ホラー小説のルールがだるい
@R18
ホラー小説のルールがだるい
本というか文章をよく読みます。別に好んで読んでいるわけではなく、しかたなくといった感じ。
消極的読書家といったところでしょうか。
文章を読むのはコストパフォーマンスが非常に良いのです。暇つぶしに良い。
他人がどうかは知りませんが、私の人生はとても暇です。暇は人を殺します。私の脳みそは暇になると、碌でもないことばかり考えるんです。「お腹減った」とかならだいぶマシです。考えた末に体重が増えるかもしれませんが、それで今すぐ死ぬわけでないですからね。
最悪なのは、嫌な思い出や失敗を思い出すことです。それで終わればまだマシなのですが、変に建設的な私は反省を始めてしまいます。これが良くない。
頭の中であーだこーだ論理をこねくり回した挙げ句、どうすればよかったか。何が原因だったのか。何が悪かったか。などと考えてしまいます。これは人を殺します。
1日の中で1回あるかないか。というなら良いでしょう。何も無い白い部屋にコップ一杯の水。良いでしょう。その水は飲んでしまいなさい。
1日の中で数回程度。というのも良いでしょう。何も無い白い部屋にバケツいっぱいの水。裸足になって足を入れて遊ぶのに良いかもしれない。
でもそれが1日の中で数十回では?1週間毎日そんな調子ではどうなります?バケツから水があふれます。体や心の調子が悪い時、寝不足のとき、頭痛がするとき、脳みそが勝手に反省会を始めたら?足首が水につかって靴がびしゃびしゃになる。それでも止まらない。ゆっくりと着実に水は増えていく。ついに腰の高さまで。
人生というのは長いもので、良いこともあれば悪いこともあります。もしも良いことと悪いことのバランスが悪かったらどうなるでしょう?良いことよりも悪いことのほうが沢山だったら?自分にはどうにもできないほど、増えてしまったら?
十分に広い家に住んでいる方や、物の整理がうまい方には想像もつかないことでしょうが、私の脳みその中は今、嫌な思い出達でいっぱいです。建設的に生きるならばそれは捨てられないものなのです。反省し乗り越えなくてはならないものだからです。部屋の隅に置いておいて戒めとすべきものなのです。
暇になったとき、ふとしたとき、それらが私を苦しめます。
私はもう窒息するのではないかと思うのです。
前を向いてポジティブに生きようとする。生きる行為そのものが、私を苦しめ死へと近づけさせるのです。
だから私はこのところ人生をやめました。人生を前に進めるのをやめました。これ以上荷物が部屋に増えたら、息苦しくて死んでしまうからです。私は生きるために生きることを辞めることにしました。
荷物が増えたら捨てたり、より広い部屋に引っ越したりするのが、人間というものなのでしょうが、私にはそれができなかったのです。私は人生が下手でした。
人生を辞めた私は暇な時間が増えました。増えた結果、嫌なことを思い出す機会も増えました。脳みそが勝手に反省会をしないように、脳に暇な時間を与えないように、一番コストパフォーマンスが良い方法が読書でした。だから私は本を読みます。私は消極的読書家なのです。
ホラー小説は良いものでした。ホラーというジャンルをあまり読んでこなかった頃は、楽しく読めました。“怖い”というのもなかなかどうして良いものです。
しかし読んでいると飽きてきました。ルールがだるいんです。
よくわからない存在と、よくわからないルール。そのルールを破ってしまった…という恐怖。だいたいがそんなのです。
そういうのに飽きてしまいました。
ルールを逆手に取って反撃!みたいなのももう良いです。
文章の羅列から推理小説ばりに、実際は何が起こったのか?考察するのもだるいです。新感覚のホラー体験!そんな脂っこいものは消化できません。
きさらぎ駅?くねくね?八尺様?ネットロアはもう良いです。
ホラー小説に登場する人物たちはいろんな怖がり方をします。まあまあ大体の恐怖の行き着く先は、“死”でしょうか。いろんな小説がいろんな怖がり方をしますが、結局行き着く先は“死”です。はいはいそうですか死にますか。といったところ。
社会的地位を築くために命掛けで努力してる人たちは、その積み上げたものが大切で、崩れることに恐怖するでしょうが、私は今まで積み上げてきたものなんてありませんし、これから先なにか築こうとも思ってません。
ホラー小説で怖がるためには、必死になって生きなければならないのかもしれません。
いま文章を書いていて思いますが、生きることをやめた私が恐怖することは何なんでしょうか。
嫌な思い出が増えるのが怖いかもしれません。
私はうまく立ち回れません。うまく立ち回れない人間は他人から嫌われます。相手にとって自分は不快で嫌な奴です。それが1人なら良いですが、共通の友人知人が同じ見解をもったら?
私は絶対的に“嫌な奴”になります。
同じような失敗を何度も繰り返せば、単純に失敗したのではなく、自分はそういう奴なのだと迫られます。
ああそれは恐怖です。
運動が苦手なら、勉強すればいいし、勉強も苦手なら、音楽や絵をやればいいし、それも苦手なら友達とおしゃべりしても良いでしょうが、人生が下手な私はどうしたら良いのでしょうか?
フィクションの世界では、ある日突然何かが起こって、始まったり、救われたり、狂ったり、劇的な変化が訪れますが、現実はそうはいかなのはよく知っています。自分を救えるのは自分だけです。自分の人生を楽しく面白いおかしいものにするのは、他でもない自分です。でもその自分が頼りないとしたら?
“良いやつ“にはまだ救いがあります。誰かが助けてくれます。しかし私は嫌な奴。誰も救おうとはしません。その価値もありません。
人生が下手すぎて生きれば生きるほど他人から嫌われることに気づいた私は、これ以上嫌われる前にと、人生をやめました。
私が死んだときに皆が喜ぶことを恐怖したからです。
幸いにも完全に嫌われる前に人生を辞められたと自負しています。
これは英断で損切りです。私の人生のなかでも最高の選択のひとつです。
私がいま望むのは、明日への希望を抱いて眠りにつき、そのまま永遠に目覚めないことです。
絶望したくはありませんし、積極的に死にたくもないですからね。
ホラー小説のルールがだるい @R18
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます