第28話 幼馴染を追いかけて

 理代が戻ってこない。


 あれからどれくらい経ったのか、時間を見ていないからわからないが、遅い気がする。


 不安なせいで時間感覚が曖昧になっているのだろうか。

 気にしすぎなのかもしれない。


 けれど、悪い予感は時間とともに増大していく。


 もし、もしも、あの人物と出会っていたら──


 嫌な想像が止まらない。



 確かにここ最近、理代は変わった。


 中学時代と比べて驚くほど明るくなったし、コミュニケーション能力だって向上している。

 きっと内面だって変わった。前より強くなったはずだ。


 しかし、すべての元凶ともいえる人物、明坂と出会って、理代が果たして平静を保っていられるかはわからない。


 もちろん、俺は理代がそこまで弱いと思っているわけではない。


 だが、明坂は理代にとっては、人生最大のトラウマなのだ。

 そのことが原因で不登校になり、心を閉ざし、卑屈になってしまうくらいの。


 目を背けてきた現実であり、理代の弱みであり、心に深く刺さった棘であるのだ。


 そんな人物と理代が真っ向から話をする。

 たとえ理代が成長したとしても、本気でトラウマに打ち勝てるかどうかはわからない。


 人の心というものは案外脆いものだ。

 

 突き刺すような言葉をかければ、あっという間にぽきりと折れてしまうことだってある。


 焦燥感が募っていく。


 すべて杞憂に終わるならば、問題ないのだが……。

 

 俺は逸る気持ちを抑えるため、自分にできることを実行する。


「椎川さん」


 近くにいた椎川に声を掛けた。

 髪を靡かせながら椎川が振り返り、小首を傾げる。


「どうしたの、幸田くん?」


「理代がトイレから戻って来ないんだが、少しラウンジの方を見てきてくれないか?」


 男の俺が女子トイレに入るわけにはいかないので、椎川に頼み込む。


 すると椎川も、しばらく理代が帰ってきていないことに気づいたようだ。はっとした表情を浮かべた。


「不安なんだね。わかった、見てくるね」


 どうやら内心の不安が顔にも出ていたようで見抜かれる。

 人付き合いに慣れた椎川だからこそ、表情を読み取ることに長けているのだろう。


 椎川は俺へ告げた後、早足にボーリング場を抜け出していった。





 椎川が戻ってくるまでの間、気が気ではなかった。


 妙な胸騒ぎは先ほどからずっと止まらない。


 大丈夫。きっと何もないはずだ。


 偶然お腹を痛めたとかでトイレが長引いているだけだ。


 適当な言い訳をして、心を落ち着かせようと試みるが、上手くいかない。

 

 実際はごく数分だったのだろうが、体感では何十分も経過したように感じられた頃、椎川は息を切らしながら帰ってきた。


「幸田くん、本当に理代ちゃんはトイレに行ったんだよね? 個室は全部空いているし、ラウンジにもいなかったのだけれど……」


 困惑した様子の椎川。確かめるように俺へ問いかけるが、その答えを言うより先に俺は駆けだしていた。


 通路を通り、出入り口の方へ向かう。


 ラウンジにいない、トイレにもいないとなれば、外に出たのだろう。

 ラウンジのほうにはまだ明坂がいるかもしれないが、確認しに行く余裕はなかった。

 それよりも、理代の後を追うことを優先した。


 中学時代に理代の心を傷つけた明坂がラウンジにいて、理代は面と向かったことでトラウマが再発し、逃げ出してしまったのだろう。

 

 こんなことになるなら、変な見栄を張ってトイレについていくことをやめなければよかった。俺がいればまだ結果は変わったかもしれないのに。


 地元で遊ぶことに反対すればよかった。理代が何のために遠くの学校を選んだと思っているんだ。明坂に会いたくないがためだろう。それなのに、考えが至らなかった。


 だが、今更後悔したって手遅れだ。

 俺は目の前の既に起こってしまった出来事と向き合うべきなのだ。


 店を出た。

 理代が行ったのはどっちだ。


 右へ行くと繁華街が広がっており、その先には駅がある。

 左には閑静な住宅街や広々とした公園など、落ち着いた雰囲気の場所へと繋がっている。


 駅で遠くまで行ってしまっただろうか。

 それとも静かな場所へ逃げ込んだだろうか。


 思案している時間はない。

 俺は直感で左の静かな方へと足を動かした。


 走りながらスマホで理代に電話する。

 予想通り、応答はない。


 俺はスマホをポッケに戻して、走る方に意識を集中する。



「理代ッッ!!」



 足をもつれさせながらも、必死に動かす。



「理代ッッ、返事をしてくれっ!!」



 声を荒げ、何度も何度も名前を呼ぶ。


 けれど返ってくるのは、不審そうな周囲の目だけ。


 走る。


 ただ走り続ける。

 

 何分も、何分も。

 


「理代ッ! どこにいるんだッ!」



 かつてこんなにも大声を出したことがあっただろうか。


 ここまで無我夢中で走ったことがあっただろうか。


 既に足は限界を迎えていて、いつもだったらとっくに動かすのを止めているのに。


 俺の足は過去一速く地面を蹴り続けた。


 でも、どれだけ速く走ろうと、理代の姿は見えてこなかった。





 息が上がり、肺が締め付けられる。


 足はじんじんと痛む。


 身体は真夏のように熱く、汗が止まらない。


 走っても走っても理代は見つからない。


 方向を間違えたのだろうか。

 繁華街の先にある駅で電車に乗って遠くに行った可能性だってあったはずだ。

 

 よく考えれば椎川たちと手分けして探すなんていう手もあったか。


 理代がいなくなったことに動揺して、周りが見えていなかった。


 俺は深く反省しながら、足を止め、ぼんやりと空を見上げる。


 分厚い雲に覆われた空は、まるで俺の心を映し出したように暗く、重い。


 どこか、座れる場所はないだろうか。

 疲弊しきった身体では立っているのが辛かった。

 一刻も早くどこかに座りたい。



 辺りを見渡すと近くに公園があった。


 俺はベンチに座ろうと、公園へ足を踏み入れる。


 滑り台やブランコなど、遊び道具が目に入った。


 公園の外周を囲むように植えられた草木の匂いが鼻につく。


 休日なのに、遊んでいる子供はいなかった。

 寂れた公園だからだろうか。


 俺は敷き詰められた砂地を歩く。


 奥まで進み、やがてベンチに辿り着く。



 だが、座りはしなかった。


 そのことを不審に思ったのか、ベンチに座っていた少女がおそるおそるといった風に顔を上げる。


 その目元は泣き腫らしたあとだと一目でわかるほどに赤らんでおり、口からは微かに啜り声が聞こえてきた。


「探したぞ……理代」


 俺は酷く落ち込んだ少女、理代に優しく声を掛けた。



 ――――――――――――――――



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コミュ障な幼馴染が俺にだけ饒舌な件〜クラスでは孤立している彼女が、二人きりの時だけ俺を愛称で呼んでくる〜 水面あお @axtuoi

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