビーグルの体から血だまりが広がっていく。
駆け寄ろうとすると、そのすぐ鼻先を銃弾が通過していく。谷を挟んだ向かいの山からは人間の気配がした。その数は増え続けている。
「離して。ココ」
「ダメだ。ガル子ちゃん、ここは危ない。一旦退くんだ」
「退いたらもうここには助けに戻って来ないでしょ」
ガル子の言う通り、ココは戻ってくる気はなかった。
また違う方角から銃声がした。それを銀毛のトイプードルがいくつかの弾丸を鞭のように伸びた尻尾で払った。
「さすがのおれだって、一度に色んな方向から撃たれたら防ぎ切れない」
四方を囲まれつつある。
ふいに現れた白眉のチワワの後ろ足がガル子の腹部を強打する。ガル子はうずくまった。
「ったく撤退といったら撤退なんだよ。手間かけさせんな」
ココに咥えられ引きずられながら、ガル子の意識は遠退いた。
銀毛のトイプードルはあれ以来、栗毛のトイプードルを見ていなかった。
いつもの原っぱに姿はなかった。いつも気持ちよさそうに昼寝をしている姿はどこにも無かった。しばらく来ていないのか。匂いも気配も感じられなかった。
飼われている家まで行ってみる。これだけ近づけばケモ力を使っていなくても、気が付かないわけがない。
「おーい、ガル子」
呼びかけてみるが、全く返事はない。
「おいおいおーい、ガル子いるんだろ」
これだけ呼びかけても出てこないということはどこかに出かけているという可能性もゼロではないが、
「おーーい。ガル子、気分転換にどっか遊びに行こうぜ」
正太郎はワンワンと吠えた。
「なあ、まだ落ち込んでんのかよ。らしくないぜ」
返事は無かった。
その後もしばらく粘ってはみたが、正太郎はそれ以上どうすることもできず、ガル子の家を後にするしかなかった。
街の匂いはあまり好きではない。
人の乗りものは臭いにおいをあちこちで巻き散らす。あちこちに漂う食べ物の匂いも強過ぎる。
銀毛のトイプードルは、その中で知っている匂いに気付いた。
「この匂いは・・・」
若い人間の女性にチワワを連れて歩いていた。若い女性は高級ブランドの衣類に身に纏い高級バッグを手にしていた。チワワも同様のブランドの服を着ている。
若い女性は店の外にあったドッグポールにリードをかけて店内へと入っていった。
残されたチワワを見つけた幼い女の子が近寄ってきて、
「〇△□□」
チワワはじっとして幼い女の子に頭を撫でさせた。そしてペロペロとその手を舐めた。幼い女の子は満足したのか、手を振ってその場を去った。
「私に何か用?」
遠くから隠れて見ていたところを見つかり正太郎はバツが悪そうに姿を見せる。
「いや別に用はないけど。何か意外だなと思って」
「どういう意味よ?」
「いや、おまえいつもツンケンしてるから、誰にでも厳しいのかと思ってた」
また幼い男の子が寄ってきて、リイフの頭を撫でていった。その光景を見た道行く老いた男若い女が吸い寄せられるようにリイフを見て笑みを浮かべる。
ここにもトイプードルがいるというのに誰にも見向きもされない。まるでこちらのことが見えていないみたいに。それほどリイフが際立って人の目には映るということなのか。
「用がないならあっち行って。バカが移るから」
「なんだと、もういっぺん言ってみろ」
その時、どこからか人間の悲鳴が聞こえた。
パトライトを付けた白と黒の車が辺り一帯を封鎖していた。
目の前ではフールが暴れていた。手当たり次第に人を襲い掛かっている。噛み付かれても外傷は無いが、生気を奪い取られている。道端には倒れた人が点々と転がっていた。
「△◇●▽▲●〇」
警察官がフールを取り囲み、拳銃を構えて発砲した。一瞬、フールは動きを止めた。弾丸はフールを包む黒い瘴気に飲み込まれ何事も無かったかのように再び襲い掛かる。
フールは全部で3体。体は小型犬サイズ。4本足でイヌの形をしていた。地面に黒い足跡を残しながら辺りに黒い瘴気を撒き散らしていた。
「こいつら、人間に対して隠れる気も遠慮も無いな」
それほど強そうでもない。これならひとりでもやれる。
銀毛のトイプードルの体は黄色に発光していた。パリパリと空気が鳴った。
『壱尾槍』
正太郎の尾が伸びて、正面にいたフールの心臓の位置を貫く。フールは霧散した。
1つ。尾はそのままくの字に向きを変えて、避けようとするフールを追従して同様に貫いた。
2つ。 3体目のフールが正太郎向かって襲い掛かってきた。伸ばしていた尾を戻す。
3つ。これで終わり・・・。
他の2体と同様にフールの心臓の位置を正確に貫いたが、フールは霧散しなかった。向かってくる勢いも衰えない。
尾が抜けない。しまった・・・。
正太郎の首元にフールの牙が迫る。
突然、フールが動きを止め、霧散した。正太郎には何が起きたか、分からなかった。
微かにリイフの匂いがした。先ほどの場所から一歩も動いていない。遠距離からの攻撃。
周りにこれだけの障害物があると直接は狙えない。そうなると弾をビルに反射させて何回も跳ね返させてたった一発で仕留めてる。なんてやつだ・・・。
「油断すんな。まだ終わっていない」
リイフの声が聞こえた。地面から霧状のフールが湧き出てくる。正太郎は10体以上のフールに取り囲まれていた。
『壱尾槍』
正太郎が次々に霧状のフールを貫くが、消えないどころか、ダメージを受けた手応えもない。
一斉に正太郎に向かって距離を詰め寄られる。
『七式弾・マシンガン』
上空から弾丸の雨が降って来た。
正太郎のいる場所だけを正確に外して地面を穴だらけにしていく。辺りに粉塵が舞う。
正太郎のすぐそばにリイフが着地した。
「何やってんのよ。もう危なっかしくて見てられない。ご主人様が戻ってくる前にケリを付けるから」
リイフが穴だらけにしたフールの体が瞬く間に元通りになっていく。
「げっ、こいつらチートかよ」
正太郎とリイフは霧状のフールに取り囲まれていた。
「今日はいつも一緒の黒イヌはいねえのか」
「テトは別用で出てる。そっちこそあのちっこい栗毛はいないの?」
「今は充電中だ」
正太郎は苦笑い。その間にも霧状のフールの数は更に増えていく。
「とっておきがある。そのために1分要る。時間稼ぎできる?」
正太郎の体の毛が逆立ち、黄色に発光してパチパチと鳴った。
「なめんなよ。おれに任せとけ」
正太郎はフールの間をすり抜け、できるだけ群れの中心で雷猿を放つ。ほんの一瞬、穴を開けただけですぐに元通りになる。
徐々に数が増え、すり抜ける逃げ道が少なくなっていく。
一匹のフールがリイフに襲い掛かろうとするところを、
『壱尾槍』
正太郎が気付いて霧状のフールを貫いた。だが、胸を貫かれたまま襲い掛かろうとした。
正太郎は壱尾槍を螺旋状に回転させる。
『壱尾槍・旋』
霧状のフールはその渦に巻き込まれて吸い込まれていく。
「おい、まだか?」
リイフは目を見開いた。リイフの体の発光が赤から青、黄、緑、藍、橙、紫に変化する。その色が混ざり合って白く発光する。
『七式弾・虹』
ブースト3。リイフの口から虹が零れる。リイフと正太郎を中心に輪になった虹が放射状に広がっていく。虹に触れた瞬間に霧状のフールが光に飲み込まれて跡形もなく消滅する。
辺り一帯にいた霧状のフールを一掃した。もう復活してくる気配はない。辺りに充満していたフールの気配が消えた。
「じゃあ私は戻るから」
リイフは足早に去ろうとするところをケモ力が消耗して足元がふらついた。
「おい」
支えようと足を伸ばした正太郎もケモ力を消耗し足がもつれて転ぶ。正太郎はリイフの尻に鼻先から突っ込んだ。そのままリイフを地面に押し倒す格好になった。
「いや、違うんだ。わざとじゃ・・・」
リイフの強烈な後蹴りが正太郎の顔面を捉える。正太郎の体は3m以上空を舞った。
その様子を地面の陰の中から見ているモノがいた。
それは黒かった。影の中に居ながらもそのシルエットがはっきりとわかるほど黒い。イヌの形をしていた。
「ふーん、あれが勇者か」
それは影の中に再び身を隠した。
車輪からカラカラと音を鳴らしながら、初老のシュナウザーが闊歩していた。影が長く伸びる。「〇×△」と書かれた表札の前で立ち止まった。
「あ、ワンワン」
子供が指差した先の犬の姿を見て母親がギョッとする。4本の足には補助具が付けられていた。子供の手を引いてその場からそそくさと立ち去る。
「怖がられてんじゃん。こんなところでウロウロされたら超迷惑なんですけど」
栗毛のトイプードルが姿を見せた。
こいつは正太郎みたいに無視するわけにはいかないだろう。
「よう、元気そうだな。いいからちょっと顔貸せ」
有無を言わさない剣幕でトムが顎をしゃっくた。
恐っ。これはパワハラなのでは?断ってもいいのかしら・・・。
原っぱには初老のシュナウザーと栗毛のトイプードルだけだった。他のイヌの痕跡はあったが、今はイヌの気配は無かった。
「おまえさんが強くなりたいと聞いてのう。老婆心ながら手助けしてやろうと思っての」
「私にはもう必要ないの。私はもう勇者は止めるんだから」
私はポチを救えなかった。私が守りたいものが救えないならこんなチカラを持っていても意味なんてない。
「かつてわしは足も仲間も失った。老人にできることは若者が同じ道を歩まぬように語ることだけじゃ」
カラカラとトムの足の車輪が鳴った。
キミも勇者にならないか? あるトイプードル(雌)の物語 @pandaya77
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