VRスペースでチーターから助けたのは登録者8000万人の超人気Vtuberだった
鴎
VRスペースでチーターから助けたのは登録者8000万人の超人気Vtuberだった
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
それがその子との最初の会話だった。
今や世界中に広まったVRスペース『ビヨンド』、その中でのことだ。
ある日街のフィールドでチーターたちに絡まれているユーザーがいたので俺は助けた。
俺は小村タカユキ34歳。ゲーム以外に取り柄のないしがない会社員だ。都内の中小企業『石田製作所』で毎日ラインマシンの前に立っている。
当然独身だし、彼女がいた経験もない。
どこにでもいる弱者男性といった感じだった。
だが、どうでもいいことだった。弱者男性だろうがなんだろうが俺は生きているし。
見下されても失うものもなにもない。
昔からこういう立場で今もそうだというだけだ。俺の人生はずっとこんな感じだし。
ゲームさえできればそれで満足できる幸せな人間なのだ。
そんな俺が気まぐれでチーターに絡まれている人を助けた。本当に気まぐれだった。周りにも何人かユーザーはいたが、チーターはどうしようもないのだ。通報して見守るしかなかったようだ。
だが、俺はこのビヨンドの『ストリートファイト』というシステムをひたすらやりこんでいた。VRスペースの機能のひとつというにはあまりにも作り込まれたゲーム性。俺はそれの虜になっていた。
ランキング機能もないのにあまりにやり込みすぎていた。チーターを倒せるレベルまで。
なので助けられたので助けたのだった。
「ち、チーターって倒せるんですね」
「まぁ、ある程度やってる人なら相手のクセが分かれば」
「す、すごいですね」
ストリートファイト機能ですごいと言われたのは初めてだった。
この機能のサークルはもちろんあるし、その中でみんな凌ぎを削っているのは事実だ。
しかし『ビヨンド』のメインコンテンツは交流だ。バトルなら『ビヨンド』内にあるゲーム領域で最新の本格的なものをやる人間ばかりだ。
昔の対戦ゲームをリスペクトして作られたという『ストリートファイト』機能をガチでやりこむのは少数派だった。
なのでストリートファイト機能のチーターというのも少数派だった。
やるならビヨンドの機能そのものをクラックした方が効果的だからだ。
だから俺も物好きだがあのチーターたちも物好きだった。敵ながら少し親近感を持ったほどだ。ぜひ正しくストリートファイト機能を使って欲しいところだ。
「本当にありがとうございました。今から行くところがあって」
「ああ、急いでたんですか。ならいい事をしましたかね」
「はい、助かりました」
女の子は頭を下げた。青い髪のスラッとしたアニメ調のアバターだ。色々と服の装飾も凝っている。クリエイターに作ってもらったのだろう。
俺の無課金のおじさんアバターとは大違いだった。
「急いでるですよね。もう行ったほうが」
「あ、もうこんな時間。すいません、改めてお礼をします。茶色たかしさんですね。ユーザー情報いただいても良いですか?」
「そんなの別に。大した事じゃないし」
「いえ、十分に助かりました! お願いします」
「そ、それなら」
しぶしぶ俺は自分のユーザーカードを送信した。後腐れないほうがありがたかったのだが、感謝したいというなら無下にもできない。
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
「あの、私は如月アオイって言います。一応Vtuberやってて。この後ライブなんです。気が向いたらぜひ見てみてください」
「へぇ。予定が合ったら見てみます」
「ありがとうございます! では!」
そういってその子はこのフィールドから出ていった。
「Vtuberかぁ。全然分からないな」
俺は独り言を言った。全然Vtuberはわからなかった。とうのたったおっさんにはなにも分からない。もう自分の生き方が定まってしまったおっさんには改めて触れようという気も起きない。安定と妥協にまみれてしまったおっさんなのだ。
なんかゲーム領域で配信したり、歌のライブとかして、アイドルとしてビヨンドの象徴的人々なのは知っている。
だが、残念ながら俺がビヨンドに求めるのは『ストリートファイト』だけだった。それ以外はあまり興味がないのだ。
だから申し訳ないけど彼女とはこれきりだろう。
俺はさっさとユーザー情報をまったく別のものに更新した。これでユーザーカードから俺をたどられることもない。なので彼女に関わることはない。申し訳ないが後腐れないのが1番なのだ。
「トレモして寝るか」
俺は言った。
「やっぱり如月アオイだったじゃん!」
「ええ、じゃあほんとにチャンネル登録8000万のあの如月アオイだったの!? なにがなんでも助ければ良かった」
そんな会話が漏れ聞こえた気がしたが俺は気にせずトレモに良さそうな場所に移動を始めた。
そして、その日はそのまま寝たのだった。
そうして2週間が経過した。
俺の毎日は変わらぬ弱男であり、家に帰ってビヨンドでストリートファイトを極める。
そう言った毎日が続いた。
これこそが俺の今の生きがい。他には何も要らぬとばかりだ。
『茶色たかし』の名は捨ててしまった。だが精神は生きている。戦うのは昨日の自分。ひとつづつ積み上げていくのみ。
今は『AKUMAごーき』の名を背負い修羅の道に明け暮れていた。俺には過ぎた名だが、名前負けしないように鍛錬するのみだ。
そんな感じで俺は今日も草原のフィールドで技の出し方、コンボ、セットプレイ、起き攻めの練習に励んでいた。
「やっぱりこの連携は遅らせも混ぜた方がいいか」
「混ぜた方が良いか、じゃない!!!!!」
そんな俺の集中は予期せぬ絶叫で乱された。
驚いて振り向けばそこに居たのは女性アバターだった。
見るからに無課金。青い髪にシャツにジーンズの初期ファッションだ。
「誰でしょうか」
「如月アオイだ! なんであんた雲隠れみたいなことしたのよ!!!!」
「如月アオイ?」
俺は一瞬良く分からなくなって記憶の糸を手繰り寄せた。確か最近聞いた名だった。
「まさか、忘れてるの?」
如月アオイを名乗る無課金アバターは表情のない無課金アバターなのに分かるほどの怒気を放っていた。
俺はビビり散らかして必死に記憶をたぐった。
「あ、この前助けた」
「ようやく思い出したか。お礼するって言ってるのにどうして逃げるのよ!!」
「ちょっと不具合でユーザー情報が消えてしまって」
「絶対嘘でしょうが! 名前と情報以外前のアバターとおんなじだし!!」
「ははは」
俺は誤魔化して笑うしかなかった。どうやら言い逃れはできそうになかった。
というか、
「前と雰囲気違いすぎませんか」
「当たり前、あの時はメインのアバター着て他の人の目もあったんだから。今日はお忍びで来てるから良いの」
「そういうこと言って良いんですか...」
「それより! はい!」
そういって無課金アバターは何かを差し出す。それはライブチケットだった。見れば如月碧のライブ、それもSS席のチケットだった。
が、『それも』と言ったものの俺には価値がよく分からなかった。
「ははぁ....」
「ちょっと、反応薄い。ファンなら失神するんだけど」
「そんなに」
だが、正直内心がっかりだった。ライブチケット、俺が1番興味がないもののひとつだった。わざわざ探し出してまでお礼に来たのだから然るべき金品でももらえるかと思ったのだ。
「もしかしてガッカリしてない?」
「まさか! 今にも飛び上がりそうなほど嬉しいですよ!」
「明らかな嘘言うな!」
無課金アバターは無表情のまま叫んでいた。
「この如月アオイのライブにまるで興味がない人間がいるなんて。いや、いるのか。そりゃそうか、世界は広いし。その1人が今、目の前にいるのか」
無課金アバターはブツブツと独り言を言っていた。
「えっと、もう良いですか?」
「良くない! とにかく、ぜひ来てよね。それが精一杯、私にできるお礼」
「ライブとかあんまり分からないんですけど」
「大丈夫、絶対後悔させないから。最高のライブ、見せてあげる」
「ははぁ」
「じゃあ、ごめん。私忙しいから。行くわ」
そう言うと無課金アバターは片手を上げてこのフィールドから去っていった。風のような去り方だった。
「なんなんだ...」
俺は手元に残ったチケットを見る。
「如月アオイのチケットか」
俺は下世話にもオークションサイトでその値段を調べた。『如月アオイ SS席ライブチケット 値段 検索』。
「ぎょああ!!」
そうやって叫ぶほどの値段だった。具体的には俺の一年分の給料に相当していた。
そして、ライブ当日。
俺はライブ会場の領域、そのまさに最前列に居た。列といってVRだ。みんなたっていたり宙に浮いていたり、現実のライブ会場とは大きく様子が異なる。おそらく。ライブとかいうものに来るのは初めてなので良く知らない。
だが俺は戦慄していた。
人数がおかしすぎる。
後ろを振り返れば領域の彼方までアバターがひしめき合っている。
数字を確認すれば同接というやつが600万人という話らしい。
C席以降はアバターなしの観戦ということなので今見えるのはB席までなのか。それでこれなのか。よく分からなかった。
そして、時間がやってきた。
「みんな! 来てくれてありがとー!」
その言葉からライブが始まった。
現れたのは俺が助けたアバターの如月アオイだ。
手を振りながら観客たちに言葉を送っている。
そして観客たちはそれに応えて声をあげたり、アクションしている。
凄まじかった。VRなのに地鳴りでも聞こえるようだ。
観客全体が自然現象のようにさざめいているかのようだった。
「それじゃあ始めるね! 一曲目は....」
そうしてライブは始まった。
俺は歌というのはよく分からなかったが如月碧が間違いなく本物のアイドルなのだというのは理解できた。
なぜだかやけに元気が出るのだ。
正直上手いか下手かでいえばそんなに圧倒的というわけではない。
しかし、なぜだか心が温かくなるのを感じた。
これがアイドルというものなのか。
理由を言語化できないのに心が震えているのが分かる。
俺は感動していた。
歌い踊る如月アオイ、それに合わせてうねる観客たち。まるで非日常。それでも活力が湧いてくる。頑張る力が湧いてくる。
そういった不思議な時間だった。
「それじゃあ、ちょっとブレイク!」
如月碧の一言とともに休憩となった。
俺は汗がびっしょりだった。ゴーグルで見えないが、俺の服は小汚い有様になっているだろう。
しかし、すごい満足感だった。
今まで味わったことのない感覚だった。
「どう? すごいでしょ」
そう話しかけられた。
見れば横にいつのまにか無課金アバターの女が立っていた。
「あの、どなたでしょうか」
「私だ私! この状況下でこんな声の掛け方してるんだから分かりきってるでしょうが!」
「あ.........ああ!」
「察しが悪い」
無課金アバターは無表情だが呆れているのが分かった。
「どう? 感想は?」
「なんか『私を助けてくれた人がこの会場にいるんです。それは彼です!』とか言ってくれるのかと思いました」
「お金もらってるライブでそういうのはしないの。全員平等にお客さんなんだから」
「なるほどぉ」
粗暴な口ぶりに反して高いプロ意識を持っているようだった。
これがショービジネスのプロなのか。
「なんか分からないけど元気出ました」
「それは最高の感想ね。私がVtuberやってるのはみんなを元気にするためだから」
「そうなんですかぁ」
「そうなの。なんか毎日つまらないな、疲れるなみたいな人を元気づけるのが楽しいのね」
「へぇぇ」
これがアイドルというものなんだろうか。よく分からないが、初めの印象より立派なやつなんだなと思った。
少なくともひたすらにストリートファイトをやりこんでいる俺よりは。
「あなたも暇つぶしに配信でもしてみれば? あれだけ強ければ面白がる人いると思うけど」
「そんなこと言ってもなぁ。ストリートファイトってかなりマイナーですからねぇ」
「そう? でも私を助けてくれたあなたは相当かっこよかったけど」
「な、なんと」
急にかっこいいとか言われたら照れる。かなり照れる。ゴーグルの下の俺は顔が真っ赤だろうと思われた。
「本当はあの時本当に怖かった。急に変なのに絡まれて。あの時のあなたは正義の味方みたいだったわよ」
「そ、そうですか」
無表情の無課金アバターの顔をまったく直視できなくなってしまった。
なんなんだろうか。これもアイドルの特技みたいなものなのか。これがVtuberなのか。いや、今はのっぺりした顔の無課金アバターだけども。実にソワソワしてしまう。
落ち着かなくてはならない。俺は34の弱者男性のおじさんなのだ。
こういう子と関わってはならない気がする。
住む世界が違うはずだ。
「じゃあ、もうそろそろ始まるから戻るわね」
「あ、ああ」
「もし配信するなら見に行くから。やってよね」
「気が向けば」
「そこは素直にやるって言いなさいよ」
そうやって恨みごとみたいなことを言って無課金アバターは領域から離脱していった。
そして、次の瞬間にはステージに如月アオイの姿があった。
「みんな! まだまだ行くわよ!」
そしてライブは再開された。
如月アオイはひたすらにアイドルで、観客はそれに懸命に応えていた。
不思議な空間だった。
でもやっぱり元気が出た。
そうやって、俺の非日常は過ぎていった。
「えっと、声入ってるでしょうか。大丈夫でしょうか」
俺はVRスペース内のカメラドローンの設定をいじりながら言っていた。
いつもの草原のフィールド。
これがビヨンド内の動画機能に映像を配信しているはずなのだが。
「って言っても視聴者ゼロか。分かりようもないな」
あれからひと月が経過していた。
如月アオイのライブの熱狂感。それはずっと俺の中に残って日常をほんの少し彩っていた。今だってなんとなく元気が出ている。
あれから如月アオイとの接点はなかった。
当たり前だ。調べたら彼女は世界中の誰もが知る超人気Vtuberなのだ。チャンネル登録者が8000万。月とコロニーまで含めた今の世界の総人口が220億なのだからその数字のすさまじさは語るまでもない。
俺が思っているよりすさまじい人物であり、なんで俺がそんな人間と関わったのか分からなかった。
住む世界が違うというレベルではない。
スーパー有名人だ。
だから、あれからなんの接点もないのなんか当たり前の話だった。
俺はゲームをやり込む一般人で、如月アオイは超人気Vtuberなのだから。
「まぁ、よく分からんけど始めていくか」
そして、俺は配信をしているのだった。
如月アオイに言われたからだ。配信でもしてみろと。
なにを期待しているのか。
こんなおじさんがマイナーバトル機能の配信なんかしてどうしようというのか。
我ながらアホらしいがやってみるだけやってみるのだった。
「ええと。トレモをしていきます」
そして俺はトレーニングを開始する。ダミーを相手にひたすらコンボを繰り出していく。
正直視聴者が楽しめるとは思えない。
そもそもその視聴者がいない。
と、
「ん? あ、視聴者がひとり! ええと、ようこそ?」
俺はよく分からないがとりあえず挨拶をするのだった。
するとコメントが返ってきた。
『ちゃんとやってるじゃん』
名前は『茶色たかしの弟子』だった。
それを見て俺は、
「ええと、なんで自分の前のアカウント名知ってるんですか。こ、怖い。通報しますよ」
『察し悪すぎ!!!!』
コメントがさらに返ってきた。ようやく俺は理解するのだった。
なにはともあれ視聴者がひとりだけだが出来たのだ。
それが誰なのかはおそらく俺にしか分からないことだった。
なんだか不思議な非日常はまだしばらく続くようだ。
VRスペースでチーターから助けたのは登録者8000万人の超人気Vtuberだった 鴎 @kamome008
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます